戦火を臨む場所に作られた、Neo Black Ghost の前線基地。
そこは、今、００ナンバー達の襲撃を受けていた。
この基地が撒き散らした火種が業火と化す様を見届けに来ていた総裁００９は、００ナンバー襲来の報を受け、即座に基地の放棄を宣言した。
ここはもう十分だ。
くだらない連中と遊んでいる暇は無い。
さっさと次へ行け、と。
総裁の命令は絶対で、一秒の遅滞も無く実行されなければならない。
Neo Black Ghost の戦闘員達は、即座に持ち場を放棄し、基地からの脱出を開始した。
あっけない程あっさりとした陥落に当惑する００ナンバー達を残して。

無人の司令室を見下ろす司令官席にひとり座り、何も映さないスクリーンをつまらなそうに眺めていた００９は、唯一生き残った通信機が伝えてきた、全戦闘員が次の戦場へ向かって移動を開始した旨の報告に短く了承の意を伝えると、そのスイッチを切った。
その瞬間、至近で爆音が轟き、壁が吹き飛ぶ。
素早く身を伏せた００９の上を爆風が通り過ぎて。
ガラガラと天井が崩れる音。
周囲を満たす焦げ臭い塵。
壁に開いた穴から埃っぽい風が吹き込んで、爆発の熱を散らす。

ゆっくりと立ち上がり、００９は辺りを見回した。
瓦礫の山と化した周囲に、何の興味も無さそうな視線を送って。
割れたガラスを踏み砕きながら無造作に歩き出した背中に、不意に声が響いた。
「待ちなさい！」
００９がピタリと足を止め、振り返る。
「……００３、か」
嘲るような口調。それを睨み、００３は銃を構えた。
「何の用だ？ 俺は忙しい」
向けられた銃口を面白そうに見ながら００９が問う。
けれど００３は答えない。しっかりと銃を握り締め、００９を『見る』。
（……一発で倒せるのが理想的。でもそれは無理。だからまず……）
加速装置を壊す。そうしなければ、勝ち目は無い。
（私は……ジョーを……）
必ず倒さなくてはならない。だから。
００３が引き金にかけた指に力を入れた、その瞬間。
「……っあぅ！」
びしっと手首に衝撃が走り、００３は銃を取り落とした。
はっと見れば００９の手にはいつの間にか銃が握られている。
一瞬のうちに銃を抜き、自分の持つ銃を弾き飛ばしたのだ、と００３は唇を噛んだ。
「………」
「それから？」
手に持った銃をくるくると弄びながら、００９が嗤う。
それを睨み返し、００３は床に転がった銃を見下ろした。
（……拾って……撃つ…？）
けれど、００９の動きのほうが確実に早い。
（どうすれば……？）
「終わりか？」
（……倒さないと……ジョーを……っ！）
けれど、武器を失った００３は、ただ００９を睨む以外に術が無い。
「つまらないな」
暫しの沈黙の後、００９は吐き捨てるようにそう言うと、無造作に銃口を００３に向け、そのまま引き金を引いた。
銃声。
それと同時に００３の視界を黒い残像が横切る。
耳元で風が唸りを上げ、唐突にそれが止まって。
（……あ……）
はっと我に返った瞬間、００３は一瞬前まで居た場所から十数歩も離れた壁際に居た。
そして。
「タイラント……」
００３に代わって００９に対峙しているのは、タイラントだった。
「ジョーは死んだ。抜け殻は俺が壊す。あんたはそこで見てろ」
見届けるのが、あんたの役目だ。振り返りもせずにそう言うタイラントに００３が息を呑む。
「こいつを壊したら、あんたは死ぬ。そうしたら俺が、あんたも壊してやる」
そのタイラントを００９が鬱陶しそうに見遣り、そして言った。
「お前に俺が倒せるのか？」
それへ、タイラントが凄絶な笑みを向けて。
「簡単すぎる」
右手を軽く上げ、指先をちょいちょい…っと動かす。
『かかって来いよ』というジェスチャーに、００９が面白そうな視線を向け……

