アイオーンの采配
前触れもなくギルモア博士は倒れた。
高齢であるし、それでなくともハードな日々を過ごしたのだから、体が参ってしまうことは当然考えられたはずだ。しかし一緒に暮らしている者たちは誰もがサイボーグ体であったために、その兆候を見落としたのかもしれなかった。
幸いなことに命に別状はなかったが、意識を回復した後のギルモアの落胆ぶりははたから見て明らかだった。
病というものは、普段元気であった人ほどショックを受けるのだろう。ただ、ギルモアは胸のうちを語るでもなく「わしは元気じゃよ」と弱々しい笑顔を見せるのみで、どう励ましていいのかも分からない。
そんなこんなでまごまごしていると、数日たってギルモアが一つの頼み事を口にした。
「ウィッチ・・・エカテリーナさんを呼んでくれないか」
今までの気弱さはどこへやら、エカテリーナさんにぜひ診察をして欲しいと懇願するギルモアに、ゼロゼロナンバーたちは自分たちにできることが見つかって少し安堵した。しかしギルモアの願いからは別の意図を感じ取ってもいた。つまり、ギルモアがいなくなった後の、ゼロゼロナンバーたちのことを心配し始めたのではないか、と。
縁起でもない！と思いはしたが、重ね重ねサイボーグの身に体調のことはわかりかね、ギルモアが己の死を悟っているのかなどと直接確かめることなど当然できず、診察のためということであれば、ウィッチを呼ばない理由もまた浮かばなかった。
かくして誰もが複雑な心境のままに、元Neo Black Ghostの生体学者に呼び出しはかけられたのだった。
＊
ライがチアフルから知らせを受けたのは、ウィッチが日本から連絡を受けた数時間後だった。
久しぶりの友からの通信にライはなんの身構えもなく話に聞き入り、にわかに顔色を変えた。
「ギルモア博士が倒れた！？」
「ん。脳溢血だったみたい」
ライは、のんきそのもののチアフルへ、本人が目の前にいたら確実につかみかかっていたのではないかという勢いでかみつく。
「みたいじゃないだろう！天気の話と同列に語るな！」
「あ〜でも、命に別状はないって。安静にしてれば問題ないそうだよ」
さらりと告げられ、やや毒気を抜かれたライが大きく息を吐く。
「チアフル。お前は俺を心臓発作で殺す気だな」
「最後までちゃんと聞かないライがおっちょこちょいなの。そゆとこいい加減治さないとさ、お兄さま？」
「誰がお兄さまだ！」
「それでね」
チアフルが気を取り直すように咳払いをした。
「博士がウィッチに会いたいって強く希望してるんだって」
「エカテリーナにか？」
少し考え込む間を置いて、ライはさも当然と話し出す。
「確かに、エカテリーナならそこらの医師より格段上の治療を行えるだろう」
「シスコン」
「なに？」
思わず聞き返したライを意に介さず、チアフルが畳み掛ける。
「ライは脳外の専門でしょ？博士も知ってるよな、そのこと」
「あ、ああ、多分」
「なんでライじゃなくてウィッチなの？」
「なんでって」
また、少しの間。
「エカテリーナが優秀だからだろ。・・・俺より」
生真面目に返したライに、チアフルがうーん、と納得のいかない声を上げる。
「俺が言ってるのはそういうことじゃなくて。・・・つまりさ、博士の目的って本当に自分の体を診てもらいたいからだと思う？」
「他に何かあるのか」
疑いなど微塵もないライに、チアフルは少し黙り込んでから切り出した。
「あのさ、ライも一緒に行ったら？」
軽い口調ではあったが、どこか深刻さを含んだ誘いだった。ライの瞳に不審の色が浮かぶ。
「俺だって博士のことが心配だから、それはかまわないが、なぜだ？」
「ライじゃないと分からないこともあると思うな。それに、ちょっとはお兄さんらしいところ見せないと」
付け足されたおせっかいな物言いにむっとしたライだったが、どうやら真意は別のところにあるようだと分かって、出かけた文句をいったん飲み込む。
つまり、テレパスとしての力が必要ということだろうか。
