陽光の残照が消え去った砂漠を、夜の帳が覆っている。タイラントがアイラニに連絡した帰還予定。『４日後か５日後』と告げた、その４日目の日没から、間もなく一時間が経とうとしていた。
濃紺の空には満天の星。
そして、影を失った地上にもまた、小さな光があった。
夕餉の支度をする焚火の緋色。年季の入ったカンテラから広がる薄黄色。それらに比べて白みを帯びた、電球の明かり。様々な光が点々と大地に散らばっている。
その明かりのひとつ、簡易診療所の一角、警備部が詰所として使用している部屋で端末を叩いているのは、元 Neo Black Ghost ウラル研究所 兵器開発室所属の情報工学者、エレスであった。

「……こりゃ、どーにもヤバイだろ……」
端末のキーを些か乱暴に叩きつつ、エレスは低く呟いた。
表示された画面を睨んだまま机の上に転がしていたペンを取り、手元の紙に数字を書き取る。
その動作を何度か繰り返し、手元の紙に視線を落として書き留めた数字を見据え、改めて表示された数字と見比べて書き間違いが無いことを確認したところで、エレスは隣の端末に視線を移した。
監視システムが示す『異常なし』の表示を睨み、片手を伸ばしてそちらの端末のキーを操作する。それに応えて表示された文字列を確認し、エレスは溜息を吐いた。
「……通過者なし……かよ、クソッタレ」
それはつまり、タイラントは未だ戻ってきていないという事だ。
チッと舌打ちして立ち上がり、窓辺に歩み寄る。窓を開けて外の暗さを確認し、乱暴に窓を閉じて振り返ると、時計へと視線を向けて。
（……日没から一時間経過……か）
そして、エレスはもう一度呟いた。
「こりゃ、どーにもヤバイだろ……。なぁ、どう思う、チアフル……？」
この場に居ない元上司に呼びかけ、先刻のメモを見下ろす。そこに自分が書き記した数字を。
そして、エレスは唇を噛んだ。

最初は、ちょっとした好奇心だったのだ。
キッカケは、今日の朝……すなわち、タイラントがアイラニに告げた『４日後か５日後』という帰還予定の『４日後』に相当する日の朝、夜勤のアイラニが交代間際に言った、『多分、タイラントは昼過ぎか遅くとも夕方前には、帰って来ると思います』という言葉だった。
何やら確信ありげな声音に、『タイラントから連絡でも入ったのか？』と訝しげに問うたエレスだったのだが、アイラニの答えは『今まで大概そうでしたから』という極めて感覚的なもので。この非常時に、そんな曖昧なことを言ってる場合かと些か憤慨したものの、考えてみれば、そういったデータ分析は自分の分野だった、と思い直す。
そこでエレスは、監視システムの表示を横目でチェックしつつ、過去の記録からタイラントに関する情報を拾い集め、行動パターンの解析を試みたのであった。
ちょっとした好奇心からの、そして、タイラントの帰りを待つ間の漠然とした不安を紛らわす為の、ほんの手遊び。
その筈だったのだ。
だが。
種々の雑用の合間を縫ってデータを集めて整理し、おぼろげな結論らしきものが見えてきたのが昼になろうかという頃。
再度データを洗い直し、己の作業に誤りが無いことを確認し終えた時、既に太陽は西空に低く、日没は間近に迫っていた。
そして、今。
導き出された結論と、未だタイラントが戻って来ていないという事実とを前に、エレスは不安が確信へと変わるような予感を禁じ得なかった。

（判ったことは、三つ……）
苛々と机の前を行き来しながら、エレスは内心で呟いた。
判った事の、その一つ目。それは、タイラントが日没から日出までの間、すなわち夜の間に帰って来たことが無い、という事だった。
（こいつは、まぁいい……）
これについては、いつだったか、何かの折に理由を聞いた事があった。
