「あと…もう少しよ」
砂漠の向こうの岩山を見遣り、００３はそう言った。
「敵は…？」
「大丈夫。何も居ないわ」
銃を油断無く構え、『目』を凝らし『耳』を澄ませて、全ての方向を、地上から地中から空中に至るまでを、警戒しつつ、００３が答える。それへ頷き、００４は肩からずり落ちかけている００２を担ぎ直した。
「気を抜くなよ、フランソワーズ」
お前さんの『目』と『耳』だけが頼りなんだ、と言う００４に、００３は小さく笑ってみせた。
「任せておいて頂戴」
「頼むぜ」
「ええ」

Neo Black Ghost の連絡艇を奪い、ウラル山中の研究所からの脱出を果たした００４達は、一路、南へと針路をとった。何処へ行くのかと問う００３に、００４は答えた。
『オーストラリアのギブソン砂漠だ』と。
首を傾げる００３に、００４が言葉を継ぐ。
『そこに、ドルフィン号が居る』
『どうして……？』
何故そんな事を知っているのか？ 知っていたのなら、何故、催眠状態に陥った状態で尋ねられて、『判らない』と答えられたのか？ と驚く００３に、００４は苦笑して答えた。
『その時は、本当に、判らなかったんだ』
００３は、ますます不思議そうな目をする。
『俺達だけで脱出しろってジョーが言った時……あの時、イワンと博士の居場所を知らないって俺が言って、それにアイツが“君は知っている筈だ”って答えたのは、覚えているか？』
問われて、００３は頷いた。
『……アレで思い出したんだ。以前、もうずっと前の事だが、ジョーが一人でドイツに遊びに来た事があった。その時に…』
何の話からそうなったかは、もう思い出せない。酒を飲みながら色々な話を、真剣な話から冗談交じりの話まで、とにかく色々と喋っていて、その時、そういう話になったのだ。そう言って、００４は記憶を手繰りつつ、その顛末を、こう語った。

『ねぇ、ハインリヒ。何かの時の為に、秘密の待ち合わせ場所を決めておこうよ』
とっても良い考えだと思わないか？ と目を輝かせて００９は言った。
『それでさ、僕と君の二人だけの秘密にしておくんだよ』
こういうのは、知っている人間が少ない程いいんだからね、と楽しそうに。
『くだらん……全員が知ってたほうが、良いに決まってるだろう？』
どうせ、どっかでそんな映画でも見たんだろう？ グラスにウィスキーを注ぎつつ、００４は憮然として言った。
『お前、酔ってるな？ ガキの秘密基地ごっこじゃないんだからな』
もうちょっとマシな事を考えろ、と言う００４に構わず、００９は笑いながら言葉を続けた。
『場所は幾つか決めといた方がいいと思うんだ。でもって、合い言葉を決めてさ、その合い言葉で、何個所かある内の何処なのかってのを、伝えるんだよ』
『ジョー。俺の話を聞いてないな？』
『ね。ね。ね。なんか、カッコイイだろ？』
『やれやれ……』

そして、世界地図を引っ張り出し、朝まで飲み明かしつつ、その『秘密の場所』と『合い言葉』を決めたのだ、と００４は言った。
『すっかり忘れてた。だが、ジョーのあの台詞で思い出したんだ』
『じゃぁ……“君は知っている筈だ”というのが……？』
００３の問いに００４が頷く
『そうだ。アレが合い言葉なんだ。あと、“００４”とナンバーで呼ぶってのが』
酔っ払って考えたにしちゃあ、悪くない出来だろう？ と００４が苦笑する。
『で、意味が判ったら“皆目見当もつかないな”と答える。無論、“００９”とナンバーで呼び掛けて』
他にも何個所か決めたが、“君は知っている筈だ”と言ったら、オーストラリアなんだ。そう言い、００４は溜め息を吐いた。
『ったく……まさか、こんな日が来ると思ってた訳じゃないだろうな？ ジョー……』

