見上げれば、木の梢に縁取られた青い空。
太陽は中天からやや傾いた所にあって、頭上に張り出した楓の青々としたひと枝が、その光を柔らかく遮っている。
周囲に立ち並ぶ木々の間を小さな鳥が囀りながら忙しなく飛び回り、時折、見慣れない薄青色の蜻蛉がやってきて、岩の上に止まっては、また、湯煙の中を横切って去って行く。
上空から間遠に響いてくる、甲高い笛の音にも似た鳥の鳴き声。目を閉じて耳を澄ませば、渓流を流れる水の音までもが、遠く微かに聞こえて。
命の音に満ち溢れた静寂。
暖かな湯に浸かっているうちに全身がぬくもり、緊張で無意識に強張っていた力は自然と抜け、ゆったりと手足を伸ばして空を眺めていると、水中ならではの浮遊感もあいまって、周囲に広がる不思議な静けさの中へと自分が溶けていくかのような錯覚に陥る。
あらゆるものから切り離された、極めてプリミティブな、完結した世界。
そこに在るものは、木も、鳥も、虫も、川も、光も、全てが等しく、その世界を構成する要素の一つで。
自分もまた、ただひとつの命として、そこに在ることができる。
（なるほどねぇ……）
微かな風に木の葉が揺れ、水面に映る光がチラチラと瞬く。それに目を細めながら、ウィッチは感心したように頷いた。
（確かにこれは……悪くないわね……）
００３が勧めるのも理解できる、と内心で呟いて。
そして。
隣で同じように湯に浸かりながら、ぼんやりと宙を眺めている００３に視線を向けた。
（……フランソワーズ……）
００３は、一見、自分と同じようにゆったりと寛いで周囲の静寂に耳を傾けているかのように見える。けれど、その中にほんの一筋の緊張が漂っていることは、ウィッチの目には明らかであった。勿論、その理由も。

自分の身体に付いている数え切れないほどの古い傷跡。そのことを００３が知ったのは、おそらく、００９を連れてウラル研究所に行った直後の事だろうとウィッチは思う。あの状況下で『００３』が自分を『見る』のは当然のこと。そして、見れば間違いなく気付いただろう。何しろ一つや二つでは無いのだ。気付かないほうが難しい。
（でも……あなたはそれを誰にも言わなかった……のね）
００１に対してどうしたのかは判らないが、その他の００ナンバーには（当然、００９にも）結局その事を言わなかったようだ、というのがウィッチの結論だった。
そして。
当の自分に対しても、００３は、自身がその事を知っているのだと示唆するようなことを一度もしなかった。
それは賞賛に値する、とウィッチは思う。
『００３』は、本来であれば見えない筈のものを一方的に『見る』ことができる。そうして知り得た情報の取捨選択は、極めて重要で困難だ。戦闘時にそれを誤れば、仲間達の命を危険にさらすことになるだろう。
だが、とウィッチは考える。
（戦闘時の方が、そういった判断をするのは、むしろ簡単……でしょうね）
確かに戦闘時というのは、判断を誤った場合のリスクは大きく、リカバリできる可能性も著しく低い。だが、その点を除けば、状況は極めて特殊で限定的であり、判断基準も明確だ。敵と味方、生と死、対立した利害。勿論、可能性は無数にあるが、それでも、殆どの場合、一定の枠組みの中でしか事態は推移しない。
それに比べ、日常の場の可能性には無限に近いバリエーションがある。人は皆、それぞれ多種多様な目的と価値観に基づいて行動しているし、それを窺い知る事は不可能だ。また、仮に誤った判断をしたとしても、判断に対する明確な結果が出るわけではないから、そもそも判断を誤ったのかどうかを識別することすら至難の業と言える。
そして。当然のことながら、『００３』には『見た』情報をどう扱うべきかを決定するような『機能』など無い。
従って、『見た』ことで得られた情報をどう扱うかを決めるのは、戦闘時であろうが日常の場であろうが、常に、『フランソワーズ』という事になる。
（サイボーグとしての能力を……戦いの場ではなく、日常の中で……人間としてコントロールする。それが、フランソワーズに……いや、彼女だけじゃない、ジョーにも……多分、あの赤ん坊以外の００ナンバー全員に……負わされた枷、という訳だわ）
だがそれは、彼らを悩ます枷であると同時にその魂を穢れから護る盾でもあるのだ、とウィッチは想う。
