迷子
会いたいと思った、その時が会い時だ。
などと、柄にもなく思い立った自分が恨めしい。
タイラントはいま、窮地にある。
平日の、大都会の中に忘れ去られたような片隅の公園。
やわらかな日差しが降り注ぐ午後の昼下がり。
ベンチにもたれて空を仰ぐと、いっそ悲しくなるような暖かい晴天がこちらを見下ろしていた。かあー、と鳥の鳴き声が響き、消えていく。
そんな、行き場のない者が足を休める場に、幼い少年が佇んでいる。誰かさんを連想させる黒髪、茶の瞳。一般的な日本人の顔立ちを複雑に翳らせ、こちらをじっと見ている。
周囲には保護者どころか、公園に接する道路にいたるまで人の気配がない。
遠くの大通りから車のクラクションがかすかに聞こえるほどの静けさ。
あるいは、見知らぬ外国人がベンチを占有していたので、誰もが利用を避けたのかもしれなかった。
会いたいと思ったら行動にうつせ、は、とにかく会いに行け、という無計画を示唆するものではない。
わかってはいても魔がさすという事態は起こる。
結果、いきなり押しかけていった家の人々は留守だった。夕方には戻ると分ったのが唯一の救いだ。
とはいえ、いったん冷静になってしまうと、いきなり尋ねていくこと自体、諦めた方がいいような気がして、いっそこのままいったん帰るか？と悩みはじめ、周りへの注意が疎かになっていた。悪いくせである。
少年はひとり、じっとこちらを見つめている。
こちらは見た目完全な異国人。というか実際異国人。しかもガタイが良すぎる成人男性。こちらから手を出そうものなら、どんなことを疑われても文句は言えない。
ここは日本。
他人が子どもに声を掛ければ不審人物と断じられ職質される平和の国だ。以前、倒れそうな老人を見守っていただけで警察に追われたこともあり、その点は学習済みであった。自分の存在そのものが犯罪なのである。というかまあ実際に立派な犯罪者（しかも大量虐殺他、前科多数）なのだが。
しかし、なぜこちらを見ているのだろう。
もちろん迷子ということも考えられるだろうが、その場合、泣いたりわめいたりするのではないだろうか。
しかし少年はただ静かな目でこちらを凝視している。まるで相手を見定めるような真剣な瞳で。
全く、この状況に陥る前に立ち去るべきだったのだ。
毎度の事ながら、どれだけぼんやりしているのだろう。
幼い少年だからといって、敵ではない、とは言い切れないのに。
＊＊＊
『タイラントさんですよね？お会いできて光栄です』
幼さの残った声と無邪気な笑顔。
まだ残っていたのか、と少し意外に思う、過去の記憶。
俺がまだ、あの幽霊が宿す闇の中に住んでいた頃。
あのときだって、俺はぼんやりしていて不意をつかれた。
指示された拠点をいくつか殲滅したあとの、緊張の解けた空白の時間。
食堂でのことだ。もしかして他のヤツに向けた言葉だったのかと周囲を確認したが、やはり目の前の少年の目的は自分のようだった。たんに挨拶しにきただけだと言ってすぐに去っていった。
しばらくして、その少年は一緒のチームに配属された。
見たところ射撃は並みより下、機動力はそこそこ。
しかし一番の特異点は、その笑顔がくずれないこと。どうみても能力的には低いのに、自分を攻撃してくるすべてを恐れない。実力がなければ死んでいくだけの世界で、この能力値。よくもこの部隊に編制されたものだと思うレベルの。
あきれた瞬間、少年の額に銃の照準が定まっていた。そう判断するより早く、手が伸びる。
襟首を高速に引き寄せられ、というよりは、背後の壁に向かってたたきつけられ、少年は体を大きくバウンドさせてから床に崩れ落ちた。
通信無線からは、制圧完了および即時の帰還の命が告げられる。
敵はすでに沈黙していた。
『タイラントさん、さすがですね』
少年の足元を見ると、一人の兵士が絶命している。少年よりはその男の事の方をよく見知っていた。無能なくせに何かと反抗的な、邪魔だと感じる目障りな男だった。
周囲は血の海と化している。
男の致命傷は首筋にのこるナイフ傷からの出血死、しかも頚動脈を的確に狙ったものだ。
いったい誰が？
これほどの近距離に敵を接近させた覚えはない。
『僕を、助けてくれて、本当にありがとうございました』