ただ、いくら心を読めたとしても、その対処法がわからなくては何の役にも立たない。人付き合いがそれほど上手くないことをライは自覚していた。そういった場で役に立つのは、むしろ今話をしている友の方なのだ。
「お前は？」
「へ？」
「俺にわかるようなことなら、お前にだってわかるだろう？」
謎解きの鍵を探すように質問を投げると、返ってきたのは余計になぞめいた笑いだった。
「さ〜て。俺の名前を呼んでくれる人って、もういないからね」
ますます訳がわからなくなる。
「名前ぐらい、いつでも呼んでやるが？」
「俺のお兄さまだもんな、ライは」
「いいかげんしつこい！」
その後は不毛な会話だけが続き、チアフルは待ち合わせの場所と時間だけを伝えて通信を切ってしまった。
とにかく行って確かめるしかないのだろう。ライは医療具をカバンに詰めるために立ち上がった。
「なんなんだ」
と、ここにはいない相手に愚痴をこぼしながら。
＊
ギルモアはにこにこと来客を迎えた。
思っていたより顔色がいい。診察のためにやってきた二人はやや拍子抜けしたほどだった。
「よく来てくれた、エカテリーナさん・・・ライくんまで。今回は本当にすまなんだ」
ウィッチが微笑む。
「かまいませんよ。お役に立てるのでしたら」
「役に立つとも、もちろんじゃ」
ギルモアが意気込んで保証した。一歩下がった場所で見ていたライが、かすかに厳しい表情になる。
「それでは早速はじめてもよろしいですか？」
ウィッチが確認すると、ギルモアはもちろん、という風にうなずいた。
「ぜひ、よく診てくだされ」
そうして検査は開始された。ギルモアの希望もあって現在の施設で可能な限りの検査を行い、身体機能をチェックする。
結果、多少の後遺症は残るが、その他には異常は見当たらず、合併症などの心配もないとウィッチは請合った。
「手足の麻痺が少し残っているようですが、日常生活には支障ないレベルまで回復するでしょう」
「うむ」
ギルモアの表情は硬い。
ウィッチが、患者の納得できないそぶりに苦笑する。
「ご不明な点がおありですか、博士？」
「いや、そうじゃないんじゃ。わしがあんたに来てもらったのはな、つまり、・・・。なあ、エカテリーナさん、わしをサイボーグにしてくれんか」
ウィッチが息をのむ。
ギルモアはとつとつと語りだす。
「今回のことで思ったんじゃ。こうして死んでいって、わしはそれでいいのかと。わしが生み出してしまった彼らを最後まで見届ける義務があるんじゃないかとな。ただ、昔はサイボーグになろうにも、それを叶えてくれる者が誰もおらなんだ。しかし今はエカテリーナさん、あんたがおる。あんたならわしをサイボーグにできるじゃろう？なあ、やってはくれないか」
すがりつくような瞳を向けられたウィッチは、しばらく黙り込む。時が止まったように静まり返った部屋で、ギルモアは答えを待っていた。
やがてウィッチは後ろに控えている兄を見た。妹の瞳を受けて、ライがギルモアに歩み寄る。
「博士、少し話をしませんか」
「ライくん・・・」
「エカテリーナ、すまないがはずしてくれ」
ウィッチはかすかに戸惑った後、部屋を出て行く。
残されたライは椅子を引き寄せて座った。
ギルモアは隣に腰掛けたライから目をそらすように、布団の上で組んだ自分の両手を眺めている。
話をしたい、と申し出たライだったが、２人きりになっても話を切り出そうとしなかった。やがて耐え切れなくなったようにギルモアが口を開く。
「怒っておるんじゃな、ライくん」
ライは動かない。
「君の妹をだまして連れてきたことを・・・じゃが、このことはみんなには知られたくなかったんじゃ。きっと、止められる気がしてな」
ギルモアの手が組んだりほぐれたりを繰り返す。
「ワシは、もうしばらくは元気に暮らせるじゃろう。じゃが、それにしたって残された時間は、サイボーグの彼らから見たら本当にわずかじゃ。だから急がねばならん。ワシには彼らをあんな体にしてしまった責任がある。せめて最後まで見届けるためには、今すぐエカテリーナさんの力が必要なんじゃ。なあ、わかってはくれんかの・・・？」
