紙一重
初めての海外旅行。
大学で同級生のさっちゃんは英語がぺらぺらで、日本語オンリーの私は彼女に頼りっきりだった。それでも旅の終わりには少しだけ言葉も通じるようになった。行きの飛行機ではさっちゃんが窓側を譲ってくれたので、帰りは私が真ん中の席ね、と提案した。奥にいたときは、さっちゃんがアテンダントさんの質問に全部答えてくれたけど、帰りはがんばって自分で答えた。とはいっても、ビーフぷりーずとかそういうレベルだけど。言葉が通じるって、やっぱり楽しい。
東京行きの飛行機に乗っている今思うと、本当にあっという間の１０日間。絶対また来よう、今度は自分でもっと話ができるようになりたい、と、海外旅行をした人が誰でも思う決意を、にわかに固めつつ。
ちょっとがんばって頼んでみたお酒を飲んで、ほっと一息。普段お酒はあまり飲まないけれど、飛行機だとどれでも頼み放題なので、せっかくならばと選んでみた。おいしくて大正解。ちょっと大人になった気分。
食事も終わり、機内の照明が落とされる。それぞれ寝たり、映画を観たり、本を読んだり。さっちゃんは私と同じビールを一気に飲みほし、あっという間に寝入ってしまった。
食事をしてアルコールも入ったのでトイレに行こうかと思ったが、通路に設置されている使用中のランプはずっと灯ったままだった。それほど火急でもないので、座席前のモニターをあれこれいじって、カードゲームをやってみる。これが結構楽しめる。
そうこうしているうちに、ランプが消えた。
「あの・・・」
通路側に座った男の人に声を掛けた。
返事はなく、じっと画面を見ている。
そっと隣のモニターをのぞきこむ。映画を観てるのかしら、悪いかな、と思ったけど、彼が見ているのはメニュー画面だった。
それにしては尋常じゃない表情。
あきらかに日本人ではない顔立ち。がっちりしていて、強そうで、でも、少し頼りない感じがする。多分彼が、余裕がなさそうに見えるから。
もしかして、私と一緒で、初めての海外旅行だったりするのかな？
もしそうなら、彼の場合は帰りじゃなくて、これから日本へ行くのだろう。数日前に同じ緊張を体験した。初めての飛行機で、なれないモニター操作に戸惑っているのかも。
「あ・・・ひっ」
もう一度声を掛けようとして・・・少し親近感を抱きながら話しかけ、途中で声が引きつる。
殺されそう。
瞬間、思った。暗い夜道であやしい男に会ったら、きっとこんな気持ちになる。
こちらを見た、目が怖い。
「いえ・・・あのっ・・・」
男は何かを言いかけた。
が、結局は黙りこみ、またモニターへと視線を戻した。
解放されて、硬直した体を無理やり椅子に沈ませて、目を閉じる。心臓がバクバクしている。
テロリスト？
テレビでは日常のように報道される、銃で打ち合う人たちが浮かんだ。
生きるために、殺すために。別世界に住む人々。
別世界の人々・・・？
でも、もし、隣にいたら・・・？
だって、ここは日本じゃない。見知らぬ国、別世界から飛び立った翼の中だ。
殺されちゃう？
そんなわけない、バカバカ、と思うけど、想像したら止まらなくなった。
「さっちゃん、さっちゃん」
震える手で友の体をつかむ。呼びかけるけど、全然答えない。
でも、無理に起こしても、さっちゃんに何ができるわけでもない。語学が堪能なのは確かだけど、護身術があるとは聞いていない。それ以前に、殺し合いをする人と互角に戦える力を持ってるとか、ありえない。
どうしよう。
私のせいで、この男の人を怒らせて。
乗客の人も大勢巻き込んで、どこにも逃げ場はなくて。
楽しかったはずの旅の終わりが、こんなことになるなんて。
「タイラント」
パニックが頂点に達したとき。
頭上から声がした。
とても柔らかい、優しい声音が。
すがるように顔を上げると、茶の瞳と目があった。彼は少しはにかみながら、微笑を浮かべた。
「僕の連れが、ごめんね」
「あ・・・っ、いえっ」
日本語だ。若い日本の男の子。
とたんに緊張が緩んだ。たまらなく心地いい声音。
彼は同じ調子で、男に外国語で話しかけ、そのまま二人で席を外した。
後姿にしばらく見とれ、はっと我に返って、慌ててトイレに向かった。
すっきりして席に戻ると、男はまだ席を外したままだった。あの彼とデッキでお茶でもしているのかもしれない。
深く座席に身を任せる。
さっちゃんはトイレに行く前とかわらず熟睡している。
そうだ、これが正しい姿だ。
モニターをオフにし、私も全力で寝ることにした。
君子危うきに近寄らず！つっても隣の席だけど！
とにかく、寝よう。おやすみ！
「でも、ちょっとよかったな・・・」
異国の地を隠密旅行中の、本物の王子様に遭遇。
なんちゃって。
＊
備え付けの水を口に含みながら、ジョーは新聞にさっと目を通した。となりでタイラントが腕を組んで小さくうなだれている。
「なあジョー、読書灯って、どうやってつけるんだ？」
「・・・左側にライトの絵柄をしたボタンがあっただろう？」
「あったか？どうもよくわからなくて・・・」
「それでモニターを殺気だった目で見てたのかい」
「いや、一応、職業柄さ、航空機は戦闘機も含めて基本性能は全部頭に入ってるはずだったんだが。やっぱりだめだな、もう古くなってる。後で確認しておかないと・・・」
「ここは旅客機だよ。余計な事は考えないで、リラックスできない？」
「あ？いや、全然、リラックスしてるけど？お前がいるし、何かあれば切り抜けられるだろうし。まあ、エンジン爆発とかなればどうしようもないが」
「縁起でもない事いわないでほしいな」
「可能性の話だ」
「タイラント」
ジョーが新聞から目を上げた。少し真剣な色を帯びている。
「実は君に頼みがある。僕が合図したら、今度は一人でこの場所まで来て欲しい。そして新聞を読んだり、飲み物を飲むフリをして時間をつぶす。その後、また僕の合図で何事もなかったかのように席に戻ってくれ」
「ジョー・・・？」
「頼めるかな？」
真摯な瞳に、少し感動したような目をして、タイラントが快諾する。
「もちろん。お安い御用だ」
「頼りにしてるよ」
にっこりと笑って・・・そしてこっそりと、ジョーは小さく息をついた。
＊
「えー、となりの男の人？」
「うん。スゴイ怖い顔の！」
「そうだったっけ？顔まで見てないけど、あのおっきい男の人ね」
無事日本に到着し、回転してくる荷物を待っている間、さっちゃんにやっと話ができた。今までは、どこで聞かれているか分からず、ずっと黙り込んでいたのだ。
「よく覚えてないけど。トイレに行こうかと思ったら、ちょうど席を立ったから、何も問題なかったのよね」
「え？そうなの？」
「うん。さっさと済ませて帰ってきて、まだいなかったし。私のために席を外してくれたみたいなタイミングだったよ」
「えーいいなあ〜」
「まあ、いいじゃない！無事に着いたんだし！」
＊
「なあジョー、あの行動って何だったんだ？」
ホテルに向かう車の中で、タイラントが待ちかねたように問いかけた。
今までは、どこで聞かれているか分からず、ずっと黙り込んでいた模様。
ジョーは正面を向いたまま、さらりと答えを返した。
「決まってるだろ。エコノミー症候群対策だよ」
「はあ？」
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