ウラル山中にある、ライの研究所。
結局、００９を助け出す事ができなかった００４達は、ドルフィン号でここに来て、ライ一党（と００１、ギルモア）と合流をしたのだった。

お世辞にも和やかと言えない雰囲気の中で、ライ一党と００ナンバー達の顔合わせが行われる。
そして、どうにか一段落ついたところで、００２は仲間達を見回し、苛々と言った。
「こうしててもしょうがねぇ、とにかく出かけようぜ！ 早いトコ、ジョーを助けなけりゃ！」
「…けど…何処へ…？」
闇雲に飛び出しても仕方ないんじゃないか？ と言う００７に、００２は食ってかかった。
「何処でもいい！ アヤシイところを片っ端から探すんだ！ ここにじっとしてたんじゃあ、ジョーは見つからねぇ！ とにかく、出発だっ！」
「いやあの……」
助けを求める様に００７がきょろきょろする。そこへ、００１が口を挟んだ。
「ぐれーとノ 言ウ通リダヨ、じぇっと。居場所ガ 判ラナイ ノニ、ドコ ヘ 行コウ ト イウンダイ？」
「イワン！」
「ジョー ハ、生キテイル。ソレ ハ、間違イ ナイ」
「イワン！ それは…本当なのっ？」
問い掛ける００３に、００１はキッパリと答えた。
「ホントウ ダ。間違イ ナイ」
自分と仲間達の間には、『絆』がある。魂の兄弟としての絆が。だから、たとえ宇宙の果てに居たとしても、その存在が消えてしまえば判る筈だ。００１は、そう断言した。
「ダカラ、ジョー ハ 生キテイル。ソシテ、ボク ト らい ノ 推理 ガ タダシケレバ、当面、ジョー ガ 殺サレル 心配ハ、ナイ」
「それは…どういう事だ？ イワン」
００４が目を細めて００１を見上げる。
沈黙。
００１のゆりかごが、一同の上をふよふよと飛ぶ。
「イワン！」
００２が叫ぶ。
と。
ウロウロと飛んでいた００１のゆりかごがピタリと止まった。
「……長期戦ニ ナリソウナ 気ガスルンダ」
「は？」
唐突な台詞に、００ナンバー一同が首を捻る。
「…ボク ガ『夜』ノ時間ニ入ル前ニハ、片付カナイヨウナ…気ガスルンダ」
「そういう…予感、なのか？」
「チガウ」
００４の言葉を、００１は言下に否定した。
「…ソノ 逆ダ。何ノ 予感モナインダ」
この件については、どんな予感も感じない。良い予感も悪い予感も。
「？？？」
それは一体どういう事なのか、と訝しげな瞳をする一同に、００１は言った。
「ボクニモ、ヨク 判ラナイ。ケレドモ……」
自分達の力と敵の力とが、あまりにも拮抗している為、あらゆる可能性が同じ確率になってしまい、この先に何が起きるかが全く判らない状態になっているのではないか。その結果として、何の予感もしなくなっているのかもしれない。００１は、そう言った。
「…ふ…む……？」
判ったような判らないような顔で、一同が曖昧に頷く。
「トニカク、コノ先ドウナルカ ハ、ボク達ガ ドウ 行動スルカ ニ カカッテイル。結局、イツモ ト カワラナイ」
「まぁ…そうか……」
００２が頷く。００１の予感はあくまでも予感であって、決定事項では無いのだ。自分達の行動によって、状況は変化し、状況が変化すれば、未来の確率も代わる。
「…よーするに、いつも通りって事だろ？」
なら、ごちゃごちゃ考える事は無い。そう言う００２に、００１は小さく溜め息を吐いた。
「マァ…ソウ ナンダケドモネ……」
「で？」
長期戦になりそうだから、どうだと？ と００４が話を戻す。
「トリアエズ、らい ノ 話ヲ聞イテ欲シインダ」
「………」
００４が眉をひそめる。
「らい達ハ、ボク達ト目的ヲ同ジクスル。今回ノ敵ニツイテ、彼等ハ ヨク知ッテイル。勿論、ボク ハ、らいト同調シテ、スベテヲ理解シテイルケレド、デモ、長期戦ニナルノデアレバ、ボクガ『夜』ノ時間ニ 入ル 事ダッテ、アル訳ダロ？」
だからその前に、君達にもライの事情を理解して、そして、協力体制を築いて欲しいのだ。００１はそう言った。
「敵ハ、強大ダ。イマ、キミ達ガ 想像シテイル ヨリモ、ハルカニ……」