ライが小さく息をついた。
「わかりました」
承諾の声を受けて、ギルモアははっと顔を上げてライを見つめた。
ライは無表情に告げる。
「そこまでおっしゃるなら、俺がサイボーグになります」
ギルモアが呆気にとられる。
ライは続けた。
「博士に責任があるというのなら、俺にも同様に責任がある。Neo Black Ghostを創設したひとりとして、彼らのようなサイボーグを大勢生み出してしまった俺にも償いが必要だ。だから俺が彼らを見届けましょう」
「な・・・何を言い出すんじゃ！」
「だいたい、麻痺の残った博士のお体では無理でしょう。妹には及ばないかも知れませんが、俺には充分な知識も技術もあります。ご心配なさらなくてもちゃんと役目は果たします」
「ライくん！」
「それに！」
反論しようとした博士の言を封じるようにライが続ける。
「ゼロゼロナンバーたちは、博士が自分たちのせいでサイボーグになったことを知ったら、喜ぶどころか、哀しむに決まっている。自分たちのせいで重荷を背負った博士を思って傷つくでしょう」
ギルモアが不意をつかれたように目を見開いた。
「そんな・・・」
「博士、俺は・・・エカテリーナがNeo Black Ghostにいると知った時の衝撃を、今でも忘れることはできない。他の誰にもあんな思いをして欲しくない」
災難から遠ざけたはずの最愛の妹が、自分のせいでその渦中に自ら飛び込んだと知ったライの苦悩を、ギルモアは見知っていた。
「妹は愛する者を最後まで見届ける道を選んだ。だから博士が強く願えばきっと抗えない。ならば俺が・・・俺なら博士よりも彼らを傷つけることがない。エカテリーナもわかってくれるでしょう」
「だめじゃだめじゃ！」
ギルモアは頭を強く振った。
「ワシはそんなつもりじゃなかった！」
「しかし、彼らを見届けたいという博士の願いはかないます」
「違うんじゃ！ただワシはみんなと・・・」
突然ギルモアは言葉を切って、シーツを強く握り締めた。
「本当は違ったのかもしれん」
独白のように弱々しげにこぼす。
「自分がただ生き延びたいだけだったのかもしれん。それをみんなにかこつけて理由をつけただけだったのかもしれん」
ギルモアが大きく息を吐き出した。
「なんと浅ましい考えよ」
ライが静かに反論する。
「好きな人と少しでも長く一緒にいたいと願うのは当然です」
「ああ、ワシは・・・」
ライはギルモアをベッドに寝かせて、布団をかける。
「体を休めて、そしてもう一度考えてみてください。それでもというなら、俺にも覚悟があります」
「ライくん・・・」
「彼らを喜ばせたかったら、まずは博士が元気にならないとはじまらない。それは分かっているのでしょう」
ギルモアは迷う瞳を天井にむけ、やがて目を閉じる。
落ち着いた様子を確認してから、ライは静かに部屋を後にした。
＊
「兄さん、本気でサイボーグになるつもり？」
テラスで海を眺めているライに、ウィッチが声をかけた。
茶化しているようでいて、目には鋭い光を宿す妹に、ライは苦笑してみせる。
「正直、怖いな」
「へえ。私の腕が心配？それとも永遠を生きるのが？」
「いや。最後のひとりになるのが」
ウィッチは呆れたように肩をすくめて兄の隣に並ぶと、兄が見ているのと同じ海に目を向けた。
「意外な事を言ってくれるわね。私のことは平気でひとりにしたくせに」
「悪かった。すまなかった。本当に俺はダメな人間だ」
「そうよ。ダメよ。いまさらだけど」
ライは妹の肩にそっと手を伸ばす。昔、幼かった頃は、よくこうして肩を抱いたものだった。
「お前は、俺や博士がサイボーグになりたいって言ったら、協力してくれるか」
「冗談言わないで。やらないわよ」
即答だった。ライが驚いて妹に目を向けた。
「なぜ？」
「あたりまえでしょ。これ以上不幸な人をつくってどうするの」
「なら、残されたゼロゼロナンバーやタイラントのことは心配じゃないのか？」
「まあ、その件に関しては、ね」