タイラント曰く、夜間の接近は原則として敵対行動だ。そんな事をすれば、夜間警備のメンバーに余計な緊張を強いる事になってしまう。従って、余程の緊急事態で無い限り、日没から日出までの間に簡易診療所に出入りする事は避けるべきだ。だから、もし、日没までに帰り着けそうに無ければ、どこか近くで夜を明かし、日出を待って戻るようにしている……と。
それは確かに納得できる理由で、その言葉と行動が一致しているのだから、何ら問題は無かった。
とはいえ、その事実は、日没を過ぎた現在タイラントがここに居ない以上、明日の夜明けまでの間に戻ってくる可能性は著しく低い……もしその間に戻って来た場合、余程の何かがあった……という事を示してもいて、それはそれで気の滅入る情報ではあったのだが。
（問題は……というか、本題は……）
残りの二つだ、とエレスは低く呟いた。
二つ目に判ったことは、タイラントが二日の幅を持たせて帰還予定日を報せてきた場合、その初日に……正確に言うならば、初日の日没までに……戻ってきた割合だった。
（約、八割……）
データが示した数字は、確かに、アイラニの言葉を裏付けた。
そして。
（二日目の昼以降に戻ってきたのは、たった一回だけ……）
途中で拾った怪我人を連れていた為に加速装置が使えなかった一回だけ、二日目の夕方に戻って来ていたが、それ以外の場合は総て、二日目の昼前までに戻っている。
（で、だ……）
三つ目に判った事。
それは……
（……予定を変更する場合も、同様……と）
タイラントが帰還予定日を変更した事はあまり無かったが、しかし、例の無い事でも無かった。そして、その場合の予定変更連絡も、八割以上の割合で、初日の日没までに入れてきていた。
（つまり……だ）
つまり、過去のタイラントの行動パターンからすると、約八割の確率で、今ここにタイラントが居るか、もしくは、何らかの連絡が入っている筈なのだ。
だが、タイラントは未だ戻って来ていない。勿論、連絡も無い。
（こうして考えると、タイラントって、ほんと、軍人気質ってか、真面目……だよな）
事前にある程度の余裕を見込んだ予定を立て、それに則って行動する。勿論、イレギュラーな事態は多々ある筈なのだが、そうであったとしても、それは多分、あらかじめ折込済で。どうしても予定が狂いそうな場合は、変更の連絡を入れてくる。それも勿論、それなりの余裕を持って。
（それは何故かってーと、いつ　Neo Black Ghost が復活するか判らないから、って訳で……。どーゆー教育を受けてきたんだか知らねぇケド、キッチリしてるよな）
恐らくタイラントは、自身の存在が００ナンバーを始めとする一同、すなわち Neo Black Gohst に対抗する勢力にとって、どういう位置付けにあるのかを、かなり正確に理解しているのだろう、とエレスは考える。
（何たって、現存する最強のサイボーグ……だからな）
単独の戦闘力としては、他の追随を許さない。
勿論、復活した Neo Black Ghost が、自分達に気付かれる前に、タイラント以上の戦闘力を持ったサイボーグを生み出す可能性は０ではない。しかし、元医療センター長たるウィッチがこちら側に居る以上、その可能性は著しく低いと見てまず間違い無い。
（ウィッチを誘拐したのが連中なら……って連中以外には考えられねぇケド、でも、そうだとしたら、それが何よりの証拠だろ……）
タイラントを越えるサイボーグを造れる者がウィッチ以外に居ないからこそ、Neo Black Ghost はウィッチを誘拐したに違いない、とエレスは考える。
（けど……だとすると……）
一体何があったと考えればいいのだろうか？
タイラントのこれまでの行動パターンと、ウィッチが何者かに……おそらくは、Neo Black Ghost に……誘拐されたという事実とを考え併せれば、タイラントに何かがあった、という結論にならざるを得ないと思う。
だが。
（……けどな……。一体、何が……？）
一体何があれば、タイラントの行動を阻めるというのだろうか？ そう考え、エレスは悩む。