とにかく、まずはライの話を聞いてくれ。長い話になるけれども。でも、そうすれば、自分とライが、何故００９がすぐには殺されないと考えたのかも、判るだろう。
００１の言葉に、一同は顔を見合わせ、そして頷いた。

００１から００８までの００ナンバー一同と、ギルモア、ライ、そしてアイラニが会議室に移動する。ライ一党の他のメンバーは、皆知っている話だからという訳で同席はせず、Neo Black Ghost の攻撃部隊が来た場合に備えて、割り当てられた持ち場に散って行った。

席に着いた一同を見回し、そして、ライは００１を見上げた。
「どうする、００１。全員に、俺の思考を中継するか？」
一同が、００１に注目する。
「…イヤ、ソレハ シナイ……」
ふよふよと宙に浮びつつ、００１は答えた。
「言葉 ニ ヨル こみゅにけーしょん デ、相互理解ヲ シテ モライタイ」
そうでなければ、自分が『夜』の時間に入ったら、君達は上手くやっていけなくなるだろう。そう言う００１に、ライは小さく頷いた。
「…わかった」

「最初に言っておくが、現在の俺は、Neo Black Ghost の敵だ。ま、確かに、それが、イコール君達の味方であるとは限らないがな。……００１がいるから隠し事は無駄だし、もとより隠すつもりは無いから、言ってしまうと、俺はNeo Black Ghost 設立者の一人だ」
一瞬、全員がざわめく。
「ギルモア博士のように、だまされていた訳ではない。それと知りながら、その創立に力を貸した。１５年程前の話だ。当時、俺の妹には、恋人がいた。だが、そいつにはちょっとした問題があった。知能の発達が阻害されていてたんだ。俺と大差無い年だった筈なのに、日常の会話にもなかなかついていけない有様だったんだ。俺は脳外科医のはしくれで、同年代の中ではピカ一の腕前で、手術を頼まれて出かける事も少なくなかった。それで、何とかそいつの頭を人並にできないものか、と。もっと言えば、俺になら何とかできるだろうと……まぁ、そう思って、色々と研究を重ねた。そして、俺は一人の男に出会った。そいつはあるレポートを俺に見せてくれた」
そして、ライは００１を見た。
「ガモ・ウィスキーという男の書いたレポートだ」
全員が息を飲む。
「そこには、新生児にある手術を施した結果、人知を越えた力を得るに至ったと……知能の向上だけでなく、超能力…俺と同じような力を手に入れたと……書かれていた。ただ。その手術は非常に危険で、そして恐らく非合法であろうと思われた」
そこで、ライはため息をついた。
「しかし、当時の俺はそんな事は全く気にしなかった。そして俺はその男に協力することにした。そいつは、口に出しては言わなかったが、世界を戦乱の渦に陥れる計画を持っていた。奴は、その為に俺を利用しようとしていたんだ。当然ながら、たくらみは、俺には筒抜けだった。だが、俺はだまされたフリをした。世界の行く末など俺の知ったことではなかった。非合法の研究を誰にはばかることなくすることができる、しかも、研究費をいくらでも使って……。その事の方が俺には重要だったんだ。……そして俺は、妹の恋人だった男を連れて行方をくらました」
ちょっと言葉を切り、遠い目をする。
「当時の俺は、自分の才能に酔っていた。俺がテレパスであることを知る者は誰もいなかったから、全員の考えはすべてお見通しだったし、研究も順調だった。そして、いよいよ、脳手術を実行することになった」
ライが一瞬目を伏せ、それから瞳をあげる。
「手術は…ある意味では、成功だった。確かに、奴の知能は常人を遥かに越えるレベルに達した。他人の思考を読むことはできないが、感情の波を感じることはできるようになった。共感能力。いわゆる、『エンパシー』と言われる能力だ。しかし……。奴はそれまでの記憶を総て失った。俺の事も妹の事も忘れ、自分が誰かも判らなくなっていた。そして、性格が恐ろしく残忍なものになっていた」
下唇を噛み、ライは言葉を続けた。
「最初の一週間で、奴は五人の男を殺した。普通の殺し方じゃない。なぶり殺しだ。耳をそぎ落して、目をえぐり出して……。そうやって、奴は楽しんでいたんだ。殺される者の、苦痛と恐怖の“感情”の波を」
