フェブルアリウス
「そろそろだろ、タイラント」
廊下で会ったライが声をかけてきた。
何のことかは、すぐに察しがついた。タイラントはやや表情をゆるめてうなずいた。
「そうだな、そろそろだな」
「どうするんだ、お前？」
ライが、先まで言わせるなよ、という、やや面倒くさそうな様子で聞き返す。
タイラントの元には、日本からパーティの招待状が届いていた。散々迷った末、他に用事があるわけでもないので、パーティへは参加するとライには報告してあった。それが２週間ほど前だったか。
「どうするって？」
タイラントはライの意図するところがわからず、おうむ返しに質問する。
「パスポートだよ。持ってないだろ、お前」
「パスポート？」
「そうだ。もうNeo Black Ghostじゃないんだから、どこでも顔パスって訳には行かないだろ？ちゃんと旅客機乗って世間一般の人と同じ移動手段使うんだったら、国境超えるんだし、当然いるだろ、パスポート」
「あ、ああ・・・そうなんだ」
Neo Black Ghostが廃業して、このキャンプに来てから一度も旅行にでていないタイラントには、そういう事務的なことがいまいちピンとこない。
だが、よく考えると、ライは医療品の仕入れだと言って、たびたび海外へも出かけていくことに思い当たる。
「ライは？お前だって持ってないだろう？」
「何言ってんだ、俺はあるよ」
「なんで？」
「ちゃんと国籍あるから。ここへ来てすぐに、エカテリーナに送ってもらった」
なるほど、Neo Black Ghostという組織の存在は知られていないから、そこで幹部だろうがなんだろうが、社会的には犯罪歴すらない極めてまっとうな人間というわけだ。
それに引き換え、タイラントはやるなら一から作らなければならない。
「手続き無視で日本へ行くなら、それなりに大変だろ？だから聞いてるんだ。パスポート作りたいって相談も受けてないし、密航する船の連絡とかも受けてないし」
偽造パスポート。密航。違法の国境越え。なるほど、一筋縄ではいかないのだ。
「一番簡単なのは、ドルフィン号で迎えに来てもらうことだが」
「それは嫌だ」
「・・・て言うだろうと、思ったよ」
やっと状況を把握したタイラントに満足したのか、ライは上機嫌だった。
「まあ、お手並み拝見ってことで」
「じゃなくて！なんとかしてくれよ、ライ！」
＊
その日は、００１の目覚めの日だった。
予定通りに起きた彼は、開口一番に宣言した。
「たいらんとノ出迎エニハ、僕ガ 行クヨ」
そのせりふに、その場に居合わせた博士と００３は一瞬言葉を失った。
「あ、あの、それって・・・」
ようやく００３が何事かを告げようとしたとき、いささか乱暴に部屋の扉が開かれる。
「よお、博士、フランソワーズ！イワンもお目覚めか？」
「チョウド イイトコロ ヘ 来タネ。待ッテイタ ヨ」
００１が晴れやかな声で入室者を出迎えた。
そのいたずらっぽい声に００２ははっと体を硬直させる。
「まさか、またか？」
「ソウ！」
００２がすーっと青ざめていく。
いやあな思い出がよみがえったからだ。
それは先日、００１が突然ぽつりとこぼしたのがきっかけだった。
「僕モ 大キクナリタイ。ソシテ 自分ノ足デ イロイロナ トコロ ヘ 行キタイ」
それを聞いていた００２は、なんともいたたまれない気持ちになった。００１が大人になることはない。それは決してかなうことのない願いだったからだ。
何も答えられずにいると、００１はその体をゆりかごごと宙に浮かべた。
「気ニ シナイデヨ、じぇっと。チョット 言ッテミタ ダケダカラ」
「イワン・・・」
ゆりかごは高い位置まで上がっていて、００１の表情は見えない。見えてもそれはいつも同じ赤ん坊の表情なのだが。
「まあ・・・なんか俺にできることがあったら、言えよ」
いささか殊勝に００２が声をかける。
と。
それを待っていたかのように、００１が００２の顔の位置まで降りてきた。
「ホントウカイ？」
「本当だ！」
悲しそうな声色に促され、００２がはっきりと誓う。
そしてその次の瞬間だ。００２が自分の浅はかさに気づかされるのは。
「デハ、協力シテ モラオウ」
その後何が起こったか、もう００２は思い出したくなかった。
しかし、どうやらあの悪夢を、００１はもう一度やろうといっているらしい。
「俺はもう二度とごめんだ！誰か別のやつに頼めよ」
「・・・ソウダヨネ・・・」
００１はあのときと同じように、体を宙へと運ぶ。しかし、今度は言葉を発することなく、それゆえにひたすら哀愁がこもっている。
そんな００１を、博士と００３がしばし見守り、やがて二人の視線は００２へと移った。
００２がその視線に気がつき、思わず後ずさる。トン、と壁に背中があたった。
「なんだよ、その目は！」
言われて、あわてて博士はあらぬ方向を向いた。００３は「用事があるから」といって部屋を出ていく。
「・・・ああ、なんでこうなるんだよ！」
００２の叫びはむなしく響く。
「もう、どうにでもしろ！」
再び００２が叫んだ。