くどいようだが、現存するサイボーグとしては最強スペックを誇る格闘戦用サイボーグなのだ。生身の人間など幾ら束になっても話にならないし、仮にサイボーグだろうと、量産型程度のスペックでは、やはり話にならないだろう。また、タイラントに傷を負わせられる武器も、当然、限られている。しかも、タイラントには加速装置が付いているのだ。たとえどんなに威力のある武器を持って来ようが、当てられなければ意味が無いが、加速装置付のサイボーグに当てようと思ったら、その武器を扱う方も加速装置を装備していなくては極めて難しいだろう。
（あるいは、効果範囲が広い武器……それこそ、核ミサイルでも持って来れば話は別だけどな……）
しかし、そんな武器を使おうものなら何かあったことは丸判りだ。だが、そういった兆候は全く無い訳で、だとしたら一体、どうすればタイラントに『何か』が起き得るというのか？
ゆっくりと椅子に座って溜息を吐き、エレスは額に手を当てた。
（……俺の考えすぎ……か……？）
大体、これまでの行動がそうだからと言って、今回の行動もそうとは限らない。今回は、たまたま、タイラントが偵察に時間をかけているだけなのかもしれない。何事も無く、明日の夕方あたりに帰って来るかもしれないのだ。
そうならば良い、そうであって欲しい、そう思う。
（くそっ……わかんねぇよ……）
叩き出された数字は、やはり、楽観を許さないものだと思う。今の状況を考え併せれば、尚更そう思う。何かがあった前提で動くに越した事は無い。結果として何も無かった…という事なら、それで良いのでは無いだろうか？
（……とにかく、だ……）
とにかく、この情報をチアフルと００ナンバー達へ伝えるべきだろう、とエレスは考える。自分ひとりが持っていたところで、何の役にも立たない。
（俺には、どう考えたらいいのかなんて、サッパリだ。だから……）
まずはアイラニだな、とエレスは思う。何しろチアフルと００ナンバー達が居る場所は、ここから６０キロの彼方なのだ。勿論、無線で連絡するという手段はある。だが、それをして良いかどうかの判断は、エレスには出来なかった。
（距離を取ったってコトは、あっちとの関係をなるべく伏せたいってコトだろーからな……）
よほどの緊急事態なら無線連絡もありかもしれないが、しかし、よほどの緊急事態ならばこそ、不用意な行動はしないに限る、かもしれない。何にせよ、こと戦いに関して自分は全くの素人なのだ。迂闊な判断をするべきでは無い。
（……とにかく、だ。とにかく……）
まずはアイラニをここに呼ぼう。そう考え、エレスは再び端末のキーに手を伸ばした。

「入りますっ！」
半ば怒鳴るような勢いで言いざま部屋に駆け込んできたアイラニに、一日分の仕事をどうにか終え、明日もコレをするのかとげっそりした気分で椅子に沈み込んでいた『ライ』こと００７は、驚きのあまり飛び上がった。
「な、なな…なん……っ。あー、どうした？」
思いっきり気を抜いていたところに踏み込まれた所為で思わず地が出そうになり、慌てて言い直す。だが、それに頓着する様子も無く、アイラニは００７の座る椅子の傍らに駆け寄ってきた。
「これをっ」
ひどく慌てた調子で、しかし、流石に声を潜めてそう言いながらアイラニが差し出してきた紙片に、００７が目を瞬かせる。
「……どーしたんだよ、一体……」
とりあえず受け取って視線を落とし、００７が首を傾げる。
「何だぁ？」
紙には、細かい数字が書き殴られていた。だが、ぱっと見ただけでは、それに何の意味があるのか全く判らない。
その反応を予想していたのだろう、００７が顔を上げて問うよりも早く、アイラニは切迫した口調で説明を始めた。

「どう…思われますか……？」
エレスの解析結果と懸念とを一通り話し終えたアイラニが、ひとつ息を吐いて問う。
最初はあまりの勢いに唖然としていた００７も、今や眉根を寄せ、深刻な表情で手に持った紙片を見据えていた。