しん、と静まり返った室内に、ライの低い声だけが響く。
「……奴は狂っていた。確かに知能は高くなった。しかし……。一月も経って、言葉を覚え、様々な知識を吸収するようになると、奴はもっと恐ろしいことを始めた。兵器の開発だ。しかも、一撃で殺すのではなく、徐々に殺すような……。何十人もの人間がさらわれてきて、実験台にされた。その悲鳴を…奴は楽しんだ訳だ」
誰もが黙りこくったまま、ライの言葉を聞いていた。
「俺達は奴を閉じ込めて、対応策を協議した。知能の向上は良い。奴の造った兵器類も、かなり使える。だが、あの性癖はちょっと困る。別に博愛精神に溢れてなくても良いが、もう少し、見境があるようにならないのか、と。手術には時間も金もかかっていたし、『奴だから』ああなったのか、それとも、『脳手術の過程』そのものに問題があったのか、そこのところを突き止めなくてはならなかった。だが、これといった原因も判らず、対策として施してみた処置も成果が得られず、いい加減に諦めて奴を『処分』しよう、と皆が思い始めたある日、当時の総裁……俺のもとへガモ博士のレポートを持ってきた男が、奴を見にやって来た。多分、単なる好奇心だったんだろうが、総裁は奴と会って話をしてみたいと言った。俺は迷ったが、組織の金をかなり使った挙げ句に出来上がったのが失敗作だった…という負い目もあって、言われるがままに許可した。あとで考えてみれば、これが失敗だった。奴は総裁を見、恐らく、その感情を見、そして言った。『お前が知りたがっている事を教えてやろう』と。その当時、Neo Black Ghost は未だ小さな組織で、技術力はあっても軍事力は皆無に等しかった。技術力を売って資金を得ようとしても、物理的な力が弱いが故に足元を見られる事もあり、それが悩みの種だった。それを解決する方法を教えてやろう、と奴は言ったんだ。……実際にどういう方法を使ったのかは、俺には判らない。奴は、総裁にだけ、どうすれば良いかを教えた。そして…ほんの数ヶ月で、Neo Black Ghost は、自分達よりも大きな力を持つ筈の組織に対して、影響力を持つようになった。それで……奴を処分する話はなくなった。それどころか、奴は、それまで実験体としての扱いから、組織の構成員としての待遇を受けるようになった」
ライが大きく息をつく。
「……ことここに至って、やっと俺は自らの犯した罪の大きさに気付いた。だが、もう手遅れだった。奴の方が、俺よりも数段悪賢く、抜目がなかった。奴を利用していたつもりの初代総裁は、結局、奴に殺された。奴は別の人間を総裁に据え、影で Neo Black Ghost を支配した」
「俺は、何度も奴を殺そうと試みた。だが、総て失敗した。テレパスでなければ、逆に殺されてただろう。奴の思考を読み、先手を打つ事が可能だったおかげで、俺はどうにか切り抜けてこられた。だが、俺にはそれが精一杯だった。……俺は待つことにした。いや、待ってチャンスを伺う以外、俺にできる事は、無かった。とにかく、奴を始末せずに死ぬ訳にはいかない。死ぬなら、奴を道連れにしなければ……。だが、一人では、もう、どうしようも無かった。そこで俺は、Neo Black Ghost に無理やり連れて来られた者達を、少しづつ自分の配下に集め始めた。一応は上級幹部だった俺には、それなりの特権があったから、その特権と、テレパスとしての能力とを最大限に利用して。そうやって集めたのが、今この研究所に居る、アイラニやカティサック達だ。俺は彼等と協力し、奴を殺し Neo Black Ghost を滅ぼす方策を練った。だが、それは生半な方法では実現できなそうだった」
「そうこうしているうちに、別の問題が起こった。人数が集まれば、良い面もあるが、悪い面もある。ようするに、俺達は目立った。表立って反抗する素振りは見せなかったし、証拠を捕まれるようなヘマもしなかったが、それでもやはり、俺達は異質な集団だった。疑われ、監視され……結局、俺達は本部を追い出され、ここにやって来る事になってしまった」