（本当に……あなたは、穢れとは無縁の存在ね）
恐らく００３は、『知っている』ことを明らかにした上で、その事実をただ受け入れることにしたのだろう、とウィッチは考える。相手が同情も共感も求めてない事を理解し、それを尊重するのなら、そうするのが一番良いという結論に達した。おそらく、そういう事なのだろうと。
（だから、あなたは私をここに呼んだ。『知らない筈のこと』を『知っていること』にするために……）
そうすれば、そうしてしまいさえすれば、後は、これまでと変わらない。そう考えたのだろう。
だが。
（フランソワーズ……。悪かったわ……）
この傷跡を見た時の動揺。青い瞳に浮かんだ痛み。それを何とかして抑え、自然に振舞おうとする姿。それを目の当たりにして、ウィッチは改めて思い知った。穢れを知らぬ者の強さと危うさを。
（この傷跡を最初に『見た』とき、多分、あなたは今以上に動揺したでしょうね。けれど……）
それを誰にも言わず、ひとり胸の内に秘めてきた。そうさせたのは他ならぬ自分だった訳だ、とウィッチは内心で溜息を吐く
（ほんとに……悪かったわ……）
００３は、他人の痛みを自分のものとして感じてしまう。それが、同情でも共感でも無いのは明らかで。
（まさかそんな受け止め方があるとはね……）
思ってもみなかった。そう考え、そしてウィッチは首を振った。
（いいや、違うわね。忘れていた……だわ）
そう。
忘れていた。
あまりにも遠い昔のことで。
（私にも……そういう頃はあった。いや、私だけじゃない。多分、どんな人間にも、そういう頃はある。あった筈だわ。穢れていない、無垢なとき……というのがね）
自分と他人の区別を意識することなく、世界と己の区別すらなく、あるがままの全てを受け入れ、喜び、泣くことのできた頃。この世の穢れを、その存在すら知らなかった、もう戻れない遠い日々。
未だ少女だった頃の、遠い遠い記憶。
その頃の自分の隣には、地上に舞い降りた天使のような彼が居て、世界は光に満ちていると、そう信じていた。多少は大人になって、必ずしもそうでは無いのだという事を知っても、隣で笑う彼を見れば、世界の大半は光の中に在るのだと、そう信じたままでいられた。
光の射さない場所があることなど、想像したことすら無かった。
（ほんと、無邪気だったわ……）
今の自分は、世界の殆どを覆う闇があることを知っている。一条の光すら射さない場所があることも知っている。
多くの闇と、一握りの光。その狭間で惑う、愚かしい人の営み。
それが世界の姿であることを。
（フランソワーズ……。あなたはそれを知っているのに、それでも世界は光に満ちていると……信じているのね）
それが何故かといえば、００３にとっての『世界』は自分にとっての世界よりも遥かに広いからだ、とウィッチは考える。
天と地と、そこに在るあまねくすべての命。
００３にとっての『世界』とはそうなのではないか？ かつて自分の隣に居た天使が、地を這う虫や風に舞う花びらにすら、手を振り笑いかけ愛しんだように。
そして、いつか総ての人々がその事に気付く日が来ると……そんな日が来て欲しいと……願い、祈り、信じているのではないだろうか。
（……無茶な願いだわ）
そんな願いを抱くことのできる、穢れ無き魂。
（結局、あなた達は同じなのよ……）
００３も、００９も……恐らくは、００ナンバー全員が。
無垢なる者の、強さと危うさ。
だからこそ。
（まぁ、振り出しに戻る……といったところなのかしらねぇ？）
だが。
今の自分は、もう、あの頃のような何も知らない無邪気な少女ではない。
穢れを受け入れ、闇に染まり、そこに生きることを選択した魔女。
（……フランソワーズ。あなたが受け入れるべきは、その事よ）
差し伸べた手を永遠に拒絶する者を、それでもなお、自らの隣に立たせることができるか？
（まぁ、あなたが受け入れようが受け入れなかろうが、私は私のやりたいようにやるだけよ）
悪いけれどね、と呟いて。
（それに。その程度でどうにかなってしまうのなら、そんなモノがどうなろうと、私の知ったことではないわ）
より強い光は、より深い闇をつくる。ならば、逆もまた真。
（さて。はたして私は、あなたの対たるモノであることが……できるのかしらね？）
ふと遠くを見遣ってそう呟き、そして、ウィッチは００３に向き直った。