ドルフィン号に辿り着き、その扉の前に立った途端、内側から扉が開かれた。
「……諸君…よく…無事で……」
そこには、００１をしっかりと腕に抱き、心労のあまりすっかり憔悴してしまったギルモアが立っていた。
「博士……！」
００３が駆け寄る。
「よかった…ほんとうに……」
「すみません博士、心配をおかけして……」
そして、ギルモアの手から００１を受け取ると、００３はそっと呼びかけた。
「イワン……」
００１は、スヤスヤと眠っている。 それを抱きしめ、００３はギルモアに問い掛けた。
「博士。博士は、どうしてここに…？」
「ん…あぁ。イワンが『夜』の時間に入る前に、南の方角を警戒するように…と言ってな。その時はもう、ジョーが行ってしまった後だったんじゃが……ともかく、言われた通りに気をつけておったら……」
正体不明の潜水艦が現れたのだ、とギルモアは言った。
「それで…イワンが『悪い予感がする』と言っていた事もあって、慌ててその場を離れたんじゃ」
幸い、その潜水艦が追いかけて来る事も無く、気付かれなかったんだろうとほっとしたものの、果たして元の場所に戻って良いものかどうか判断できず……
「イワンは寝ておるし、君達とも連絡ができんし、あの潜水艦のデータをよくよく見てみたら、どうも見覚えがあるようじゃったし……」
ひょっとして、Neo Black Ghost が復活したのではないのか？ というギルモアの問いに、００３は頷いた。
「やはり……」
深い溜め息。
「…そうではないかと……懸念しておったんじゃ」
首を振り、ギルモアは言葉を続けた。
「それで……迂闊な事は出来んと思ってな。かといって、むやみにウロウロしてても君達と合流できる望みも無い。それで、ほとほと困り果てて……その時、ふと思い出したんじゃよ。随分前の話じゃが、ジョーがイワンに『もしも、何かでバラバラになってしまったら……』というような事を言ってたのをな。その場所が…確かこの辺りだったように思ってな……」
確信は持てなかったものの、他にあても無かく、とにかく、ここで待つ事にしたのだ。そう、ギルモアは言った。
「…そう…だったんですか……」
そのギルモアへ、００２を担いだ００４が、ドルフィン号の中に入りつつ声をかけた。
「博士…イワンは、あと何日で起きるんですか？」
「…えーと……三日半…といったところかの……」
両肩に００７と００８を乗せ、００６を抱えた００５が入って来て扉を閉じ……。
そこで、ギルモアは００４を見た。
「ハインリヒ……」
００２達は、一体、どうしてしまったのか？
そして。
「…ジョー…は……」
何故、００９が居ないのか？ 恐ろしい想像に、ギルモアはそれ以上言葉を続けられず、００４を凝視した。
そのギルモアを見もせず、００４は担いでいた００２を床に降ろした。
「ジェロニモ。皆を寝かせて、念の為に見張っておいてくれ」
「ん」
００５が頷き、００６達を担いだまま、奥へと向かう。それ見送り、００４は００３に視線を移した。
「フランソワーズ。君は、とりあえず寝るんだ」
「ハインリヒ！ 私は…」
大丈夫よ、と言いかける００３の言葉を００４は遮った。
「判ってる。君が大丈夫だって事は、よく判ってる。だが」
そこで言葉を切り、００３の腕の中で眠る００１を見、００４は続けた。
「だがな、イワンが目を覚ますまで、あと三日。俺達三人で切り抜けなけりゃならないんだ。だから、交代で睡眠を取る。まずは君、君が起きたらジェロニモ、ジェロニモが起きたら俺が寝る」
とりあえず、三時間だ。そう言う００４に、００３は頷いた。
「わかったわ」
そして、００４がギルモアを見る。
「……ハインリヒ……」
「まずは、移動します。話は…それから……」
立ち尽くすギルモアをそのままに、００４はコクピットへと向かった。

南極の氷の下にドルフィン号を潜り込ませ、全センサーの感度を最大にし、そして、００４はギルモアに００３が誘拐されて以来の顛末を語った。
無論、片目は油断無くコンソールを眺めつつ。

「……という訳なんですよ、博士」
「………」
あまりの事に、ギルモアは言葉も無い。
沈黙。
そして、震える声でギルモアは問い掛けた。
答えは判っていたが、問わずにはいられなかった。
「……では…では、ジョーは……。ジョーは、今……」
流石にその先が言葉にならない。
唇を噛み、００４は言った。
「…今頃は…拷問されてる……でしょうね」
「そんな……」
「博士……」
「…駄目じゃ……ジョーは………」
頭を抱えるギルモアの肩に、００４がそっと触れる。
「……大丈夫です…きっと……。ジョーだって、サイボーグなんですから、そう簡単には、死にゃしません……」
「…違うんじゃ……。駄目なんじゃ……ジョーは……」
「博士？」
首を振るギルモアに、００４は不審気に問い返した。
「何が……駄目なんですか…？」
「駄目なんじゃ…ジョーだけは……そんな…事に……なったら……」
「一体、どういう事なんですかっ？ 何が、駄目なんですかっ？ 博士！」
ただならぬものを感じ、００４が詰め寄る。それを見上げ、ギルモアは深い溜め息を吐いた。

