陽だまり
『暑い暑い夏の日の木陰が好き』
女は静かに、隣の男に語りかけている。
血塗られた森の奥深く、闇に埋もれるようにして存在する洞穴の中には、数人の傭兵が次に始まる戦闘の暁を待ち、束の間の休息をとっていた。
彼らはチームではあったが、仲間というわけではなかった。ゆえに、それぞれが孤独に銃を手にしたままで、岩の壁に背を預けて黙していたが、その男女だけは知り合いらしく、肩を並べるようにして座っていた。
女は語る。
『そこは少し高い丘の上で、とても立派な樹が立ってるの。いつも心地よい風が吹いていて、目の前にある日差しが嘘みたいに涼しくて、気持ちよくて』
『へえ。いいね』
男があいづちを打つ。
その時、外から爆撃音がかすかに聞こえた。
とはいえ誰も腰を浮かせはしない。
音が遠い。
ここでは殺し合いが日常で、爆撃音など雨音と同列だった。彼らの経験において、今の物音は休息を破るまでの大事ではない。
『手足を一杯に伸ばして、深呼吸して、寝転んで』
『気持ちよさそうだ』
『でしょ？』
女の嬉しそうな声に、男も『ああ』と小さく喜びのような声を返した。
バカか。
同じ場にいて目を閉じていた少年は、思わずツッコミを入れそうになった。
ここは、殺すか殺されるかだけの世界だ。
血を浴びていない草木などないというほどの戦場にあって、一体何の話をしているのだろう。たとえ戦いが終結し、そんな場所へ戻れたとしても、これほどまでに殺し続けた体は、再び血塗られた戦いの場へと導かれるのがオチだ。
いらだってきた少年だったが、何気ない男の一言で心が静まった。
『なんか、天国みたいな場所だな』
なるほど、死んだ後の行き先の話をしていたのか、と合点がいったのだ。
それなら話は分かる。おいおい殺られるのは分かっているので、天国という架空の場所を想定して、その恐怖を少しでも和らげようということなのだ。死んだ先には気持ちのいい場所がある、と。つまりは、生き残ることをあきらめた弱き者たちが肩を寄せ合っているだけのことなのだ。
『暖かい陽だまりの、大きな樹が作る木陰で、ゆっくりと眠りたいな』
『そうだね』
会話は途絶えた。
沈黙が気になって少年が目を開けると、男と女は肩を触れ合わせて眠りについていた。
差し込む月の光が二人の顔を差している。
そこには戦場ではありえないほどに、穏やかな表情があった。
少年は再び目を閉じた。
幸せだとか、平和だとか、そんな幻想に囚われるな。
今はただ眠ろう。戦って戦って、そして生き残るために。
＊
「そろそろ起きてくれないかな、タイラント？」
「・・・・・あ？」
覗き込む茶の瞳。
体を起すと（ということは横になっていたということだ）頭から水がぽたぽたと滴っていた。近くにバケツが置いてあるのを見ると、その中身をぶちまけられたのだろう。
ジョーが呆れ顔でこちらを見下ろしている。寝ぼけていた頭でも、事と次第はすぐに思い出せた。またしても一発、強烈なのを食らってしまったのだ。
「あー、俺また・・・」
「本気だしていいって言ってるのに、君はさあ。奥手にしてもちょっと、程があるよ？」
「手なんか抜いてないっ！お前がっ・・・」
「はいはい、じゃあ、さっさとかかってきて？一生ここで僕と戦っていたいわけじゃないんだろう？」
もちろん、いやだ！と答えるはずが、言葉に詰まった。
無機質で、窓もない、殺風景な部屋だ。なにやら怪しい実験のために作られた施設らしく、それなりの強度があり、並みの攻撃ではダメージを受けない。閉塞感この上ない場所で、監房のようですらある。
しかし、それほど嫌じゃない。それはもちろん、ジョーがいるからなのだが。
「タイラント？」
不審げに名を呼ばれ、自分がジョーをじっと凝視していたことに気がついた。
慌てて目をそらし、わざとらしく咳払いをして、ごまかしついでに拳を数発叩き込む。
「一生なんて、冗談でもやめてくれ！」
不意打ちに近い攻撃を難なくかわしたジョーの瞳が和らぐ。
「でも、割と楽しそうだよ、今の君」
「それはお前が一緒だから・・・」
反射的に答えると、ジョーは、あはははと声を立てて笑った。
「そんなこと言っても、手加減はしないからね」
組み手の速度は上がっていく。
相手の呼吸を読み、リズムにのって、攻防を繰り返す。
打って、受けて、打って、受けて。
ここは、暖かい陽だまりだ。
大きな樹が作る木陰で、思いっきり手足を伸ばして、ゆっくり眠るように。
とても気持ちのいい場所だ。
夢に現れた少年の頃のいらだちは、気がつけば身の内から消滅していた。
それは多分、今と未来を信じる思いが心に宿ったから。
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