ふっと二人の姿が消え、次いで空気が悲鳴のような唸りをあげた。
二つの加速装置が巻き起こす死の旋律が、世界を支配する。
床に散らばった瓦礫が次々と吹き飛び、壁や天井に一斉に銃痕ができる。
連続して響く、何かがぶつかり合う音。
黒い風が捩れるように吹き荒れては擦れ違い、その度に何かが猛烈な勢いで弾け飛んで。

００３は壁際に座り込んだまま、ただ目を見開いて、その荒れ狂う二つの風を感じ、甲高い大気の悲鳴を聞いていた。
何が起きているのか、どうなっているのか、００３の目には捕らえられず、聞きとれない。
奇妙に間延びした時間。
心臓の鼓動と鼓動が、ひどく遠くて。

（……ジョーじゃ、ない！）
戦闘開始後のほんの一瞬で、タイラントは全てを理解した。
もしかしたら００９は何か理由があって Neo Black Ghost の総裁なんかをしていたのではないか？ という、ほんの僅かに残っていた疑念が、完全に消える。
（これは……ジョーとは違う）
タイラントは００９の戦い方を知っていた。そして、タイラントにとって戦い方こそが相手を識別する絶対的な基準だった。
だからこそ判る。
（コイツは、ジョーじゃない）
間違いなく００９本人だが、しかし、これは００９ではない。
自らの能力の全てを使って戦うことを心底楽しんでいるサイボーグ。それは……。
（俺と同類、という訳だ）
力を揮うことに悦びを感じ、破壊と殺戮を繰り返してきた、自分。
ただただ己の強さを確かめる為に、そのためだけに戦いつづけてきた、かつての自分。
今目の前に居る００９の姿をしたサイボーグは、その自分と全く同じ戦い方をする。
（という事は、だ）
ここでモノをいうのは、性能と、そして、殺戮の経験。
その二つに関してであれば、タイラントには絶対的な自信がある。
未だ００９に出会う以前のタイラントは、幾度となくこういった『遊び』を繰り返してきた。互いの命をチップにした、血塗られたゲーム。己の強さを誇示しあうためだけの戦いを。
敗者には、惨めな死。
勝者には、次の戦い。
勿論、タイラントは一度も負けたことが無い。
軽々しい命のやりとりを心の底から楽しんで、その全てに勝利し、相手を屠ってきた。
その膨大な経験と自分の性能をもってすれば、今目の前に居る試作サイボーグなど物の数ではない。
（……お前じゃあ、遊び相手にも……なりゃしねぇ！）
００９には絶対勝てないが、コイツが相手なら楽勝だ。そう呟き、タイラントは薄く嘲った。

不意に、風が止まった。
００３の目の前に黒い服を着、右手で黒っぽい塊を引きずった男が姿を現す。
（……？……）
瞬きをして見上げれば、それはタイラントだった。
「……タイラント……？」
呆然としたまま呟く００３の前に、タイラントは手に持っていた塊を放り投げた。
「……な……に……？」
訳が判らないまま、その塊に視線を下ろし……そして００３は息を呑んだ。
「あ……」
右腕と左足をもぎとられた、黒い服を着た体。
その胸の中心には、拳大の穴が背中まで貫けていて。
左半分が叩き潰された頭には、人工血液に塗れた栗色の髪。
片目だけ残っている、光を失った茶の瞳。
「あ……」
かたかたと００３の全身が震えて。
「……ジョー……」
掠れた声で呼びかける。
けれど勿論、返事は無い。
「ジョー……」
震える手を伸ばし、そっとその頬に触れて。
「ジョー！」
応えないその身体を００３が掻き抱いた、その時、タイラントが動いた。
問答無用の一撃。
それを００３に叩き込む。
「……！」
青い瞳が焦点を失い、００９に折り重なるようにして、００３は声も無く事切れる。

静寂。

そして、タイラントは踵を返した。
この場と同じ静寂を、世界にもたらすために。