夕暮れ、秋桜、迷い猫
清かな風に誘われて
舞い散る紅葉を追いかける
振り返る影の尾は長く
幽かに響く、鈴の音
|
眼前に広がるのは、一面の秋桜。 「…みごとなものだな……」 感嘆の溜め息をついて、アルベルトはそう呟いた。 透けるような風の中で揺れる、薄桃色から橙までのグラデーション。 柔らかな細い葉が、互いに絡みつくようになびく。 夕暮れの光に、長い影を落としながら。 その時。 チリン…… 足元で鈴音がして、アルベルトは眉根を寄せた。 （……？…） 何だろうかと見まわした視界の端で、秋桜の茎が不自然に揺れて…… 『みゃぁ…？』 か細い鳴声とともに現れたのは、仔猫だった。 『…にゃ？』 仔猫は、まんまるの目でアルベルトを見上げると、トコトコと近づいて来た。 しげしげと靴を眺め、それから、ズボンの裾を爪で突付く。 そして…… 「…お…おいっ！」 ちょっと待て…と言う間もあらばこそ、仔猫は、いきなりアルベルトの身体によじ登り始めた。 チリチリ鳴る、鈴の音。 「……コラ、やめろっ！」 滑り落ちそうになって爪を立てる仔猫の首根っこを、慌ててつかむ。 『にゃ〜…？』 手足をだらんとさせ、目だけを丸々と広げてこちらを見ている仔猫。 「………」 『………にゃ？』 睨んでみたところで、仔猫は一向にひるむ様子はない。 それどころか、暢気にあくびをして。 「…………」 アルベルトは、溜め息を吐いた。 |
|
「…おい……」 何が嬉しいのか、ズボンの裾にじゃれ付きながら後を追って来る仔猫に、アルベルトは困惑していた。 立ち止まり、仔猫を見下ろす。 と、仔猫は遊んで貰えると解釈したのか、すかさずアルベルトの身体によじ登り始め…… その首根っこをひっ捕まえ、溜め息を吐く。 （…さて……） どうしたものか…と思案する。 首に鈴をつけているところを見ると、どうやら飼い猫だろう。 このまま一緒に来られては、困る。 「もすぐ夜になる。飼主が心配するぞ」 無駄とは思いながらも、そう言ってアルベルトは仔猫を地面に降ろしてみた。 『…にゃあ？』 仔猫が不思議そうにアルベルトを見上げて。そして、次の瞬間、一陣の風に乗って飛んできた紅葉の葉にじゃれ付き始めた。 「………」 やはり、無駄だったか…とアルベルトは溜め息を吐く。 （というか……） 苦笑。 そもそも動物に言葉が解かる訳がないのに、自分は何をやっているのだろうか。 （…それ以前に……） 動物に懐かれるのは、ピュンマかジョーか、あるいはフランソワーズか……その辺りの役の筈だ。 （……まったく、何だって俺に……） 物思いに沈みかけるアルベルトの視界の中で、仔猫の前足が、宙を舞う落ち葉を見事に捉えて。 パシッ… 『みゃうっ！』 仔猫が得意気に鳴いて、アルベルトを見上げた。 「………」 どうだ！ と言わんばかりの様子に、思わず苦笑してしまう。 「……すごいな…」 傍に膝を着き、頭を撫でてそう言ってやる。 と、仔猫は嬉しそうに咽喉を鳴らした。 （……ったく…何をやってるんだか……） 柄にも無いことを…と思う。 けれども。 （…まぁ……） たまには良いか、とアルベルトは呟いた。 |
|
膝の上で丸くなっていた仔猫の耳が、不意に、ぴくっと動いた。 それに併せて、チリン…と鈴が鳴る。 「……？」 見下ろすアルベルトの視界の中で、仔猫が身を起こし、空気の匂いを嗅いで。 そして。 『…にゃ……？』 秋桜の向こうの一点を、じーっと見た。 夜の気配が漂う、肌寒い風。 それに混ざって微かに聞こえるのは…… 「…おい、お前を探してるんじゃないのか？」 高く細く響く、幼げな声。 緊張に焦燥が混ざったその呼び声の調子に、アルベルトは仔猫を睨んだ。 「お前の飼主…だろ？」 『…みゃぅ……』 上目遣いに見上げる仔猫の首根っこを掴んで地面に降ろすと、アルベルトは断固とした調子で言った。 「心配されてるんだぞ。さっさと帰れ」 声のする方角を指し示す。 『……にゃぅ…』 仔猫は、ちょっと戸惑った調子で鳴いてアルベルトを見上げ、そして、秋桜の間にかけ込んでいった。 長い尾の先がするりと消え、チリチリとなる鈴音が遠ざかって…… やがて、ふっと呼び声が途切れ、アルベルトは溜め息を吐いた。 「……ヤレヤレ…」 どうやら、無事に飼主の所に戻ったらしい。 ふと見上げれば、西の空に星が輝き始めていて。 （……帰るか……） 思わぬ長い散歩になった…と呟きつつ、アルベルトは踵を返した。 |