溜め息。
「その後、本部の位置は移動した……。移転先を、俺は知らない。移転した後、本部へ行った事も無い。００９は本部に居るだろうが、その場所は、わからない」
「イワン…？」
００４がライを見据えたまま、００１に問う。
「らい ハ ウソ ヲ 言ッテ ハ イナイヨ。カレニハ ウソヲツク 気ハ ナインダ」

暫しの沈黙。
それを破ったのは、００２だった。
「…で。そいつの名は？ ……Neo Black Ghost の真の総裁だっていう……」
ひと呼吸おいて、ライは言った。
「……クワイト…と呼ばれている。恐らく、００９の命を握るのは…奴の筈だ……」
「そりゃどういう…？」
眉をひそめる００２を見遣り、小さく溜め息を吐き、ライは言葉を続けた。
「今回の…００３の誘拐から始まった今回の一件は、総て、クワイトの指示によるものなんだ。バイスは、クワイトの命令に従って、この研究所を拠点とし、００ナンバーの捕獲作戦を展開した。だが……」
「だが？」
「……だが、クワイトの狙いは…ひょっとすると……」
「ジョー ヒトリダッタ ノデハナイカ、トイウノガ、ボクト らい ノ 推理ダ。ナゼカトイウト……」
００１の言葉をライが引き継いだ。
「先刻も言ったが、クワイトはエンパスだ。他人の感情を見る事ができる。そして、奴には他人の苦痛や恐怖の感情を…楽しむ性癖がある。だが、大概の人間は、そんなに長い間、苦痛や恐怖に耐える事は出来ない。すぐに発狂してしまう。しかし……。００９は違う。彼の精神力は、もの凄く強い。催眠装置も効かず、俺が心を読む事もできなかった。あれ程に強い精神力を持った人間は、滅多に居ない」
そこで、ライは言葉を切り、唇を噛んだ。
「恐らくクワイトは、００ナンバーに関する数少ない資料から、００９が、極めて強い精神力を持った人間である事を、予想したのではないかと思う。それで……００９を…手に入れたいと考えたのではないかと……」
「何の…為に…？ まさか……」
００２の問いに、ライは拳を握り締めた。
「…何かの実験台か…あるいは……単に、自分のおもちゃにする為に……」
「そ…そんな！」
「だから……」
００２の叫び声を無視し、ライは言葉を続けた。
「…だから、クワイトは００９をそう簡単には殺さないだろう。００９が、発狂するまで……」
一同は、言葉も無かった。

「ここが調理場みたいね」
「そうらしいアルね」
そう答えて、００６が扉を開けようとした。
その途端。
「どぉわあぁぁーっ！」
物凄い勢いで扉が開けられ、男が転がり出てくる。そして、もうもうたる湯気。
「チアフルの、どあほー！」
「ぅうわあぁっ！ エレス、逃げるなっ！ くそ、てつだえっ！」
「冗談じゃないっ！」
どたん、ばたん、どんがらがっしゃん……。
しーん。
００６と００３は顔を見合わせた。
湯気が引いたところで中を覗き込む。ひっくり返ったロボットらしきものと、壊れた皿の破片、フライパンやら鍋、そして野菜や肉の破片が床に散らばっている。そして、調理場の一番奥に、白衣を着た男が座り込んでいた。
「あ…あのぉー…？」
００３がおそるおそる声をかける。
男が顔を上げ、００３と００６を見て目を丸くする。そして、片手で頭を掻きつつ、照れくさそうに笑った。
「あ…ども……」
ゆっくりと立ち上がり、周囲の惨状を眺めてため息をつく。
「えーっと…御用は何です？」
「あ…あの……」
００３が言い淀み、００６を見る。
「えーと、ワテらは食事の用意でもしようかと思って来たアルけど……」
「あ…ああ、食事の用意ね……あ…あはははは……その、今、食事の用意をしようとしてたトコなんだ………」
「は…あ……」
００６が００３を見上げ、肩をすくめてみせる。やむなく００３は言った。
「えーっと、チアフル…さん、でしたっけ？ ……これは一体、何事なんですか……？」
その男は、勿論、ロボット工学者にして自称厨房担当の、チアフルだった。
「あ…あぁ、これ、ね……」