空とぼけたウィッチだったが、不審の目を向けられて、観念したように口を開く。
「実はタイラントには、『俺はジョーより長く生きなくちゃならない。なんとかしてくれ』って頼まれたことがあるんだよ」
ウィッチが頬に手を当ててしみじみと語る。
「この私としたことが、つい情にほだされてねぇ。まあ、半永久的に機能する修復装置ぐらいは可能かと思ってチアフルにちょっと話したら『俺とウィッチが手を組めばなんだって可能だけどさ。本当にそれでいい？』って」
疑問はもっともだ。たとえ初めは善意のものであっても、所詮はNeo Black Ghostの技術である。存在が明らかになれば、心悪しき人間が手に入れようと目論むかもしれない。
「それでタイラントには、装置は厳重管理の上、目的を遂げた後には責任を持って徹底的に破壊すると誓うなら考えないでもないって返答したんだけど」
修復装置を破壊するということは、ある意味、緩慢な自殺だ。
「酷だな」
「タイラントは永遠を生きたいとは願わないよ。時がきたら、なんの未練もなくやるでしょう」
確信めいたウィッチの言を少し検証し、結局ライはうなずいた。
「そうかもしれん」
話は途切れた。
しばし海鳴りだけが２人の間に横たわり、やがてライが無意識に口を開いた。
「しかし機械なんぞに頼らなくとも、例えばお前たちの・・・」
言いかけて、自分が何を言おうとしていたのかに気がついて黙り込む。
口に手を当て黙り込んだ兄を、ウィッチはいぶかしげに見返した。
「なによ兄さん。言いかけて止めないで」
「なんでもない」
「嘘」
「気の迷いだ。忘れてくれ」
また兄さんはそうやって、と苦情を訴えるウィッチを置いて、ライは家に向かう。
「そろそろ戻ろう。日も暮れる」
そっけなく言い訳を投げて。
『お前たちの子供なら、充分あとを継げるんじゃないか』
なんて、言えるわけがない。
＊
翌日、２人は日本を飛び立った。
ギルモアの容態は落ち着いている、もう大丈夫だ、とのウィッチのお墨付きに、ゼロゼロナンバーたちはほっと胸をなで下ろした。
それから数日がたって。
「博士」
嬉しさでいっぱいの声で呼びかけられて、ギルモアは顔を上げた。
００９が手を振りながら駆け寄ってくる。
「散歩に出たって聞いて驚きました。ずいぶん元気になったみたいですね」
「心配をかけてすまなんだ。ワシはもう大丈夫じゃよ」
「よかった！」
心からの喜びの言葉とともに浮かべられた笑顔は、余りにも鮮やかだ。
胸をつかれ、にわかに落涙したギルモアへ、００９が背中を包み込むように腕をまわす。
「どうしたんです？」
「いや、またこうしてお前さんと話すことができて感激してたんじゃ」
もしもサイボーグ体となり、そのことを００９や他のみんなが知ったなら、きっとこの晴れやかな笑顔を見ることはできなかっただろう。いまさらながらに己のウカツさを思い知るギルモアである。
一瞬にして目に焼きついた００９の笑顔は、たとえこの先百年の時を経ても色あせることはないに違いない。ならば、一瞬が一生を救う事だってありうるのだろう。
「ジョー。ワシの老い先はそう長くはないと思うが、許される限りお前さんたちと一緒に過ごしていけたらと思う。幸せな時を一緒に過ごせたら、と」
「もちろんです、博士」
「しかし、いずれはお前さんたちを置いていくワシを、恨みはしないか？」
００９は瞳に少し困ったような色を浮かべる。
「それは、その時にならないとわかりません。ただ・・・」
小さく笑って。
「親よりも先に死んでしまうような不孝者には、ならずに済みます」
そして、いつもの優しい表情に戻ってギルモアを促す。
「そろそろ戻りましょう。まだ療養中なんですから」
ギルモアは頷いて、止まらない涙を乱暴にこすった。
夕日に照らされた長い２つの影は、ゆっくりと歩んでいく。
少しだけ夜の帳に包まれた、暖かな灯りのともる我が家を目指して。
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