ギルモア研究所の一室に、００３を除く００２から００８までの六人と、タイラントとが顔を揃えていた。
勿論、全員が呼び出された理由を理解していた。
あまりにも早すぎる事態の推移に、室内の空気は重苦しく、誰も口を開こうとしない。
そして。
部屋の扉が開き、００１を抱いた００３が入ってきた。静かに扉を閉めると、そのまま正面の椅子に歩を進め、そこに座る。
一瞬の沈黙。
そして、００１が言った。
＜全員 アツマッテ イルネ。デハ、ハジメヨウカ……＞
その言葉に、部屋の空気が戸惑ったようにざわめく。
まず口を開いたのは、００２だった。
「ちょっと待てよ、イワン。全員…って、ジョーは？」
＜ジョー ハ、イナイ＞
「は？」
あまりにあっさりとした答えに、００２が目をぱちくりさせる。それに代わって今度は００４が口を開いた。
「居ないというのは、どういう意味だ？ ジョーに何かあったのか？」
＜言葉ドオリノ 意味サ、はいんりひ。ジョー ハ イナイ。ソレダケダヨ＞
全員が不思議そうに目を見交わす。タイラントだけが微動だにせず、ただ鋭い目で００１と、それを抱える００３とをじっと見据えていた。
＜トニカク 情勢ハ 一刻ヲ アラソウ＞
いいね？ という００１の有無を言わさぬ調子に、釈然としない想いは捨てきれなくとも反論できる者も無く。
かくして、００９不在のままに作戦会議は開始された。

００１が現時点で集まっている情報を整理して全員に伝え、当面の指示……とにかくドルフィン号で出発、直近で戦争状態に陥った国へ行き情報収集をする……をし、ひとまず会議は解散となった。
各自が与えられた持ち場へと散っていく。
００１も、ギルモアのところへ行くとテレポートして姿を消して。
ひとり残った００３に、タイラントはゆっくりと歩み寄った。
「……ジョーは？」
殺気すら感じる程に鋭い問い。
「来て」
それに短く答え、００３はくるりと踵を返した。
足早に歩く００３の後にタイラントが続く。
００３が向かった先は、００９の私室だった。
扉の前に立ち、ポケットから鍵を出して扉を開け、００３は視線でタイラントを促した。
「………」
一瞬、訝しげな瞳をし、けれど促されるままにタイラントは部屋の中に歩を進める。続いて００３も中に入ると静かに扉を閉めた。
「ジョーの部屋よ」
００３の言葉にタイラントが小さく頷く。言われなくても、何となく雰囲気で判った。
ゆっくりと部屋の中を見回し、そして。
「……おい」
タイラントの視線がピタリと止まる。
「どういう…ことだ……？」
００３の方を見もせず、唸るように問う。その視線の先にあるのは、ベッドの端にひっそりと置かれた００９の防護服だ。
「……ジョーは、出て行ったのか？」
「えぇ」
００３が静かに答える。
「それを置いて、ジョーは出て行ったわ」
あの日以来、この部屋には自分と００１以外に誰も入っていない。この部屋は、００９が出て行った時そのままだ、と００３が言う。
張り詰めた沈黙。
不意にタイラントは踵を返した。猛然と扉に向かい、ノブに手をかける。
「どこへ行くのっ？」
「決まってる、あのクソガキのところだっ！」
＜ボク ナラ ココニ 居ル＞
その声に、タイラントは動きを止めた。くるりと振り返り、いつの間にか００３の腕の中に現れた００１を睨み据える。
「じゃあ、さっさと説明しろ」
＜……ワカラナイ＞
「何だとっ！？」
ふざけるな、という凶悪なまでの怒りの思念に、００１が思わずバリアーを張る。けれど、勿論、タイラントが攻撃をしかけてくることは無い。けれど００１はバリアーを解く気にはなれなかった。
「説明しろ。どういうことなのか」
ギリギリまで抑えた声。けれど、抑えきれない殺気にも似た怒りが周囲を渦巻いて。叩き付けられるその視線は、物理的な重さを持っているかのように００１には感じられた。
納得のいかない回答をすれば、即座に攻撃されるのではないかと思わずにはいられない、危険なまでの怒り。
だが、タイラントを納得させられるほどの情報は、００１には無かった。
（……トイウカ、ボク ノ 方ガ、ドウイウ コトカ 知リタイ クライ ナノニ……）
とにかく、タイラントには起きたことを説明するしかない。もしかしたら、彼ならば何かが解るかもしれない、と００１は思う。
＜……何ガ 起キタカ ハ 教エル。ダケド、ドウシテ ソウ ナッタノカ ハ ボク ニハ ワカラナイ……＞
そして、００１は００９が出て行った日のことを話した。
運命の糸が切れた日の話を。