「君達の誰一人とて、拷問にかけられるなどという目には会って欲しくない。だが。だが、もしも、どうしても誰か一人が……というのであれば……フランソワーズとジョーでだけは、あって欲しくなかった……」
ギルモアの言葉に００４は眉根を寄せた。００３であって欲しくない、というのは解る。だが、００９も…というのはどういう事なのか？
じっと見詰める００４の視界の中で、ギルモアは、俯いたまま、呟くように言葉を続けた。
「……フランソワーズとジョー以外……せめて、君か…ジェットかジェロニモか……君には悪いが、が、しかし……これが君や彼等であれば、少しは…少なくとも、今よりは……気が楽であったかもしれん……」
「それは……どういうことですか？ 博士……？」
００４が問い返す。
深い溜め息をひとつ吐き、遠くを見るようにして、ギルモアはゆっくりと話し始めた。
「００ナンバーサイボーグは、プロトタイプだ。一番初期の頃の Black Ghost のプロジェクトにあったのは、００２、３、４、５の四人だけじゃった。その後、ガモ博士が００１を連れて現れた。そして、彼の提案を入れて００６と００７がプロジェクトに加えられた。つまり、００２から００５までが実戦用。００６と００７が工作用という訳じゃ。更にその後、深海及び宇宙空間での活動用により強化されたものを……という上層部からの要求で、００８が造られることになった。００ナンバープロジェクトは、当初、ここまでの筈じゃった」
だが、とギルモアは溜め息を吐いた。
「００１から００８の機能は、あまりにも特化していた。特定の局面では非常に強力だが、不適切な局面では逆に不利だ。無論、プロトタイプだから、あえてそのようにしたのだが……実際の『商品』となるものも、概ねそいういった造りにし、何体かをセットにする予定だったのじゃ。ところが。００ナンバープロジェクトも終わりかけの頃、上層部から新たな要望が出された。それは、一人であらゆる局面に対応できるサイボーグを作って欲しい、というものじゃった。複数人を送り込めないような…諜報活動や暗殺あるいは護衛といった隠密行動を一人でこなせるような…そういうサイボーグを作って欲しい、と。量産型ではなく、一品モノで…金に糸目は付けず…組織の切り札となるような、強力な戦闘力を持つサイボーグを作って欲しい、と」
そこで言葉を切り、軽く息を継いで、ギルモアは話を続けた。
「私達は非常に悩んだ。どんな局面でも切り抜けられる、しかも単独で、その上、隠密行動も可能な……。これは本当に、難しい注文じゃった。何しろ、隠密行動をしなくてはならないとなると、あまり人目に付く容姿ではいけない。つまり、００５のように、見るからに強そうであってはまずい。００４のように隠し武器を仕込むのも、探知器にひっかかる可能性があるから、駄目。にもかかわらず、これまで造った００ナンバーの全員よりも、優れた性能でなくてはならない。ハッキリ言って無茶な注文だった」
目を閉じ、目を開く。
「散々に悩み、討議を繰返し、そして、私達はひとつの結論に達した。それは……限りなく人間に近いサイボーグを造る、という結論じゃ。基本的に、人間に無い能力は付けず、特定の能力だけの強化もせず、全体をバランス良く一様に強化する。そして……総ての神経系を残す」
「…え？」
「サイボーグ体は、様々な衝撃に耐えられるように造られている。そのかわり、神経系を間引いてある程度以上の微妙な皮膚感覚をなくす。ダメージに対して苦痛を感じなければ、戦いやすいからだ。だが、それは利点であると同時に欠点にもなる。私達はそういう結論に達したのじゃ」
話の方向が判らずに、００４が首を傾げる。
「格闘技の達人が、気を感じる事ができるというような話があるじゃろう？剣の達人などでもそういう話を聞く。そういった、気…気配…といったものを感じる力は、長年の経験にもよるが、五感からの情報によるところも大きい。つまり、僅かな風の揺らぎ、温度変化、いわゆる『肌で感じる』そういった感覚によって相手の位置を掴み、次の攻撃を予測する。これは、ある程度以上の微妙な皮膚感覚を奪われたサイボーグには、困難…というよりも不可能だ。そこで、そういうセンサーを付けてみよう、という話になったのだ。だが、こういった『感覚』をキャッチする為のセンサーとしては、生身の神経系以上に優れたものは、今のところ存在しない。無論、サイズを度外視すればいくらでも繊細なセンサーは作れるが、この場合、それでは駄目じゃった。人間のサイズにおさまらないものでは、話にならないじゃろう。そこで、００９は、総ての神経系を……生身のままに残す事にしたのじゃ」
００４が黙り込む。
「………それは…つまり……？」
「ジョーの体は、強靭なサイボーグ体だ。少々弾が掠ったくらいでは、ビクともせんし、普通の人間ならば死ぬような傷を負っても、サイボーグ体は数週間はもつ。だが………」
「…あ……」
徐々に話が見えてきて、００４は息を呑んだ。
（ま…さか……）
「酷い…拷問を受け……生身の人間ならば、死んでしまうような状態にされても……ジョーは、死なないじゃろう……だが……」
「……だが、その間、ジョーは…死ぬ程の苦痛を味わうことになる……と？」
掠れた声で００４は言った。ギルモアがかすかに頷く。
「そうじゃ……そして、Neo Black Ghost 側が、ジョーのサイボーグ体の特性を知らなければ、恐らく……神経系が間引かれた普通のサイボーグと同じように扱うじゃろう……多少の事では苦痛を感じないと…思って……」
「………」
「…サイボーグ体がまいるよりも先に、おそらく…ジョーは……発狂……するじゃろう……」
００４には、最早、言葉が見つからなかった。

