『幻想海悠園』
『第二の館』



ガラスの靴

初出・各務りか 様発行 同人誌『 Precious 』(2003/10/12)

 

踊れ、踊れ、愚か者よ
冷たい夜の下、凍った時の中で
脆く儚い、ガラスの靴をはいて
細く危うい、紅絹の糸の上で

 

Scene 1

漆黒の闇。
虚ろな空気。
先刻までの喧騒が嘘のように、周囲は静寂の淵に沈んでいた。
だが、これは偽りの静けさだ。
何故ならば。
この地上に生命の無いところなど、存在しない。たとえ砂漠であろうと、あるいは深海であろうと、そこには生物が居る。そして、生物が居れば必ず、その息吹が聞こえる筈なのだ。
それなのに。
今、辺りは静まりかえっていて、虫の鳴声ひとつ聞こえない。
それが、その沈黙が、この闇の底に潜む『敵』の存在を、明確に示していた。

(どこ……だ?)
目を凝らし、009は前方の闇を見据えた。そのどこかに『敵』と、そして味方である007が居る筈だった。けれど、うっそうと茂った木々の葉は、星明りも月光さえも遮ってしまって、それなりに強化されている筈の『009』の目をもってしても、数メートルより先は流石に見通せなかった。
(彼女の目には……見えるんだろうか?)
ふと、後方で005と共に『箱』を護っている003を想う。視覚と聴覚を特に強化されているという『003』には、この真っ暗闇の森の中でも、自分や『敵』の動きが捉えられるのだろうか? と。
けれど、003に脳波通信機で呼びかけて情報を得ることはできなかった。何故ならば、『敵』がこちらの周波数を知っているからだ。それ故、脳波通信機を使えば、こちらの動きが筒抜けになってしまう。従って、余程の事態に陥らない限り、脳波通信機での連絡は、しないことになっていた。
(余程の…事態……)
それは勿論、護るべき『箱』が危険に晒された時を指す。そしてそれは、同時に、『箱』を持つ003が危険に晒された状態をも示すのだ。
そうなる前に、決着を付けなくてはならなかった。まずは、『敵』が持っている『箱』を奪わねばならない。その為に、009と007の二人は『箱』の護りを003と005に任せ、『敵』の陣地へと進んでいるのだ。
だが。
二手に分かれる前に003から教えられた、『敵』の陣地がある筈の場所には、誰も居なかった。こちらに003の『目』があることを知っている『敵』が、その場所を移動したのだ。
手がかりを探して後を追おうとしたものの、痕跡は巧みに消されており、暗さも手伝って、009と007の目ではどうにも判らなかった。
一旦、戻って003達と合流しよう。
暫く周囲を調べたところで、009と007はそういう結論に達した。とにかく戻って、作戦を練り直そう……と。
その矢先だった。
暗闇の中から不意打ちを食らったのは。
何とか態勢を立て直して反撃に転じたものの、『敵』を倒すことは未だできていない。しかも、別行動を開始してから、かなりの時間が過ぎてしまっていた。003達は、おそらく心配していることだろう。最悪、向こうも『敵』の攻撃を受けているかもしれない。
勿論、そんなことになっていれば、脳波通信で連絡が来る筈だから、何の連絡も無いということは、無事なのだろう。
けれども。
(急がなくっちゃ……)
何はともあれ近くの『敵』を片付け、003達と合流しなくては。
きつく唇を噛み、009がそう思った、その瞬間。

「……ぃいいやあああぁぁぁああっ!」

夜の静寂を、悲鳴が切り裂いた。
「003っ?」
耳と通信機の両方に突如として響いた悲鳴。
驚愕と嫌悪の混じった、その声。
瞬間。
何かがキレる、音にならない音が夜の底に響いて。

一陣の風と共に、009の姿は消え去った。

 

 