「フランソワーズ？」
不意に声をかけられ、００３はビクリとした。
「あ……。エカテ…リーナ……？」
目を瞬かせ、ウィッチを見遣る。
「温泉というのは、どのくらいの時間、浸っているべきものなの？ 確か、長時間は良くない……という説明があったような気がしたけど」
こうしているのは気分がいいけれど、少し暑くなってきたし、喉も渇いてくる。こういう場合はどうすればいいのかしら？ と問うウィッチに、００３は慌てて立ち上がった。
「ご…めんなさい。すっかり忘れてたわ」
「フランソワーズ？」
訝しげに問うウィッチへ、００３は湯船の縁にある岩を指差して言葉を続けた。
「ずっと浸かったままだと汗をかきすぎるから、時々、その辺りに座って涼むといいのよ。あと、飲み物があるの。持ってくるから、ちょっと待っていて」
そう言って、ざぶざぶと湯の中を歩いて脱衣所の方向へ向かう００３を薄氷の瞳が暫し見つめて。
それから、ウィッチはゆっくりと立ち上がると００３の指し示した岩の上に座ってみた。
（……なるほどねぇ……）
岩の平たい部分に座ると、丁度、膝から下だけが湯に浸かった状態になる。薄い湯煙が立ち上るのは、せいぜい腰の辺りまで。ほてった頬に当たる風が涼しくて気持ちがいい。
（よく考えてあるものね……）
感心したように呟き、ウィッチは空を見上げた。

脱衣所まで戻り、衝立を回ったところで００３はほっと息を吐いた。胸元に手を当てて、きゅっと唇を噛む。
（駄目よ……こんなことじゃ……）
ウィッチは、同情も共感も求めてはいない。だから自分は、それをそのまま受け入れようと……そう決めた筈ではなかったのか。
それなのに。
白い肌に付けられた無数の傷痕。それを視界に入れれば、初めて『見た』時の衝撃までをも思い出してしまい、胸が苦しくなって。油断すると、ふと泣きそうになってしまう自分が居る。
（一体……誰が……。あんなに……あんなに、きれいなのに……）
何の傷痕も無い頬や首筋や腕は、女の自分から見ても、とてもきれいだと思う。
それなのに。
ウィッチを穢し貶めるためだけに付けられたかのような、無残な傷痕。
（……痛かった……でしょうね……）
傷つけられた身体だけでなく、消えない傷痕を刻まれたことが。
取り戻しようのないものを失った、言い表しようのない痛み。
（私は……）
その痛みを知っている。
知っているからこそ、同情も、共感すらも拒絶する、ウィッチの気持ちが解る、と思う。
だから自分は、それを受け入れようと……受け入れるべきだと……思った。
そうできると。
自分は、大丈夫だと。
（……エカテリーナ……ごめんなさい……）
結局、自分はちっとも大丈夫ではなかった。
多分ウィッチは、それに気付いているだろう。気付いていて、何事も無いかのように振舞ってくれている。
（私は……大丈夫……。大丈夫よ……）
もう少しだけ時間をくれれば。
そうすれば、落ち着いて、大丈夫になる。
（だから……）
あと少しだけ、見逃して欲しい。
そう呟いて。
そして、００３は脱衣所の端に設えられた冷蔵庫から飲み物を入れたポットを取り出し、小さな木のタンブラーを二つ取ると、それらを丸盆の上に乗せ、岩風呂の方へと踵を返した。

「おまたせ」
その声に、ウィッチが空を見上げていた視線を戻す。
衝立を回って戻ってきた００３は、手に丸い木のトレイを持っていた。 トレイの上には、小さな木のタンブラーが二つと、薄クリーム色の透明な液体が満たされた、ガラスのポット。
それを持ったまま再び湯の中に入り、ざぶざぶと歩いてくる。
首を傾げて見守っていれば、ウィッチの傍らに戻ってきた００３は、湯船から少し離れた平らな岩の上にトレーを置くと、タンブラーを取ってウィッチに差し出した。
「どうぞ」
「……これは？」
「柚子蜜水よ」
「は？」
促されるままに受け取りながら問うウィッチに、００３が答える。その唇から出た聞き覚えの無い固有名詞に、ウィッチが眉根を寄せた。
「えーと。確か、柚子…という柑橘系の果実を蜂蜜に漬け込んだもの……が柚子蜜で、それを水で割ったものよ」
レモネードのようなものだと思ってくれればいいわ、と言う００３に、ウィッチがなるほどと頷いて。
「クエン酸に、糖とミネラル類……それに水分、という訳ね」