チアフルが眉根を寄せて腕を組んでみせる。
「いやぁ、調理ロボットがね、ちょっと暴走しちゃって……」
「ちょっと？」
００３と００６の声がハモる。
「そ、ちょっと。まぁ、調理場に立ち込める蒸気によって回路が故障したのが原因だとおもわれるんだけど……」
チアフルが頷いて見せる。それから、組んでいた腕を解き、二人に向かって愛想笑いをしてみせた。
「で、ものは相談なんだけど…ここ片付けるの、手伝って貰えないかな……？」
００３と００６は天井を見上げた。

「００４達から連絡は？」
交代の為に司令室にやって来た００２は、コンソールの前に座る００８に声をかけた。
「いや、まだ何も……」
００８が首を振る。００２は小さくため息をついた。
「そうか……」
００９が連れ去られていった先であろう、Neo Black Ghost 本部の捜索を開始して、はや五日。００４、００１、００３、００７とライを乗せて偵察行に発ったドルフィン号からは、まだ一度も連絡がない。こちらの動きをできるだけ Neo Black Ghost 側に気付かれないようにするため、通信は必要最小限にすることになっている。つまり。何の連絡もないということは、今のところ何の成果もあがっていないということなのだ。
「あと、二日か……」
捜索の結果がどうあれ、一週間たったら戻ってくることになっている。それまでに何の成果も上がっていななければ、何か別の手を考えなくてはならないかもしれない。
（だが、どんな手がある？ ……００１ですら、見つけられないのだとすれば……？）
対ESPシールドは、かなり強力なものらしく、００１の能力をもってしても、その内部を見通すことはできないのだ。
（００９と００１とが、コンタクトできれば……）
しかし。バイスの基地の対ESPシールド内にいた００９を、００１は発見できなかったのだ。望みは薄い。あとはライのサポートだが、それがどれ程のものかは、００２には判らない。００２は小さくため息をついた。

「にしてもさ……ちょっと、信じられるかい？」
００２の言葉に００８が首を傾げる。
「…何がだ？ ジェット……」
「ライの話だよ、Neo Black Ghost が、既に世界征服を達成してる…ってヤツ……」
どう思う？ と問い掛ける視線に、００８は考え深げに唸った。
「そう…だな。……まぁ、俄かには信じ難いってのは…確かだよ」
でも、と００８は言葉を続けた。
「…そうだとするなら、色々な事が頷けるってのは…あるな」
「ん？」
「例えば今回の一件だ。まず、フランソワーズが誘拐され、グレートと張大人が誘拐された。ジェロニモが誘拐されたのは……日数を計算してみると、これと殆ど同時だ。フランソワーズ、グレート、張大人はパリで、ジェロニモは…たまたまアリゾナに出かけてたって話だ。その後、俺達は陸路で北上して行った。フランスのパリから、海沿いにオランダ…ノルウェー…そっから今度は東に向かって……。その間、何度も小競り合いがあって、一人づつ捕まって行って……」
そこで言葉を切り、００８は００２を見た。
「……催眠処置はこの研究所でしてた訳だけど、ここはウラル…だろ？」
「あぁ」
「俺達は、何回も国境を越えた。小さな組織だったら、俺達を見失っててもおかしくない。そうでなくても、勢力範囲から出れば、動きは鈍くなった筈だ。けど……」
「奴等は、俺達を見失ったりしなかったし…追撃はつづいた。しかも、かなりの戦力で……」
００２が言い、００８は頷いた。
「そう。…って事は、敵の規模はそれなりのものだと考えられる。ヨーロッパ圏とロシア……ヒマラヤ山中にだって基地があったから、最低でもユーラシア大陸は、奴等の勢力圏って事になる。しかも。奴等はヒマラヤの基地を放棄してる。あの基地の規模は、この研究所の比じゃないくらい大きかった。それをアッサリと放棄できるってのは……多分、他にもあそこに匹敵する基地があるって考えるのが自然だ。少なくとも、あの基地から移動していった連中を、十分に受け入れられる程度の規模の基地が……」