「…ぁ〜ふ……」
小さなあくび。その声に、００４は飛び上がった。
「イワン！」
ゆりかごに駆け寄り、ひっさらうように００１を抱き上げる。
「…アワワワワ……ナ…ナニヲスルンダヨ はいんりひ……！」
目を白黒させ、００１がテレポートで００４の手から逃れ、ゆりかごに戻る。
そして、急いでゆりかごを宙に浮かせた。
「大変なんだっ！」
「キミ ガ ソンナニ 慌テル ナンテ、 一体、ナニガ アッタ ト イウンダイ？」
ふよふよと宙を漂うゆりかごから、身を乗り出して００４を見下ろしながらそう言い、そして……
「………ナンダッテッ！」
次の瞬間、００１はふっと消えた。

その部屋には、麻酔で眠らされた００２、００６、００７、００８がベッドに寝かされていた。今は００５が見張りの順番で、腕を組んで椅子に座り、仲間達を心配気に見ている。
そこへ、ゆりかごに乗った００１が、テレポートして現れた。
「…イワン…起きたのか……」
００５が立ち上がり、状況を説明しようとする。けれど、００１はそれを制した。
「ワカッテ イル。静カ ニ シテテ クレタマエ」
「……ん…」
ふよふよと浮かびながら、００１は００２に近づき、続いて００６、００７、００８と順番にその上を通っていった。
「フム……」
そこへ、ギルモアと００４が駆け込んでくる。
「イワン！」
「…静かにする」
「………」
００５が言い、ギルモアと００４は黙った。そっと扉を閉め、００１を見詰める。
三人が見守る中、００１から淡い光が放たれはじめた。
そして、それに呼応するような形で、００２達の体も、微かな燐光に包まれる。
本来、ESP の発動は、目には見えない。ESPを感知する能力を持つESP能力者以外が、それを『見る』ことは、本来は不可能なのだ。
けれど、あまりにも強力な００１のESP波は、その能力を持たない者にすら『見える』事がある。勿論、実際には、目で見えている訳ではなく、ESP波が脳の視覚野に作用して、見えたように感じるだけなのだが。
やがて。
００２達を包んでいた燐光が消え、００１から放たれていた光が薄れていき……
「……フゥ……」
「イワン…？」
問い掛けるような視線の中、ゆりかごが舞い下りてきて、テーブルの上に着地した。
「…モウ、大丈夫ダ。麻酔カラ 覚メタラ、正気 ニ 戻ッテ イル ハズ サ」
「そうか……」
やれやれ、と一同は溜め息を吐いた。
「はいんりひ、じぇろにも、ミンナ ガ 目覚メル マデ 少シ 休ンダ 方ガ イイ。見張リ ハ ボク ガ 引キ受ケル」
「わかった…たのむ……」
「ソレカラ 博士……」
「な…なんじゃ、イワン？」
「…ボク ニ みるく ヲ チョウダイ」
おなかがすいたよ、と言う００１に、ギルモアは頷いた。