発汗時に摂取するものとしては理に適っている、とウィッチが言う。その言葉に００３はクスリと笑った。
「理屈はそうかもしれないけれど、でも、理屈抜きでおいしいわよ」
そう言いながら、００３が自分の分に口をつけて。ウィッチもまた、おそるおそる口をつける。
冷たい感触。
爽やかな酸味と微かな甘み。
レモンよりは柔らかな、独特の香り。
思わず一息に飲み干して、ウィッチは感心したように頷いた。
「確かに。レモネードのような感じだけれど……変わった風味ね。これがユズの香り……なのかしらね」
気に入ったわ、と言うウィッチに、００３がほっとしたような笑みを向けて。
けれど、どこか定まらないその視線に、ウィッチは内心で溜息を吐いた。
（……まったく……）
何にせよ、これ以上この状態を続けるのは、００３にとって負担が大きすぎるし、自分にとってもメリットが無い。
（問題の直視無くして解決無し、だわ。……まぁ、多少荒っぽいのは認めるけれど。それは仕方ないこと。勘弁して頂戴ね）
誰にともなく、そう呟いて。
ひとつ息を吐くと、ウィッチは００３の視線を捕らえた。

「フランソワーズ」
支配的な響きを持つ、特有の声音。
有無を言わせず他者を威圧し従わせるようなその声音に、００３がはっと身を硬くする。
勿論、ウィッチの口調や声音は、普段から決して柔らかいとは言い難く、彼女を良く知らない者が聞けば、自分が何か悪いことをしたのではないかと思わずにはいられない程の、冷たさがある。
けれど。
今のこの声を聞けば、一瞬前までのウィッチは、それなりに寛いで気安く会話していたのだという事が、よく解った。
「……ぁ……」
すぅっと身体が冷えて。思わず我が身を掻き抱く００３を、ウィッチの薄氷の瞳が見据える。
そして。
「フランソワーズ」
もう一度そう呼びかけ、そして、ウィッチは言葉を継いだ。
「……言いなさい。言いたいことが……訊きたいことが、あるのでしょう？」
容赦の無いその言葉に、００３の青い瞳が見開かれて。
けれど、ウィッチの冷徹な瞳は揺るがない。
「あ……」
身を竦ませたまま、００３が口を開きかけ、また閉じて。
「フランソワーズ。言いなさい」
ビンと響く声。
それに操られるかのように、色を失った唇が微かに震えながら言葉を綴った。
「……たか…った？」
掠れた声。
一杯に見開かれた青い瞳に、うっすらと涙の膜が張る。
「……痛…かっ…た……？」
言葉とともに零れ落ちる涙。
それを見つめるウィッチの薄氷の瞳が、ほんの僅かに細められて。
そして。
「あなたが泣くことではないのよ、フランソワーズ」
何の動揺も無い静かな声に、００３は唇を噛んだ。
「ご…めんな…さい……。私……」
呟くように言って目を伏せる００３を、ウィッチが暫し見詰める。
やがて。
「……まったく……。あなたときたら……」
呆れを含んだ低い呟き。
空を仰いで小さく溜息を吐くと、ウィッチはゆっくりと立ち上がった。００３に歩み寄り、その隣に座る。
そして。
「え……？」
不意に抱き寄せられ、００３は目を見開いた。
「ほら、泣きなさい」
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
「エ…カテリー…ナ……？」
「いいから」
私の代わりに泣きなさい、とウィッチが言って。
いつもと変わらない冷厳な声なのに、その口調はひどく優しく。
小さくうなずくと、００３は溢れ出す想いに身を任せた。

「Neo Black Ghost はね、自分から入るのは、結構、難しい組織だったのよ」
戦闘員は違うけれど研究員の方はね、というウィッチに００３が首を傾げる。それへ、湯面に落ちた葉へと波を送って遊びながら、ウィッチは言葉を続けた。
「何故かというと、Neo Black Ghost はサイボーグをはじめとした兵器類を、総て、完成品としてのみ提供していたからなのよ」
日常の運用に必要な、ちょっとした点検マニュアルや多少のメンテナンス部品は提供していたものの、設計図や基礎理論を始めとした技術情報は門外不出だった。そうやって核となる技術を独占することによって、Neo Black Ghost は支配下に置いた組織に対して、絶対的な優位を保っていたのだ。