「……確かに、こりゃ……」
唸るように答え、唇を噛む。
「こりゃ、何かあったって前提で動くべきだろう。俺も、そう思う。あっちにも、すぐに報せるべきだろうな……」
緊張した声音で答える００７に、アイラニが頷いて。そして、言葉を継いだ。
「私も、そう思います。あちらではチアフルが敵の遺留物を解析しているのですよね？ その結論が出ているかもしれませんし……」
何にせよ、各々が断片的な情報を持っていても仕方が無い。正しい判断をする為には、判っている限りの情報を一箇所に集約する必要がある。今の場合、それが何処かと言えば、勿論、ドルフィン号……そこに居る、００ナンバー達、それ以外はありえない。
「とはいえ、問題は、あちらに報せる手段です。勿論、通信で報せることは可能ですが、しかし、敵の正体も狙いも判らない以上、迂闊に通信を飛ばすことで事態を悪化させる可能性も捨て切れません。無論、一秒でも早く報せるべきなのかもしれませんが……」
それを判断するには、あまりにも情報が少なすぎる。そう言ってアイラニが唇を噛む。
「確かに……な」
どっちを選ぶにしろ、コレは賭けだな、と００７が呟いて。そして、問うた。
「……で、あんたの意見は？」
その言葉にアイラニが小さく息を吐く。
「直接、行くべきかと……」
「理由は？」
「……もし、ここが既に敵の監視下にある……つまり、最悪の状態にある……とするならば、通信を飛ばそうが、あなたが直接行こうが、いずれにせよ、我々の動きは敵に筒抜けということになります」
「まぁ、そうだな……」
「敵が我々の動きを容易に察知できる状態だとしましょう。その場合、我々の行動に対して、敵が何らかの反応をする場合と、しない場合とが考えられます。ですが……」
アイラニがそこまで言ったところで００７はナルホドと頷いた。
「ようするに、通信を傍受されたかどうかは判りようが無いが、俺に直接チョッカイをかけて来られれば、少なくとも、ココが監視下にあることは判る……俺が無事にドルフィン号に辿り着けても、辿り着けなくても……か」
「……はい」
頷くアイラニに、ナカナカ無茶苦茶な案だなぁ、と００７が頭を掻いて。流石は Neo Black Ghost に属していながら密かに反逆を試みた一党のメンバーだけの事はある、とひとりごちる。
「オーケー。いいだろう。悪くない案だ」
敵さんが出て来てくれれば願ったりだ、と嘯いて００７は立ち上がった。
そして。
「この後どうするかは向こうで相談してくるケドな。とりあえず、明日は『ライ』は病欠って事で頼むわ……」
そう言うなり『ライ』の輪郭がブレた。
バサリと落ちた服の影から現れたのは、砂漠に棲む一匹の豹。
「……んじゃ、ちょっと行って来るぜ」
床に落ちたメモを器用に拾って銜え、尻尾を大きく振る。
「お気をつけて」
そう言って窓を開くアイラニに軽く唸り声を上げて見せ、そして、００７は漆黒の闇の中へと飛び出して行った。

間もなく日付が変わろうかという、深夜。突如として戻ってきた００７によって、チアフルと００３、６、９の４人がドルフィン号の会議室へと呼び集められていた。
息せき切って集まった一同に００７が早口で事情を説明し、アイラニから受け取ったエレスのメモを示す。それをチアフルがひったくるように取り、黙ったまま視線を走らせて。
二度三度そのメモを上から下まで読み返し、そして、チアフルは頭を掻き毟った。

「……タイラントが、だってっ？ そんな、馬鹿な……っ！ 冗談キツイぜ、一体どうやってだよっ？」
問いともつかぬ叫び。だが、それに答えられる者は居ない。
信じられないという思いは、全員が同じだった。
会議室を沈黙が覆う。
暫しの後、００６が恐る恐る口を開いた。
「あのー……今回、たまたまタイラントはんが帰ってくるのが遅くなってる…って事は、無いんアルか……？」
それへ００７が腕を組んで答える。
「まぁな。そりゃ勿論、可能性としてはあると思うぜ。けど……」