「な…な……んだとぉっ！」
室内に、００２の怒鳴り声が響いた。
「じゃあ…お前は、敵に捕まってるジョーを置き去りにして…それで、逃げて来たってぇのかよっ！」
ダン！ と机に拳を叩き付け、００２が００４を睨む。
「そうだ」
腕を組んだまま静かに答える００４に、ついに００２は椅子を蹴立てて立ち上がった。
「て…んめぇっ！」
「ジェ…ジェット…！」
隣に座っていた００６と００７が慌てて腕を掴もうとする。
だが。それよりも早く、００２はテーブルを飛び越えて、００４に殴り掛かった。
「このっ、冷血野郎がっ！」
無論、００４が黙って殴られる訳はない。
００２がテーブルを越えて来る隙に、素早く飛び退いて身構えると、繰り出された渾身の右ストレートを、両手を交差して受け止めた。
バシッ…
手と拳とがぶつかる、硬い音。
「…ちっ……」
００２が舌打ちしつつ、左拳を繰り出そうとした、その時。
「ヤメタマエ！」
００１の声が響いた。
と同時に、００２の体がピタリと動きを止める。００１がテレキネシス（観念動力）で押さえつけたのだ。
「…んで止めるんだよっ！ イワン！」
００２が叫ぶ。
「この野郎が置き去りにしてきたせいで、今頃、ジョーは酷い拷問を受けてるんだぞ！」
それへ、落ち着いた口調で００１は答えた。
「今ハ、モメテイル場合ジャナイ。ソレニ……」
００９の判断は正しい、と００１は言う。あの局面での選択としては、最良だった、と。
「イワン！」
００２が吠える。その鼻先に浮かび、００１は言葉を続けた。
「タトエ、はいんりひ達ガ、ジョー ヲ 見捨テズ ニ、捕ワレタ ママ デ イタ トシテモ、ヤハリ ジョー ハ、拷問サレタ ダロウ」
「な……？」
目を見開く００２の前で、ゆりかごから身を乗り出して、００１は言う。催眠処置が効かない以上、自分とギルモアの行き先を００９から聞き出すには、拷問するしか無い。だから、００４達が００９を見捨てずに Neo Black Ghost の研究所に残っていたとしても、結局、００９は拷問される事になっただろう、と。
「………」
「ソシテ、ソノ場合、ねおぶらっくごーすと側ハ、ジョー ニ対シテ、モット効果的ナ拷問ヲ、スルコト ガ 出来タ ダロウ ネ」
「？？？」
どういう事だ？ と言いたげな００２に、００１はこう言った。
なに、簡単な事だ。つまり、君達の誰か、例えば００３を拷問して、それを００９に見せれば良いんだ…と。
「……あ…！」
００２が息を呑む。
「ソウ ナレ バ、イクラ ジョー デモ、ボク ト 博士ノ 居場所ヲ 言ワズニハ イラレナカッタ ダロウ」
だから、００９を助ける事が不可能なのであれば、次善の策は、００９以外の全員が逃げる事なのだ。そう、００１は言った。
「ナゼ ナラバ……」
００４達が無事に逃げ、自分達と合流して体勢を立て直せれば、００９を助け、そして Neo Black Ghost を倒せる可能性があるからだ。全員で捕まっていたのでは、その可能性すら、無い。
「ジョー ノ判断ハ、正シイ……」
最も勝算の高い方法だ、と００１は言う。
「ワカッタ カイ？ じぇっと。ダカラ、ボク達ハ、ジョー ガ ツクッテクレタ コノ ちゃんす ヲ 活カサナクテハ ナラナインダ」
呑気に言い争いをしている場合じゃない。そうだろう？
００１の言葉に、００２はうなだれた。
「ジェット……」
００４が声をかける。
それをチラリと見上げ、目を伏せて溜め息を吐き、００２は呻くように言った。
「……わりぃ……」
「いや……」
「考えてみりゃ、俺は何もしてねぇんだよな……。何の役にも……」
「コレカラ働イテ貰ウサ、じぇっと」
「……あぁ」
何でも言ってくれ、と頷く。
「デハ、ショクン。即座ニ 発進準備ニ カカッテ クレタマエ」
「了解！」