「逆に言えば、万一それらの情報が漏洩した場合、Neo Black Ghost は崩壊の危機に瀕する……という訳」
その為、組織の技術情報に触れる研究員については、厳格な選考と徹底した管理が行われていたのだ。そう言って、ウィッチは岩の上で涼んでいる００３を見遣った。
「だから、自分から『入れてくれ』なんて言ってくる者は、まず間違いなく疑いの目で見られた……という訳よ」
「……スパイじゃないか、ということ？」
「そのとおり」
肯定するウィッチに、００３は小さく頷くと言葉を継いだ。
「それなら、あなたはどうやって……？」
ライやクワイトを追って Neo Black Ghost に辿りついたウィッチが、どうやって組織の一員になり、しかも、本部の医療センター長を任されるまでになったのか？ と００３が問う。
「難しかったのは、Neo Black Ghost に入るところまでよ。その先は、実力次第な部分が殆どだったからね。でも。医療センター長になったのは、あれはまぁ、偶然。タイミングが良かっただけだわ」
そう言って肩をすくめ、そしてウィッチは逆に００３に問いかけた。
「ねぇ、フランソワーズ。あなたなら、自分を完全に疑っている相手に、どうやってその疑いを捨てさせる？」
相手は Neo Black Ghost と繋がりがあるような悪人で、しかも相手の疑いは半ばは当たっている。そんな状況下で、どうやって相手に疑いを捨てさせるか。
考え込む００３をチラリと見遣り、ウィッチは軽く笑みを浮かべて立ち上がった。岩の上に置いておいた木のタンブラーを取り、柚子蜜水を継ぎ足して飲む。そして言った。
「あなたが考えていることは間違っているわよ、フランソワーズ」
「え？」
「あなたは『どうしたら信用してもらえるか』と考えてるでしょう？」
「え……えぇ」
だって、そう言ったじゃない？ という００３に、ウィッチが意地悪気な瞳を向けて。
「私の質問は、『どうやって相手に疑いを捨てさせるか』よ」
この二つは似ているけれど、決定的に違う。これがヒント。そう言って、ウィッチは００３を見下ろす。
「悪人を相手に、短期間で、自分への疑いを捨てさせる……。さあ、あなたならどうするかしら？」
「そんな……」
そんな事を言われても、どうしたらいいかなど想像もできない。途方に暮れて見上げてくる００３に、ウィッチがふっと笑みを浮かべて。
そして、言った。
「支配させること」
「え？」
「相手に、私が完全に支配下にあると、そう確信させること。一番簡単で手っ取り早いのが、肉体的な支配権を総て明け渡してやることよ」
「……え？ ……あ……っ」
青い瞳が呆然と見開かれ、そして、そこにゆっくりと理解の色が浮かぶ。理解と……そして、驚愕の色が。
「そん…な……」
「流石に、誰に対してでも使える手じゃないわ。そういう嗜好のある、ちょっと馬鹿なヤツを選ぶ必要はあった。でも……」
幸いなことに、Neo Black Ghost と繋がりを持つような連中の中には、この手が使える相手は少なくなかった。
「だからね、フランソワーズ。この傷は、誰かに付けられたものじゃない。馬鹿な下僕連中に、私が付けさせてやったもの。ま、ちょっとした御褒美のようなものよ」
そう言い、そして、ウィッチはやれやれと溜息を吐いた。
「まったく……。だから、泣きなさんな」
「でも……」
一杯に開かれた青い瞳から零れ落ちる涙に、ウィッチが、あぁもぉ…と首を振って。そして、不意に身を屈めると両手で湯を掬い、そのままの勢いでそれを００３の顔にひっかけた。
「……っきゃ！」
「泣き止まないと、もっとかけるわよ」
いいの？ と言うウィッチを、００３が目を擦りながら見上げて。
次の瞬間、素早く立ち上がって湯船に浸かった００３は、しなやかな足で水面を蹴り上げた。
小さな水柱があがり、そこから飛び散った飛沫が、過たずウィッチの顔を直撃する。
「……っちょっと！」
やったわね、と言うウィッチに、００３がクスクスと笑って。
「これであいこでしょ？」
「あいこじゃないわよ！」
私のは、あなたが泣くからでしょう？ カウント外だわ、やり返させなさい！ と言うウィッチに、００３が笑いながら逃げ出して。

それから暫しの間。
露天風呂は、阿鼻叫喚の湯かけ合戦の場と化したのであった。