Scene 2

「おまえなーっ! ちったー手加減しろってんだよっ!」
メディカル・ルームに怒鳴り声が響く。それへ、呆れを含んだ声で004が言った。
「お前が悪い、002。あんな真似をする必要が、どこにあった?」
「そうよっ。失礼にも程があるわっ」
私からも一発お見舞いしましょうか? と003が002を睨む。
「んだよ、俺とお前の仲じゃねーかよ」
「誰と誰の仲ですってっ?」
「……あ…あの……」
謝るタイミングを失った009が、困惑した表情でオロオロと口を挟もうとした途端、003がその腕を掴んだ。
「行きましょう、009」
そういって、スタスタとドアへと向かって。成り行き上、009もドアへ向かうことになる。
「でも……」
後ろを気にする009に、003が首を振った。
「気にすることなんて無いのよ、009。悪いのは、あっちなんですからねっ」
シャッ…と音をててドアが開く。
その向こうに踏み出し、そこでくるりと振り返りると、003は片手を上げて002をビシッと指差した。
「女の敵っ!」
「……あ…あのなっ……!」
ふんっと003がそっぽうを向く。
そして。
002が何か言い返す間もなく、ドアは閉じた。

そもそもの発端は、002だった。
幽霊島から脱出した後、数々の刺客をどうにか退けてはきたものの、それは幸運に助けられた部分も少なくない。また、メンバーの中には、幽霊島に居る間に(不本意ながらも)様々な戦闘訓練をこなしてきた者も居れば、そうではない者も居る。これまでの勝利は、勿論、自分達の実力に拠るところが大きいとは言うものの、今後のことを考えると、このままという訳にはいかないだろう。
「俺だって、たまにゃあ幸運の女神にソッポ向かれちまうことだって、あるさ」と一同を見回し、002は言ったのだった。
「だから、だな。ここはヒトツ『実地訓練』ってヤツを、やったほーがイイんじゃないか?」と。
その002の提案に「珍しくまともな事を言うな」と004が応じ、「確かに、備えあれば憂い無し、と言うしね」と008が頷き、かくして、この二人が中心となって実地訓練の計画が立てられることになった。
002は、「俺が言い出したのに、なんでアンタ等が計画を立てるんだよっ」と息巻いたが、「せっかくまともな事を言ったんだ。それだけにしておけ」と004に言われ、あっさりと追い払われた。
そして、一週間後の今日、実地訓練が敢行されることになったのだった。

「ルールは簡単。敵味方の二チームに分かれて、お互い、相手チームの持っている『箱』を奪い合う。自チームの『箱』と相手チームの『箱』の、両方を揃えてゴール地点に辿り付いたチームが勝ちだ」
全員を集め、008はそう説明した。
「この状況は、同一のモノを求める利害が対立する二集団をシミュレートするものになる」
俺達とブラックゴーストの状態に概ね合致するだろう、と004が言って。それへ頷き、008が後を続けた。
「各自の『能力』は、勿論、自由に使って貰って構わない。だけど、ここの自然を必要以上に傷つけることは不可とする……言うまでもないことだろうけどね」
微かに笑みを浮かべながら一同を見回し、008は言葉を継いだ。
「チーム分けは、002、004、006と僕の偶数チーム、そして、003、005、007、009の奇数チームとする。001は、審判と緊急事態に対処する為の見張りだ」
何か質問は? という008の言葉に、ミーティング・ルームに沈黙がおりる。
暫し間を取って誰も何も言わないのを確認すると、004と視線を交わして頷き合い、008は再び口を開いた。
「では、十五分後に開始とする」
それまでにスタート地点に移動して、打ち合わせを済ませるように……という008の言葉に、002が驚きの声を上げる。
「そんなすぐにかよっ?」
「実戦じゃあ、十五分の猶予時間だって、無いかもしれないんだよ?」
「ぐずぐず言うなっ」
全員走れ…と004が促し、かくして、実地訓練は開始された。

