幽霊島を脱出した後、００ナンバー一同は、ギルモア博士の旧友コズミ博士の私邸に身を寄せた。
鄙びたコズミ邸で、暫しの平穏な時が流れる。
だが、薄氷の上に築かれたその日々は、あっけなく崩された。
ブラックゴーストが放った刺客サイボーグ達によって。
結局、ブラックゴーストと戦って勝たない限り、自分達に平穏な生活は望めない。
その厳然たる事実を、００ナンバー一同は受け入れざるを得なかった。
戦うしか、無いのだ……と。
そして。
一同は、コズミ邸を辞して旅立つことを決意した。

とはいえ、だからと言って即座に出発…という訳にはいかない。状況によっては、次にいつ補給ができるとも判らないのだから。
そんな訳で、一同は、ドルフィン号の最終点検をする傍ら、手分けして日常品や食料の買い出しに走ったのであった。

いよいよ日本を発つという、その前日。最後の買い出しに出ていたアルベルトは、持ち帰ってきた荷物の山からひとつの紙袋を取り分けると、フランソワーズに差し出した。
「これは、お前のだ」
「なぁに？」
「下着だ」
「えっ？ でも……」
コズミ邸にいる間は普段着で過ごしていたから下着も必要だったが、これから先は、防護服を着て過ごすことになる。
ブラックゴーストの科学力を結集して作られた防護服は、下着を必要としない。素肌にそのまま着ることを想定して設計/製造されており、下着の機能を兼ね備えているのだから。
そう言うフランソワーズに、アルベルトは首を振った。
「確かに、防護服は下着を必要としない。だが、お前には、これが必要だ」
「……アルベルト…？」
訝しげな青の瞳を見詰め、アルベルトはゆっくりと言葉を続けた。
「いいか、フランソワーズ。防護服は、お前の身体を護る。だが、下着は、お前の心を護る」
人間としての心を。
「人間には性別がある。そして、お前は人間だ。忘れるな」
自分が女性であることを、忘れてはいけない。
「それを忘れたら、お前は、奴等がお前をそうしようとしたモノに、なってしまう」
戦うだけの兵器に。
「だから、これが必要なんだ」
「……アルベルト……」
目を見開いてそう呟き、そして、フランソワーズは頷いた。
「判ったわ」
差し出された紙袋を受け取る。
それへ、そうそう…と、アルベルトは言葉を継いだ。
「店員が言うにはな、その下着は『勝負用』というものだそうだ」
「……勝負…用……？」
なにやら不可解な言葉に、フランソワーズが首を傾げる。
「あぁ。なんでも、ここぞという時の為のものだ…と」
「……？」
一体、どういう意味だろうか？ と訝しむフランソワーズに、ストラップの調整方法は覚えてるな、今夜中にちゃんとしておけよ…などと言い置き、アルベルトは踵を返した。
残りの荷物をドルフィン号へ運び込む為に。

自室として使っている部屋へ戻り、下着を袋から取り出してベッドの上に広げ、フランソワーズは頭を抱えた。
（……『勝負用』って……）
なんとなく、その意味が判ったような気がする。
上品なレースがあしらわれ、光沢のある糸で細やかな刺繍が施された、パープル・ピンクのブラジャー。立体的に形作られたカップは、その上半分が透けるような生地になっている。
同色のショーツにも、大胆かつ繊細な装飾が施されていて。
ガーター・ベルトには、ゴージャスなベルベットのリボン。
ストッキングは他よりやや薄目の色合いで、更に薄い色の細糸で、緻密な刺繍が施してある。
扇情的でありながら下品さを全く感じないそれらは、まさに、貴婦人の持ち物。
デザイン自体は、やや古風…というか伝統的というか…とも言えるが、アルベルトが購入してきた以上、素材や裁断方法や縫製には、最新技術が使われているのだろう。
何にせよ、その店員が言った『ここぞという時』がどういう時を指しているのかを想像するのは、難しく無かった。
少なくとも、その『勝負』というのが戦闘とは無縁のモノだろうというのは、間違い無い。
（……アルベルトったら……）
こんなモノを着て戦えというのだろうか？
あの、防護服の下に？
それは、あまりにもアンバランス過ぎる……と思う。
溜め息をひとつ。
そして、ベッドに座るとフランソワーズはブラジャーを手に取った。
柔らかく、滑らかな手触り。
こうして近くで見れば、目ひとつ乱れていない刺繍の素晴らしさがよく判る。
丁寧に縫いつけられたレース。
光沢のある糸。
ふんわりと丸く作られたカップ。
「………」
暫しうっとりとそれを眺め、そして、フランソワーズは不意に立ち上がった。
ブラジャーを置き、着ていた服を脱ぎ捨てる。
上着も下着も、すべてを。
思い切り良く全部脱いでしまい、そこで一瞬ためらって、フランソワーズは意を決したようにブラジャーを再び手に取った。
上半身を前に折り、慎重にブラジャーを胸に当てる。
以前、アルベルトから教わった通りの手順を踏んで、ストラップの長さを調整し、カップの位置を直し、もう一度ストラップを調整して。
ショーツをはき、ガーターベルトをして、ストッキングをはき、ガーターベルトの長さを調節する。
総てを身に付け終え、もう一度フィッティングを確認し、フランソワーズは鏡の前に立った。
「…あ……」
見慣れた筈の自分の姿なのに、思わず息を呑む。
（これは……誰…？）
白い肢体を艶やかな下着で包んだ、大人の女。
（……わたし…？）
勿論、自分だ。
思わず頬に手を当て、フランソワーズは笑った。

翌朝。
未だ明けやらぬ薄明の中、出発の刻が迫る。
「００３っ、準備はいい？」
外からかけられた声に、フランソワーズは叫び返した。
「今、行くわっ！」
一時の住処だった部屋を、ぐるりと見回して。
忘れ物は、無い。
ひとつ頷いて、扉へと向かう。
そして、ふと鏡の前で立ち止まった。
「………」
深紅の防護服に黄のマフラーを垂らした、サイボーグがひとり。
だが。
その服の中には、艶やかな下着を纏った女が居る。
（……負けないわ……）
いつかこれを脱ぐ日まで、女である自分を、人間である自分を、忘れるものか…と思う。
（大丈夫……）
戦いの最中でも、この下着が、護ってくれる。
女である自分を。
人間である自分を。
（いつか……）
いつの日にか、本当の『勝負』をする日まで。

鏡の中の女に婉然と微笑み、フランソワーズは踵を返した。