一斉に動き出す一同の上を、ふよふよと浮びつつ、００１は一人呟いた。
（……悪イ予感ガスル……イヤ、チガウ…何ノ予感モ、感ジラレナイ……）
いつもならば、漠然とした予感があるものなのに、今度は、どうした事か、何も感じられないのだ。
（…ジョー……君ハ、無事カ？）
生きている事は間違いない、と００１は思う。だが、生きていれば無事かといえば、そうではない。
（マッタク…無茶ナコトヲ……）
確かに、００９の選択は正しい。それは間違いない、だが……。
そこまで考えて、００１は溜め息を吐いた。
（今更…ヤリ直シ ハ デキナイ……）
とにかく、自分が『夜』の時間に入る前に、決着を付けなくては。そうでなければ、何か大変な事になりそうな気がする。
予感では無い。
それは……漠たる不安であった。

ウラル山中にある、Neo Black Ghost の研究所。

最後の、ライ一党以外の研究員達を乗せたものとしては最後の、連絡艇が発進して行き、ウラル山中にある研究所には今や、ライとその一党しか残っていなかった。
「……あと…どれぐらいだ……？」
司令室の一画にある、司令官用の椅子に座り、ライは傍らのアイラニに問い掛けた。
「そろそろ、最後に送り出した連絡艇が、北海基地に到着しているでしょう。我々の到着予定は、その三時間後…と言ってありますから……」
その三時間が経過し、暫く待っても自分達が行かなければ、恐らく、北海基地から偵察の部隊が来るだろう。
「まぁ、イキナリ攻撃しては来ない…と思いますよ。仮にも、ライ様は上級幹部なんですから……」
どんなに疑われていても、それでも。北海基地の基地司令程度の権限では、予定通りに来ないからといって、即座に裏切りと断定して攻撃をかける、などという真似は出来ない筈だ。アイラニはそう言う。
だが、その言葉にライは小さく首を振った。
「…だがな……最高幹部会議の発行した指令書があれば……話は別だ。もし、俺達の行動がクワイトに予想されていれば……」
「…あ……！」
アイラニが息を呑む。
「事前にクワイトが手を回して、予定の時刻を過ぎても俺達が北海基地へ移動しなければ、それをもって裏切りの証拠とし、攻撃隊を出させるよう、指令を発していれば……」
そうであれば、あと８時間もしないうちに、この研究所に攻撃の部隊が来る。
そして、そうなったら。
「……陥落は…時間の問題だ……」
「ライ様…」
唇を噛んで俯くライに、アイラニはかける言葉が無かった。

（００９は……どうなった…だろうか……？）
ライは呻くように呟いた。
（…バイスに連れて行かれてから…もう……四日…か？）
そう思い、ライは小さく首を振った。
（…バイスは『殺すな』という指示を受けていたから……生きては…いるだろうが……）
だが、バイスに拷問されて三日以上生きていた者は、これまでいない。サイボーグであれば、生身の人間よりは持つだろうし、『殺すな』という指示を（しかもクワイトから）受けている以上、手加減はするだろう。
だが、とライは想う。
（…何日…耐えた……？）
二日か、あるいは三日か。何日目で喋ったにせよ、今頃は、生死の境をさ迷っているだろう。
（００４達は…無事に、００１と合流できただろうか……？）
００９の口から００１の居場所がバイスに知られる前に、００４達は００１と合流できただろうか？
もし、できていなければ、幾ら待っても、ここに００１が来る事は無いだろう。多分、既に殺されているだろうから。
（もし、そうなっていたら……）
状況は絶望的だ、とライは思う。
００１と合流できなければ、催眠状態に陥ったままの００２、００６、００７、００８が正気に戻るまでは、ここには来ないだろう。全員の催眠が自然に解けるのに、どれくらいの時間がかかるかは、判らない。
（だが…どう考えても、Neo Black Ghost の攻撃部隊が来る方が早いだろう……）
自分の決断は、間違っていたのだろうか？ とライは自問する。
（俺は…クワイトの罠に……みすみす全員を…陥らせたのか……？）
だが、もう遅い。後戻りは出来ない。
けれど。
（……俺は……）
「ライ？」
不意に声を掛けられて、ライは顔を上げた。
「…カティサック……？」
「どうぞ」
テーブルの上に、ティーカップが置かれる。仄かに漂う、ラベンダーの香り。
「ライ……」
静かな光を湛えた黒い瞳。それが、ライのアイスブルーの瞳を覗き込む。
「…チアフルから、伝言です」
「？」
「『少しは自分の部下を信頼しろ』と」
意味が解らずに、ライは目をしばたたかせた。
その様子に、カティサックが微かな笑みを浮べる。
「解りませんか？ ライ」
軽く首を傾げ、カティサックは言葉を続けた。
「…私達は、皆、自分自身の判断で、貴方の決定に従う事にしたのです。つまり、私達は、貴方の決定が正しいと判断して、貴方に従っているのです」
「………」
「私達は全員、自分で言うのも変な話ですが、優秀な学者です。少なくとも、Neo Black Ghost が研究員として欲する程度には。論理的思考や判断力には、それなりの自信があります。その私達が、貴方の判断を是としているんです。貴方が間違っているのであれば、私達全員が間違っている訳です。……私達の判断力は、そんなに信頼性が低いですか？」
「……カティサック……」
そして、ライは首を振った。
「…すまん……俺は……」
言われてみれば、そうだ。何もかもが自分のせいだと思い詰めるのは、ある種の奢りでもある。
「……そうだな」
苦笑。
「…これだけの支持があるんだから、少なくとも、論理的にはかなり正しい…という訳だ」
「えぇ。あとは、運次第…だと思われますが……」
これは人知の及ばぬところ。悩んでも仕方が無いです。そう言うカティサックに、ライは頷いた。

