Telephone Line
首に痛みを覚えて頭を上げる。
そこは見渡す限りの暗闇だった。
少し焦って身動きしたとたん、書類の散らばる気配。とっさにその端に手を伸ばせたため、どうやら机の上からの落下は防げたようだった。
ため息ひとつ。
「寝オチしたな、これは・・・」
ライは押さえた仕事の山をかき集めて手を離すと、立ち上がってカーテンを開けた。晴れ渡った夜空に煌々と月が君臨している。目が慣れてくると部屋の様子も見えてきた。机の書類は、いっそ落としてもよかったんじゃないかと思えるほどに散乱していた。机から少し離れて置かれた小机の上にはコップが置かれている。持ち上げてみると、中身はまったく減っていない。夕方、タイラントが運んできたコーヒーだった。目を覚まそうと口をつけてみると、思っていたよりのどが渇いていたことに気がつき、一気に飲み干す。冷えたコーヒーは、それでも十分おいしかった。とはいえ、普段から冷えた状態のものばかりを飲んでいるので、なじんできてしまったのかもしれない。いや、もしかしたら、すぐに飲まないということを見越して、アイス用のものを用意している可能性もある。
「妙なところで細かいんだよな、アイツは・・・」
礼は・・・言わなくていいか。
ガラにもないコトを言えばお世辞か面倒ごとを頼む前触れか、と警戒されるだけである。これは、こちらの普段の態度にも大いに問題があった。
コップを小机に戻し、なんとなく薄暗い部屋をぼんやり眺める。
何故だろう、何かが足りない。
寝ている間に夢でも見たのだろうか。大切なモノがかけている気がするのだが、該当する事柄に思い当たらない。机上の仕事は、もちろん片付けるべき事項だが、これに関しては明日でも間にあう。大きな事件は起きていない。誰からも苦情は受け付けていない。手紙もメールもすべて処理済みだ。
もう少し、寝たほうがいいのだろうか。
そう思うも、今の今までうっかり寝てしまったという時間のロスを考えると、これ以上寝るのは惜しい気がする。
何かが、足りない・・・。
視界に通信機が入る。緊急用と、普段使いのものとで、ここしばらくは平和な日々が続いたために、両方ともほとんど使っていない。いや、緊急用は何回か使ったか。
普段使いの方は・・・心なしかほこりをかぶっている気がする。
軽くはたき、受話器に手を触れる。
番号は覚えている。そもそも、かける先にそれほどアテがあるわけではない。
浮かんだ感情を、ライは分析してみる。
自分は今、何かが足りない。だが、その原因が見つからない。解決策として、誰かに尋ねるというのも一つの選択肢だ。
だが。
電話したところで、何を話せばいい？
「元気か、か・・・？まあ、元気だろうな、アイツのことだから」
近くにいれば、相手の考えは・・・その気になれば全て読める。だが電話では自分の能力は完全に封じられる。実際に耳朶を打つその音声のみで全てを判断せねばならない。
「エカテリーナは・・・なんて聞くのは愚の骨頂だしな・・・」
お兄さま！とかカンに触る答えが返ってくるのだろう。それにどう反応しろというのだ。まさかアイツは「弟よ！」とか返してほしいわけでもあるまい。
「そっちは無事か・・・・ってのも聞くまでもないな・・・」
つまり、用事が、ない。
まったくもって、なんの用件も思いつかない。
ため息ひとつ。
受話器から手を離す。
と。
りりりりりりん！と軽やかな音が鳴った。
大きく鼓動を一つ響かせ、しかし表面上は眉をひそめるにとどめ、ライがゆっくりと受話器を持ち上げる。
「ライ？ライ！聞いてくれよ〜！もう！俺！すっげえ嬉しい！！！」
・・・は？という声にこめられるだけの不審をこめつつ、興奮絶好調の友の語りに区切りがつくのを待つ。
「ホラ、この間上手くできないって言ってたアレ、できたんだよ！まさに今なう！やっと完成！うわ〜すごいよ、俺天才〜！あはははは〜！！」
「おい、チアフル・・・」
「じゃ〜ね！これから張大人とかジェットとかにも報告しなくちゃ！」
がちゃ。
まさにそんな音がして通信は切れた。
「・・・なんだったんだ、今のは・・・」
イタズラ電話よりもタチが悪い。だいたいアレとは一体なんのことだ。
かけ直すか・・・と思ったが、どうやらこれから各地を爆撃していく予定のようなので、掛けても繋がらないに違いない。
後でメールでも打っておくか。
・・・いや、電話してみるべきか。掛けようとして、掛けられなかった。都合よく用事ができたのだから。
「まさかそんなことまで見越しているわけじゃないだろうな・・・？」
テレパスでもないくせに、あの陽気者はまったく侮れない。
というか、そもそも。
「あんな電話がまかり通るのならば、用件などなくてもいいのか・・・」
とても簡単なことなのかもしれない。難しく考えすぎているだけで。
苦笑して、部屋の明かりをつけた。
すっかり目が覚めた。机を埋め尽くしている仕事をやっつけるにはちょうどいい。
崩れた山を整えていると、ふと先ほど飲んだコーヒーのカップの横に、小さな植木があることに気がついた。過酷な環境にも耐えうる種で、もう少しすると花が咲きそうだった。
「花が、咲くか・・・」
やられた分はやりかえすべきだな。
ライは通信機に向かって不敵な笑みを浮かべる。
そして、いつものように机に向かい、いつもの仕事を再開した。
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