この状況下で、あまり楽観的に考えるのもなぁ…と言う００７に、００６が肩を落とした。
「そうネ…そうアルネ……。でも……。でも、信じられないアルヨ……」
タイラントに何かが起きるなど、その状況が、とても想像出来ない。そう呟く００６の言葉は、その場の全員の想いだった。
再び、沈黙。
次に口を開いたのは００３だった。
「人質を、取っていると言われたとしたら……？」
呟くように言葉を継ぐ。
「……エカテリーナ……ウィッチを捕らえていると、そう言われたとしたら……どうかしら？」
そう言われたなら、いくらタイラントでも、戦う訳にはいかないのでは無いだろうか？ 考え考え紡がれたその言葉は、しかし、チアフルにあっさりと否定された。
「それはナイな。ジョーじゃあるまいし……。アイツに人質なんて、ましてやその人質がウィッチだなんて、ンなの、効く訳が無いってぇの。それにさ。ウィッチに人質としての価値は無いぜ」
Neo Black Ghost 本部が崩壊し、そこで管理されていた筈の技術資料の殆どが散逸してしまった今、サイボーグ関係の技術の総てを知るほぼ唯一の人間に違いないウィッチは、Neo Black Ghost の残党にしてみれば、最も危害を加える訳にはいかない人間の筈だ、とチアフルは言う。
「それっくらい、いくらタイラントが馬鹿だって判る」
だから、ウィッチの身柄を楯にとっても無駄だ。それどころか、そんな事を言おうものなら、タイラントは何としてでもその場を切り抜けて自分達と合流する為、全力で暴れるだろう……と、チアフルは続けた。
「言っちゃ悪いケドさ、アイツはあんた等とは違う。自己犠牲を期待……ってか、心配する必要は、全く無いね」
きっぱりとそう言い、そしてチアフルはその続きを心の中だけで呟いた。

（……唯一の例外は、ジョーが絡む時、だろうな……）
００９の命がかかるような時。もしタイラントが例外的に自己犠牲精神を発揮する事があるとしたら、その時だけだろうとチアフルは考える。
（とはいえ、それだって判りゃしないケドな）
００９に付いて行くと断言したタイラントが、００９を残して自分が死ぬなどという真似をするとは、些か想像し難い。
（ま、何にせよ、だ……）
何にせよ、今、００９はここに居る。という事は、タイラントが例外的な行動を取る筈が無い。００９以外にタイラントを例外的な行動に駆り立てる者が居るというのなら話は別だが……。
と、そこまで考えてチアフルは目を瞬かせた。
（……ジョー以外の……誰か……？）
考えてみれば、ここ中東はタイラントの故郷なのだ。過去の、Neo Black Ghost に入る以前のタイラントを知る何者かが居たとしても、不思議ではない。
（いや……ケド……まさか……）
そんな者が居るだろうか？ 仮に居たとして、その何者かがタイラントと再会したとして、果たして本人だと思うだろうか？
（アイツが Neo Blakc Ghost に入って、サイボーグになって……何年経ってると思ってるんだよ。仮に昔馴染みに会ったとしても……）
変わらなさ過ぎる容姿はあまりにも違和感があって、逆に本人だとは思われないだろう。
（いや、まぁこの場合、相手がタイラントを本人だと思うかどうかは大した問題じゃないのかもだケド、でも……）
どちらにせよ、昔馴染みの一人や二人で……いや、仮にそれが十人二十人だろうと……そんなモノでタイラントの行動が変わるとは思えない。
何故ならば。
（アイツは自分から Neo Black Ghost に入って、でもって、望んでサイボーグになったんだぞ？）
それは、表の世界から永遠に消えるということ。過去の総てを断ち切り、自ら死を選ぶに等しい所業だ。勿論、当時のタイラントがそこまで考えていなかった可能性は０ではない。だが、その後の年月でそれが判らなかった筈も無い。もし、今のタイラントに例外的な行動を取らせるような……ようするに今の００９とタイラントの間にある絆に匹敵するほどの……そんな深い関わりのある相手が居たのなら、００９に逢うよりもずっと前に、タイラントは何らかの行動に出ていた筈だ、とチアフルは考える。