００１が全てを話し終え、そして、室内が沈黙に包まれる。
立ったまま腕を組んで壁に寄りかかって話を聞いていたタイラントが、組んでいた腕を解き、ゆっくりと身を起こす。そして、そのまま黙って踵を返した。
＜……待チ タマエ！＞
何処へ行く気なのかと問う００１に、タイラントは振り返りもせず答える。
「俺が考えてる事は『読める』んだろ？」
それはその通りだった、だが、その理由がわからない。
＜ナゼ……。ナゼ、キミ ハ ボク達ト イッショ ニ 行コウ ト シナインダ……？＞
「何故、だと？ ジョーが居ないからだ。それ以外に何がある？ 俺はジョーに付いていく。たとえ地獄の果てまでだろうとな」
その００９が居ないのに、自分がここに居る理由があるとでも思っているのか？ というタイラントの意識に、００１は何を言い返すこともできない。
「だいたい、あんたにはジョーを探す気が無い……というか、探せないんだろ？ だったら……」
勝手に００９を探す、と言い捨てて。
そのまま出て行こうとするタイラントに、００１はどんな説得も無駄だと悟る。
そして。
＜待チ タマエ＞
別行動を取るというのなら、もうひとつ、伝えておくべきことがある。そう言う００１にタイラントが訝しげな瞳で振り返って。その瞳を見返し、００１は言葉を続けた。
＜マダ、ミンナニハ 伝エテ イナイ コト ダケレド……。暫ク前、ねおぶらっくごーすとノ 総裁ガ 変ワッタ ラシイ。新シイ 総裁ハ さいぼーぐデ ……栗色ノ髪 ト 茶ノ瞳 ノ 少年ノ姿ヲ シテイル……トイウ噂 ダ）
その言葉にタイラントの目がすっと細められて。
＜総裁交代ノ 詳シイ時期ハ 判ッテイナイ。ケレド、ジョー ガ イナクナッタ後 ナノハ 確カダ＞
自分が心を読んだ相手は、Neo Black Ghost の末端と関係がありはするものの、構成員という訳では無いから、これ以上の詳しい事は判らなかった。それを確かめる為にも、自分達は Neo Black Ghost の構成員が確実に居るだろう戦場へ向かう。００１はそう言うと、タイラントに尋ねた。
＜モシ、ねおぶらっくごーすとノ 総裁ガ ジョー ダッタラ、キミハ ドウスル……？＞
その問いに対するタイラントの答えは、端的だった。
「ジョーじゃない」
きっぱりと言い切る。
＜デモ……＞
「ジョーじゃない。ジョーがそんな事をする訳が無い」
その言葉に含まれる言外の意味に、００１が沈黙する。
００９がそんな事をする訳が無い……つまり、その者がどんな姿をしていようが、それは００９では無い。そうタイラントは言っているのだ。
「俺は、ジョーを探す」
それだけ言うと、今度こそ、タイラントは出て行った。

「……イワン……」
長らく閉じた扉を見つめていた００３が、ゆっくりと口を開いた。
「それ……本当なの……？」
Neo Black Ghost の総裁が、００９に似た容姿をしているというのは？
＜………＞
「イワン」
＜……ソウダ……＞
黙っていてごめん、という００１の言葉に００３が機械的に頷いて。
＜デモ、マダ ソウダト ハッキリ 確カメタ 訳ジャ ナイカラ……＞
そうではない可能性もあるのだ、と言おうとした００１を００３が遮った。
「可能性が高いと、そう思っているのでしょう？ イワン」
そうでなければ、タイラントに言ったりはしない筈でしょう。違う？ と尋ねる００３に００１が答えに窮する。
耳に痛い沈黙。
不意に、ぱたりと頬に涙が落ちてきて、００１は００３を見上げた。その青い瞳から、透明な涙がただ淡々と流れている様に、途方にくれる。
「……ジョーは…もう、居ないの……？ ねぇ、イワン……ジョーは……何処に行ってしまったの？」
＜…………ふらんそわーず……＞
自分には、もう、００９が感じられない。魂の兄弟の絆が、同じ運命の糸で繋がれていた筈の存在が、消えてしまった。そう言うべきなのか？ と００１は悩む。
つまりは、００９は死んだのだ……と。
だが、もしそうなのだとしたら。自分が見たアレは一体何なのだろう？ Neo Black Ghost に係わるモノの意識に、恐怖とともに刻まれている、あのイメージは。
（……ジョー………？）
アレが本当に００９だったとしたら、それはもう、００９では決してありえない。
（アレハ マルデ……）
死、そのものだ。

物思いに沈む００１の耳に、００３の掠れた声が届いた。
「私……私、確かめなきゃ……。そして、もし本当に……」
ぎゅっと抱きしめられ、００１が息を呑む。
流れ込んでくる、決然とした想い。
＜……ふらんそわーず……＞
「イワン。私、約束したのよ……ジョーと。もしも彼が、本当に狂ってしまったら……そして私達が護ってきたものを壊すようになったら……そうしたら、私、彼を倒す……って」
（……知ッテ イルヨ……）
心の中で、００１はそっと返事をする。そしてその時には、００３がその約束を果たせるように、自分が手助けすることを００９が望んでいたことも。
（……デモ……。ボク ニハ……デキナイ……。デキナイヨ、ジョー……。キミ ガ 何処ニ イルカ スラ、ボク ニハ ワカラナイノニ……）
できるつもりだった。たとえ００９であっても、この自分には勝てないと、そう思っていた。その筈だった。
（ジョー。キミノ 運命ノ糸ハ ボクノ 手ノ内ニ アル……ト、ソウ 思ッテ イタノニ……）
それなのに。
握っていたはずの運命の糸は切れ、最早、００１には００９を感じる事すらできない。
自分は、本当はこんなにも無力だったのだ、と００１は思う。
（ソレトモ、世界ノ全テガ 狂ッテ シマッタ ノカ……？）
世界を構成する何かがズレて、全てが自分の手の届かないトコロへ行ってしまったのだろうか？ と。
「イワン」
不意に声をかけられ、００１はビクリを身を震わせた。
＜……ふらんそわーず？＞
「行きましょう」
決然とした声音。
＜………＞
「確かめなくちゃ。そして、もしそうなら……」
その先を００３は言わなかったが、００１にははっきりと聞こえた。
私が彼を倒す。
迷い無く告げられた、その言葉が。