そしてそれには、００１が答えた。
「ソウ言テクレルト 思ッテタヨ、じぇっと」
００１が００２の方へその幼い手を伸ばした。力がほとばしり、ほのかな光をはらむ。
「じゃあ博士、行ってくる」
「あ、ああ・・・」
「くれぐれも僕には触らないでね。意識が元に戻れなくなってしまうから」
そういって００２は・・・いや、００２の体をのっとった００１は部屋を出ていった。
まるで人形のように動かない００１を見やって、博士がため息をつく。
「ああ見えて、情に厚い男だからな・・・しかたあるまいて」
そして何事もなかったように机に向かって、それまでやっていた作業の続きをやることにした。
＊
「タイラント、久しぶりだね」
「００２！」
空港で００２の姿を見つけたタイラントは懐かしい姿にかけよった。
「元気だったか？」
「うん、みんな元気でやっているよ。君も元気そうでなによりだ」
・・・？
タイラントが首をかしげる。
なんだか、異常に違和感だ。
「００２、お前ってそんなしゃべり方してたか？」
聞きにくそうにタイラントが尋ねると、００２は楽しそうに笑った。
「ああ、僕イワンだよ、タイラント」
「・・・へ？」
「君を迎えにきたくて、００２に体を借りたんだ」
「はあ？」
イワン・・・て、００１のことだな、などと遅ればせながら思いだした。てことは、００２の体をのっとった、ということだろうか。それって結構ひどいんでは、と思ったタイラントはなんと答えていいのか分からずあいまいな声を出した。
とまどいを察したのだろう、彼はくすくすと笑いを漏らす。
「確かに問題はあるけど、でも一応同意の上だし。それに」
「それに？」
「００２ぐらい素直なキャラ相手にしか出来ない技なんだ。これも一種の才能だと思う。彼の宿命ってことだよ、きっと」
タイラントは、その容赦ないコメントに返す言葉がない。
「まあ、いつまでも００２の体を借りるわけにも行かないし、早くみんなのところへ行こうよ」
「ああ」
００２の姿の００１は言うなり走り出した。
その姿は本当に楽しそうだ。たしかに赤ん坊の体では思いっきり走る爽快感を味わうことはできないから、００２には大変気の毒だが、たまにはいいかな、とタイラントは思った。
「でも・・・００２であの言葉遣いは変だな」
そう、つぶやきながら。
＊
宴たけなわのパーティを抜け出して、タイラントはテラスへ出ていた。
空は澄みきっていて、どこまでも青い。
そして、海から吹き寄せる風は冷たいのだろうか？
五感は昔の記憶を呼び戻す。二度と元には戻らない幸せな記憶、それをよみがえらせるのが嫌でこんな体を選んだのかもしれないというのに、いまではあの感覚が懐かしい。
突風が吹いて、タイラントは遠くの空を見る。
青空の向こう側、何かがやってくる。
無意識に、その方向へ手を伸ばした。
その先にあるのは、いったいなんだろう、と。
＊
どこまでも厚い雲が覆っている。
天から注ぐはずの光はその大半を失い、ほんのかけらのみが地上に降り立つ。
海からは全てを微細に切り裂くような、冷たい潮風が絶え間なく吹いている。
そんな浜辺に００９は立っていた。
その前には広がる海。その先に大陸が、そしてまた海が、そして最後には自身の背中が。地球にただ一人。そんな孤独を背負ったように見える痩身の姿。
繊細な彼の体には、この風はそうとう冷たいに違いない。
００９はしばらく動かずにいたが、やがてタイラントの顔を見上げた。
「やあ。久しぶり」
変わらない声。
タイラントが００９を促す。
「家の中は暖かい。行こうぜ」
「・・・ああ」
すこし名残惜しげに、００９はようやく海に背を向けた。
波の音が、ひどく大きく響いている。
「こんな風でいられるとは、思っていなかったんだ」
００９はつぶやくように話し出す。
「もっと取り乱して、ひどく無様な姿をさらして、自分が嫌になるほど惨めな思いをすると、思っていた」
ひざを抱いて暖炉の火を見ている００９は、穏やかな表情をしている。
いっそのこと、泣いて、泣き叫んでほしかったのに。
「ありきたりの言葉だけどさ。ジョー、俺はお前のこと愛してるよ」
これ以外に適当な言葉が無かった。
００９は不思議そうにタイラントを見て、少し恥ずかしそうに笑った。
「ありがとう」
＊
「タイラント」
はっとする。隣には００９がテラスにひじをついて、タイラントの顔を覗き込んでいた。
「どうしたんだい、ぼっとして」
状況が把握できなくて、頭を軽く振った。
どうやら、いねむりでもしたようだ。やけに現実味のある夢を見た。
「いや、なんでもない」
「そう」
００９は、それ以上追求しようとはしない。静かに海を眺める彼は、たったいま夢で見てきた彼と同じ表情をしていて、妙な既視感に襲われた。
「ジョー。またすぐに会えるよな？」
「うん」
素直によろこんだタイラントに、００９が意地悪く付け足した。
「君が不精しなければ、多分ね」
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