少年は血の海の中で、さほど血塗れることなく、笑顔を放つ。
その少年が組織の「死神」始末屋だと知ったのは、いつだったか。
少年はまだ「死神」のまま生きているのだろうか。
そして裏切り者の俺を始末しにくるのだろうか。
＊＊＊
「おじちゃん」
目の前の少年が、意を決したように手を握ってきた。
はっとしてとっさに振り払うと、少年の目には大粒の涙がたまった。
しまった、と思うがどうしようもない。
少年はしかし、泣き出すのをぐっと堪えるようにして再び手をさしだし、袖を強くつかんだ。
そして公園の外へと引っ張っていく。なされるがままに歩いていくと、曲がったすぐ先は交番だった。
警官がすぐに気づいて近づいてくる。
逃れる間など、ない。
「おまわりさん、こんにちわ」
「こんにちは、ひろくん。どうしたんだい？」
顔見知りなのか、警官が笑顔で返す。そしてあきらかに不審な目でこちらを見た。
「この人、まいごです」
少年が言った。
手につかんだ異国人を反対の手で指差しながら。
「迷子？あー、日本語わかりますか？」
警官がやや警戒を解いて尋ねてくる。
俺は。
「ワカリマス。ユージン、アイニキマシタ」
たどたどしい日本語を装った。
「お友達の、連絡先はわかりますか？最近、いろいろありまして、大変恐れ入りますが、念のためご確認を」
少年は気難しい顔でこちらを見上げている。
あきらめて、大きく息をついた。
ほらみろ。
少年はやはり有能な刺客だった。
結局、警察から連絡がいき、タイラントは身元保証人のジョーと一緒に帰って来た。
「で、君はまたしても日本の警察と懇意になったと」
「からかわないでくれよ」
「こうなる前に、どうして知らせてくれないんだい？」
「用事があるなら、待てばいいかと思って」
「旅行で１か月いない場合だってあるんだよ」
「任務で、対象を１年間監視しろ、と命じられることだってあるんだし、問題ない」
「あのねえ。じゃあ僕が命ずるよ。今度同じようなことがあったら、まずは僕にその時の最速の方法で知らせること。いいね」
「はい」
返事をすると、ジョーがくすりと笑った。
「で、今回の用は？会いたくなって来てくれたんなら嬉しいけど」
「あー、まあ、それだけったら、それだけだけど、他にもあるっていえば、あるともいえる」
「例えば？」
「例えば、だな。昔、俺の部隊にいた暗殺者が、今頃何してるかとか気になって」
「・・・何か兆候が？」
「あ、だから。別に何があるとかじゃなくて、さっき思い出したんだよ、急に。俺になれなれしく言い寄ってきた暗殺者がいて、そいつが生きてたなら、もしかして俺を狙いにくるなんてこともあるのかもな、とか」
「うん。それで？」
「それで、まあ、でも、だから特にどうということはない、んだが」
歯切れの悪い言い訳は、途中で切れた。
ジョーは思案深げにタイラントを見つめる。
「さっき思い出した、ってことは、そもそものきっかけとは違うよね。何か考えながら来たから思い出したんだろ？タイラント、つまり君は」
いったん言葉を切って、ジョーは破顔一笑する。
「本当に、ただ僕に会いに来てくれたんだ」
「ああ、いや、うん。多分、そうなる」
「ありがとう」
「いや、こっちこそ連絡もせずに押しかけて、すまない」
「僕もいろいろ話したいことがたまってたから嬉しいよ。というか、たまる前に連絡よこせって話なんだけど」
そういわれると、ふがいない。
「君を連れてきてくれた男の子に感謝しよう。でなければ、そのまま帰ってたよね」
「そうだな。実際、そうしようとしてた」
ジョーが微笑する。
「まさに迷子だったってわけだ」
「別に迷ってはないぞ」
「行きたい場所に行き着けないことを迷うというなら、君はまさしく迷ったんだろ？これを迷子っていうんじゃないかい？」
はあ？と否定しかけて、しかしそれもそうかと思う。
ジョーに会いにきたのに、会わずに逃げ帰る。これは立派に道をはずしている。子って表現はないだろうと思うが、未熟という意味でとるなら、まさしくその通りである。
「そうだな」
タイラントも微笑した。
「たしかに、迷子だったな」
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