「まったく、お前ときたら……。何だってあんな真似をしたんだ」
閉じられたドアから002に視線を移し、004はそう言った。
「彼女の手から『箱』を取れば、それだけで済んだことだろう」
それなのに、何故あんな事をしたんだ? という問い掛けに、002は軽く肩をすくめた。
「べつに。チョイとからかっただけじゃねーか」
あんまり一生懸命に前ばっかり見てるから、脅かしてやろうと思っただけだ、と。
「それなら、もっと別のやりようがあっただろう? お前ときたら……」
008と006が007と009を撹乱している間に、002と『箱』を持った004は、まんまと003と005を発見し、背後への接近を果たした。
004が005を引き付け、その間に002が003の持つ『箱』を奪取する計画だったのだが……
002は、あろうことか003の後ろから腰に手を回して抱き寄せ、思いっきり胸を掴んだ挙句、耳元で「一晩つきあわねーか、お嬢ちゃん」などと言ってのけたのだ。
当然のことながら、003は悲鳴を上げて002を突き飛ばそうとした。バランスを崩した002は、003を抱き寄せたまま倒れて。
003の悲鳴に焦った009が加速装置で駆けつけた時、002は003を押し倒すような格好でその場に居た。
そこから先の惨状は、思い出したくも無い……と、004は溜息を吐いた。
逆上した009が002を力の限りフッ飛ばし、慌てて止めに入った004をも殴り飛ばし、005までもを投げ飛ばしそうになったところで、001が介入して事態を収めたのだ。
最早、実地訓練どころではなくなってしまったのは、当然の結果だった。
「まったく、珍しくまともな提案をしたと思ったら、そんな下心があったとはな」
「なっ……そんなんじゃねーっつーのっ」
ほとほと呆れ果てた…という口調の004に、002が抗議の声を上げる。
「じゃー、何なんだ? お前の馬鹿な行動の所為で、何もかもが滅茶苦茶じゃないか」
「ありゃあ不可抗力だ」
「不可抗力? お前、どっか故障してるんじゃないのか?」
004が頭を指差しながらそう言って。
「まぁまぁ……」
そこへ、008が苦笑しながら口を挟んだ。
「とにかく、一つは成果があったじゃないか」
「そうそ。我等が麗しの姫君には、疾風の騎士がついている……ってね」
それまで黙って成り行きを見守っていた007が、殊更に重々しい口調で言う。
「まさか君、それを試したのかい?」
首を傾げてそう問う008に、002は「けっ」と応えて横を向いた。

 

 

Scene 3

「ほんと。失礼しちゃうわっ」
男ってやーね。ほんっと、イヤラシイったらないんだから……と毒づく003に、009は困惑したように目を伏せた。
「ごめん……」
「あなたのことじゃないのよ、009」
「でも…」
僕も一応『男』だし…と小さな声で言う009に、003は目を見開いて笑った。
「それは勿論そうだけど……。でも、あなたは違うわ」
「え?」
009がきょとんとする。
それを放っておいて、003は言葉を続けた。
「ごめんなさい。私、ちゃんと言ってなかったわね。……助けてくれてありがとう……009」
「そ…そんな……あんなの、別に助けたとか、そんなんじゃないよ。それに……」
俯いて唇を噛んで、009は低く言葉を継いだ。
「それに、そもそも、僕がしっかりしてなかったから、あんなことになったんだし……」
004達のチームの作戦に見事に翻弄されて、手も足も出なかった。
「あれが実戦だったら、君は……」
その先を言えず、009は身震いした。それへ、003が首を振る。
「いいえ。しっかりしなきゃいけなかったのは、私の方よ」
後ろから近付かれて、まるで気付かなかったなんて…と。
(そうよ……私がもっと周囲に気を配っていれば)
009が心配で、そっちばかり見ていた。
(そんなんじゃ……駄目)
自分は、戦うと決めた筈ではなかったのか。未来を掴む為に、自らの意志で、戦う…と。いつか、もう一度、陽の光の下で踊る為に。
(でも……。そんな日が……来るのかしら? 本当に……?)
考えれば、恐くなる。
けれど。
不安気な瞳で俯く009を見る。未だ『仲間』になって間もない、003には『幼い』とすら思える彼を。
(しっかりするのよ、003)
強くならなくちゃ……と口の中で唱えて。
そして、003は無理やり笑みを浮かべた。
「お互い、いい経験になったわね」
「…あ……うん」
009が顔を上げ、ぎこちなく頷く。その瞳を覗き込んで、003は言葉を続けた。
「002にも、いい経験になってればいいんだけれど」
やっぱり、一発お見舞いしておけば良かったかしら? と。
「え…っと……」
困ったように頭を掻く009の前で、003は数歩ほど踏み出すと、くるり…と優雅に回って見せた。
「バレリーナの蹴りは、強力なんですからね。相手が誰だろうと、一撃よ」
今度はそうしてやるわ……と、003が決意を込めて言う。その言葉に009の声が重なった。
「あのっ……でも……。その……」
「009?」
「えっと……………から…」
俯いたまま、聞き取れないような小声で009が言う。
それへ、003が首を傾げて。
「え? なあに?」
「……あの………」
一呼吸分の、間。
そして、ゆっくりと顔を上げ、009は言った。
「……『今度』は、無いからっ」
「え?」
「僕がっ……僕が………ちゃんと護る……から……その……」
再び俯く009を驚いたように見詰め、そして、003は笑った。
「頼りにしてるわ」
「……うん」