自室に引き揚げて軽く仮眠をし、司令室へ戻ろうと起きだしたところに内線が鳴り、ライはハッとした。
時計を見遣りつつ、受話器を取る。
電話の向こうはチアフルだった。
『ライ。飛行物体が一機、近づいてきている。識別信号は無い。民間機でも、どこかの国の軍用機でも、Neo Black Ghost のものでも無い』
流石に、いつもの呑気な調子は無い、緊迫した声。
「…という事は……」
『ああ。来た…んだと思う』
００ナンバー達が。
「すぐ行く！」
そう答え、ライは部屋を飛び出した。

「誰カガ、ボク ヲ 呼デイル……」
不意に００１が言った。
「えっ？」
一同が、一斉に００１に注目する。
見詰める視線の中で、００１のゆりかごは、ついっと空中に浮かび上がった。

「ボク ヲ 呼ブ ノハ……誰ダ…？」
＜…０…１……０…０１……００１！！＞
「ダレダ？」
＜あ……き、聞こえているのかっ？＞
「聞コエテ イルトモ……キミ ハ 誰ダ？」
＜……俺は、ライ。Neo Black Ghost幹部の一人だ……００１、俺の心を解放する。悪いが、そっちから読んでくれ。俺の能力では、コンタクトを保つのが精一杯なんだ………＞
「ワカッタ…」
００１が思念の触手を伸ばし、ライと同調する。
僅か数十秒で００１は事情を理解した。
「……ナルホド……」
００１が呟く。
＜……００１？＞
「…キミ達ノ 事情ハ ワカッタ。キミ ノ 言ウトオリ、どるふぃん号ハ、コノママ、ばいすノ基地ヘ 向カッタ方ガ、イイ ダロウ。ダガ、キミ達ヲ ホウッテ オク訳ニハ、イカナイ」
＜００１！ 俺達の事は気にしなくていい！ まだ００９が生きているのだったら、一刻も早く、助けに……＞
「ソウハ イカナイ ヨ、らい」
ライの思考を００１は押し返した。
「…モシ、ねおぶらっくごーすとノ攻撃隊ガ来レバ、キミ達ハ間違イナク、全滅スルコトニナル」
＜それは、覚悟の上だ……＞
「ソウハ イカナイ」
断固とした調子でライの言葉を弾き返し、００１は言った。
「トニカク、暫ク、黙ッテイテクレタマエ」
＜………＞
そして、００１はライとの同調を切った。仲間達に事情を説明する為に。