「………」
「それに、この研究所だって決して小さくは無い。岩山にカムフラージュしたり、そこそこの防衛網も整備されていて……ちょっとやそっとで作れるようなものじゃない。かなりの金がかかってる。なのに…奴等はここも放棄した。ここと、ヒマラヤ基地の二つを、こんな短期間で放棄してるんだ。それはつまり……」
「これくらい、奴等にとっちゃたいした事じゃない…って訳か」
「あぁ…多分ね。奴等にとって、この程度の研究所のひとつやふたつ、痛くも痒くもない…んじゃないかな……？」
そうなってくると、もう、これはかなりの規模の大組織だという事になる。そう００８は言う。
「…ライが言う事が本当だとしたら、あぁ…なるほどなって…思える……」
大小様々な闇の組織を統括し、それらの組織から、いわば『上納金』のような形で資金を集め、代わりに軍事力や技術力を提供する。Neo Black Ghost は、そうやって世界を支配しているのだ、とライは言った。直接的では無く、そういった世界各地に散る大小の闇の組織を使う事で、間接的に世界を支配しているのだ、と。それ故に、Neo Black Ghost の存在を知る者は極めて僅かなのだ。
そして。ひとたび Neo Black Ghost の支配下に組み込まれた組織は、もう二度と逆らう事をしなくなる。逆らえば、自分達だけが Neo Black Ghost の軍事力や技術力の恩恵にあずかれなくなるのだ。それは、他の Neo Black Ghost のバックアップを受けている組織に対し、圧倒的に不利な立場に立たされる事を意味する。そう考えれば、最早、逆らおうとしない。ライは、そう言ったのであった。
「巧妙…だよな」
「あぁ」
００２が溜め息を吐く。
「それを全部、そのクワイトとかって奴が考え…実行した訳か……」
「そういう話だよな……」
「悪賢いって言うか、何て言うか……」
首を振る００２を見遣り、００８は言った。
「ライは、そのクワイトって奴に、イワンと同じ脳手術をしたんだろ？ って事は、つまり……」
「…俺達の敵は…イワン並の頭脳の持ち主…って事…か……」
「あぁ」
００１並の頭脳を持つ者に率いられた、強大な軍事力と科学力と資金すら持つ組織。それに、今、自分達は戦いを挑もうとしているのだ。
改めてそう思い、００２は頭を抱えた。
「冗談じゃないぜ…ったくよ……」
そんな相手と戦わなくてはならないのだ。しかも、００９抜きで。
「あぁ…ほんと、冗談じゃないよ……」
そして、二人は深い溜め息を吐いた。

「………静かだな……」
ふと、００８が呟く。
「……そうだな…」
それへ、００２は溜め息混じりに応じた。研究所内外に取り付けられた警報装置のパネルを眺めながら、００８が言葉を続ける。
「俺達がここに居る事を、奴等は知らないのかな？」
「まさか、そんな事はないだろ」
「だとしたら……何故、攻撃してこないんだ？」
「ああ…俺も、そう思った。だがな。ライは、暫くは攻撃はしてこないだろうってさ」
頭の後ろで手を組んで背もたれによりかかりつつ、００２が答える。その言葉に、００８が不審気な表情をした。
「何故？」
「……ライが言うには、だ。ジョーを手に入れるのがクワイトの目的だったとすれば、それを達成した今、クワイトは俺達に対する興味を失っただろう、と。で、もし仮に攻撃してくるのであれば、ジョーから俺達の情報を総て聞き出した上で、万全の体勢でやってくるだろう…と」
沈黙。
そして、００８が低く呻く。
「だけど……ジョーが、奴等に俺達の情報を喋るか？ ……たとえ……拷問…されたとしても……」
「喋るもんかっ！ ジョーが奴等の言いなりになる訳ないっ！ ……だが……」
ふっと息を吐き、００２は呟いた。
「…だが……だとすれば、ジョーは…発狂させられちまう…！」
クワイトは、そうやって相手をいたぶるのが何よりも好きな奴だと言うのだから。
「早く…助けに行かねぇと……」
００９が発狂させられる前に。

だが。
何の手掛かりも無いままに、一週間は過ぎていった。