 

 

Scene 4

小さなノックの音に、002は片目を開いてドアを見遣った。チラリと時計を見上げ、答える。
「入れよ」
けれど、一向にドアが開く気配は無く……。
はぁ、と溜息を吐いて002は立ち上がった。
ドアを開けてみれば、その前に立っていたのは、予想通り、009だった。
「入れ…っつっただろ?」
怪我人を起き上がらせて、どーすんだよお前は……と002が言う。
それへ、009は俯いたまま「ごめん」と言った。

「で?」
ベッドの脇に椅子を持ってきて009が座り、002はベッドの上に片膝を立てて座り、そこで002はおもむろに問いを発した。
「……ごめん……」
一言だけそう言ったきり黙り込む009に、002が、ガリガリと頭を掻く。
そして、009を睨み据えるようにして口を開いた。
「お前、何に対して謝ってんだ? あぁ?」
まさかとは思うが、俺を殴り飛ばしたことを謝ってるんじゃねーだろうな? と。
それへ、009は微かに頷いた。
「んじゃあ、何だ? ちゃんと言えよな」
「……彼女を……003を……危険な目に遭わせた……。あれが……君じゃなくて……ヤツラだったら……」
その先を流石に言えず、009が唇を噛む。その頭上に002の声が響いた。
「良くて死んでた。悪くすりゃ、とっつかまって再改造……とかな」
「……っ!」
弾かれたように顔を上げる009の目に、002がニッと笑って。
「よぉ〜し。ちゃんと判ってるな」
「……002……」
「いいか、009。お前には、俺達を使って研究した技術の総てが突っ込まれてる。……てぇコトは、だ。あいつを一番ちゃんと護ってやれるのは、他の誰でも無い、お前ってワケだ」
(……ま、それだけってワケでもねぇけどな……)
それは言わぬが花か…と胸の内で苦笑して。
「今回みたいなドジ、二度とやったら許さねぇからな。いいな?」
「……あぁ」
応える009を睨み据え、そして、002は頷いた。
「なら、いい」
話は終わりだ……と言って002がベッドに転がって目を閉じた。009が黙って立ち上がり、ドアへと向かう。
ドアの開く軽い音。
そこで、ふと足音が止まって。
「……ありがとう……002」
小さな声。
そして、ドアが閉じる。

目を開いて閉じたドアを見遣り、002は苦笑した。
「ばーか」
やれやれ、と溜息を吐いて。
「あいつは俺の好みじゃ、ねーんだよ」
(つーか、好みかどうかとか、そーゆーコトを考える間もなかったっつーの)
ブラックゴーストに攫われ、サイボーグに改造される……という非日常の中で出会ったのだ。
自分と、003と004は。
狂気のただなかに突如として叩き込まれた自分達は、お互いに支えあうことで、辛うじて正気を保っていたのだ。
何もかもが狂った中で、自分達の方こそが狂っているのではないか? と思いながら。
その『絆』は、今更、愛だの恋だのが語れない程に深く、現実離れしている。強いて言うなら、兄弟姉妹の関係に近いとも言えるが、しかし、それとも違う。
(何にせよ、俺達は……)
そういう関係にはなれないし、なりたくもない。あの日々を共有した者同士だけで一緒に居ることになど、お互い、耐えられはしない。
だから。
「……頼むから、しっかりしてくれよな……」
見ちゃいられねーぜ、まったく……と呟いて。
(いつか、あいつを……)
もう一度、陽の光の下で踊らせてやって欲しい。かつて彼女が、何度となく、まるでうわごとのように語った、バレエの舞台。それは、彼女が幸せだった日々の象徴。
(無くしちまったモノは戻っちゃ来ねぇ……けど……)
新しい何かを得ることはできる。
総てが終われば。
そう思い、そこで002は深い溜息を吐いた。
「ハッピー・エンドは……遠いよなぁ……」
(……うまいこと、踊り切ってくれよな……)
頼むぜホントに…と呟いて、002は瞳を閉じた。

 

踊る、踊る、無邪気な光
長い夜の中、虚ろな時の上で
脆く儚い、ガラスの靴をはいて
淡く輝く、小さな火の下で
遠い彼方の 朝に向かって

このページの素材は
Pearl Box
よりお借りしました。


『幻想海悠園』
『第二の館』