「イワン？」
不思議そうに見上げている一同の上を漂いつつ、００１は手短に事情を語った。
ライ一党が、Neo Black Ghost 内の反乱分子である事。
００９は、００４達が脱出した直後に、ヒマラヤ基地へ連れて行かれた事。
ライ達の居るウラル研究所を、Neo Black Ghost は放棄した事。
その為、研究所には、今やライ一党以外は残っていない事。
それらを掻い摘んで語る。
「…トイウ訳デ、キミ達ハ、コノママ ひまらや ヲ目指シテクレタマエ。座標ハ、こんぴゅーた ニ 入力シテオイタ」
「おいおい、イワン。『キミ達ハ』って……お前さんは、どうするんだよ？」
尋ねる００２に、００１は答えた。
「ボク ハ、博士ト一緒ニ、らいノ研究所ヘ行ク」
「え？」
「らい達ヲ、放ッテオク訳ニハイカナイ。カレラハ、科学者バカリダ、裏切ガ発覚シテ……モウ、発覚シテルト思ウケド……攻撃隊ガ差シ向ケラレタラ、彼等ハ全滅スル……」
だから、僕があの研究所の防衛をする。あれくらいの規模なら、一人でも十分だ。そう００１は言った。
「…そ…そっか……。そうだよな……」
頷く００２をチラリと見遣り、００４は００１を見上げた。
「だが、奴等…信用できるのか？」
ライとかいう奴は、Neo Black Ghost の幹部なんだろう？ 罠じゃないのか？ そう言う００４に、００１はキッパリと言った。
「ボクハ らい ト 同調シタンダヨ、はいんりひ。同調状態デ、嘘ヲツクコトハ、不可能ダ」
普通の『読心』と違って、『同調』は、精神が重なり合った状態を指す。その時、自他間の壁は無くなり、相手の記憶そのものを、まるごと伝え受ける事になるのだ。ここには、どんな誤解の余地も無い。『同調』によって伝え受けた記憶は、自分の記憶と同じように『思い出す』事ができるようになる。相手の知識、経験、感情、その総てが正確に伝わるのだ。
「らいガ、ナゼ Neo Black Ghost 幹部トナッタノカ、ソシテ、何故、裏切リヲ決意シタノカ。ボク ニハ、ソノ 総テガ ワカル。イマ ノ らい ハ、ボク達 ト 変ワラナイ程ノ 真摯サデ、Neo Black Ghost ヲ 倒シタイ ト 願ッテイル。ソシテ、ジョー ノ コトヲ…トテモ トテモ 心配シテ イル……」
大丈夫だ。そう言う００１に、００４は軽く溜め息を吐いた。
「……解った……。まぁ、お前さんがそう言うなら……間違い無いんだろう」
「デハ……ボク ト 博士は、うらる研究所デ 待ッテイル。クレグレモ、気ヲツケテ」
そう言い残し、００１はゆりかごごと、宙に掻き消えた。

「わっ！」
突然、司令室に出現したゆりかごと一人の老人に、チアフルが悲鳴を上げて飛び上がった。
「００１！？」
ライが目を丸くする。他の者達も、始めて目にするテレポート能力に、声も無く目を見張るばかりであった。
「ハジメマシテ…ト言ウベキカナ？ らい」
「……あ……。まぁ……そう…だな……」
呆然としたまま、ライは頷いた。
「トリアエズ、えすとら……」
「…は…はいっ！」
いきなり指名されたエストラが、上擦った声で返事をする。
「ぎるもあ博士 ヲ、べっどニ寝カセテアゲテ クレナイカナ？」
意識があるとテレポートさせられないから、眠らせたのだ。だから、起きるまで、医療センターの病室にでも寝かせておいてくれ。そう言う００１に、エストラは頷いた。
「…わ…わかりました……」
振り返り、呆然としている医療スタッフに担架を持って来るよう指示を出す。スタッフ達は、ハッとし、００１を見、ギルモアを見、エストラを見、半ば呆然としつつも、とにかく頷き、いまひとつ覚束ない足取りで、担架を取りに行った。
その様子を見つつ、ライが呟くように尋ねる。
「一体……？」
それへ、００１はふわふわと司令席に近付きつつ答えた。
「他ノ ミンナ ハ、ジョー…００９ ヲ 助ケル タメ ニ、どるふぃん号デ ばいすノ 基地ヘ 向カッタ。ソノ間、コノ研究所ハ、ボク ガ 守ル」
「え…？ しかし……」
００４達だけで、大丈夫なのか？ ライがそう思う。
「心配ハ イラナイ。ボク ノ 仲間達ハ、ボク ガ イナクテモ 十分ニ戦エル」
そもそも、自分が起きているのは月に半分なのだ。つまり、寝ている間は、彼等だけで戦ってきたのだ。そう、００１は言う。
そして、司令席へゆりかごを着地させると、００１は言った。
「ソレデハ ショクン、研究所ノ防衛ハ、ボク 一人デ充分ダ。全員、休養 ヲ 取リタマエ」
一同が顔を見合わせる。
暫しの沈黙。
「そう…だな……」
００１を見、一同を見回し、ライは小さく頷いた。
「…確かに…００１が防衛を引き受けてくれるのであれば、俺達が居ても役にはたたんな」
「００９ヲ 救出シテ、ミンナガ来タラ、イロイロト ヤッテ貰ウ コト ニ ナル、ダロウ」
「解った。では…暫くの間、頼む」
「マカセテ クレ タマエ」
００１が答え、そして、一同はぞろぞろと司令室を出ていった。