（そんなヤツが居るわけ無い、か……）
あまりに情報が少ない所為か、どうにも色々と突拍子も無い事を考えすぎだな……とチアフルは内心で溜息を吐いた。

と、その時。

不意に００９が顔を上げた。
「タイラントに……何かあった。……それは、間違いないと……そう、思うかい？」
真っ直ぐにチアフルを見詰め、問う。
黄玉の瞳が、その射るような眼差しを受け止めて。
呼吸二つ分の、間。
そして、チアフルは静かに頷いた。
「あぁ。何があったのかは判らないケドもな。でも、何かがあったのは、まず間違いないだろうな」
この状況で、本当に何事も無くタイラントが戻って来たなら、いくら俺がイイヤツだろうと、カミサマも贔屓が過ぎるってもんだ、とチアフルが肩を竦める。
それへ、００９が小さく頷いて。
一瞬の間。
そして、００９はゆっくりと立ち上がった。
「……ジョー？」
訝しげに自分を見る一同を見回し、００９は静かに言った。
「僕が、タイラントを探しに行くよ……」
え？ と全員が虚を突かれたように言葉を失う。
最初に我に返ったのは、チアフルだった。
「……っちょ…っと、待てっ！」
バンっと机を叩き、その勢いのまま立ち上がって叫ぶ。
「探しに行くって……！ お前、ナニ考えてんだよっ！ だいたい、どうやったかは判らないケド、タイラントがヤられちまうような相手だぞ？ お前ひとりが行ったトコでどうなるってんだよっ！」
アホかっ、と頭を掻き毟るチアフルに００９が微かに笑った。
「大丈夫だよ。タイラントが……」
そう言って００９がふと目を伏せ、そして再び瞳を上げる。
「……タイラントは、多分、僕を待っていると思うんだ」
「はぁっ？」
あまりにも唐突な言葉。それを淡々と告げる００９に、チアフルが目を剥く。だが、００９はと言えば一向に気にする様子も無く言葉を継いだ。
「タイラントが誰かに倒されるなんて、そんな事、ある訳が無いよ。だから、絶対に彼は無事で居る。無事なのに戻って来ないのは……」
「メッセージ、アルか？」
００６が呟くように問う。それへ００９は小さく頷いた。
「……うん。多分、何かがあったって事を、僕達に報せようとしてるんだと……そう思う」
タイラントが行方を絶てば、当然、アイラニが自分達に連絡をする。そうやって、自分達が中東に来るように、そう仕向けようとしているに違いない。そう言う００９に、チアフルが唸り声を上げて。
「んな馬鹿な……いや……ケド……」
そうなのか？ でも、あの馬鹿がそんな込み入った事を考えるか？ いやまぁ、コト戦いに関しては別かもしれないし……とブツブツ呟くチアフルに、００９が苦笑する。
「とにかく、僕は行くよ」
そう言う００９に、チアフルは慌てて制止の声を上げた。
「待てっ！ だから、ちょっと待てっつーの。仮にそうだとしても、何も、今すぐ動く必要は無いだろ？ いや、今すぐ動くべきじゃない。全員が揃うまで待てよっ」
あと、ほんの数日待てば、全員がここに揃う。動き出すのはそれからにすべきだ、と言うチアフルに００９は頭を振った。
「それじゃあ、手遅れになるかもしれない。ひょっとして、怪我をして動けなくて、それで戻って来られないのかもしれないだろ……？」
「そうだとしても、たかが二日や三日で死ぬようなヤツじゃない」
そのくらい判るだろ？ とチアフルが言う。
「でも……。助けを待ってるかもしれないのに、じっとしてなんか居られないよ」
「アイツがお前に助けて欲しいなんて、そんなコト思うわけ無いだろっ！？」
お前、タイラントを舐めてるだろ。アイツの強さは半端じゃない。もしアイツが身動きできない程のダメージを受けるような相手が居るなら、お前ひとりが行ったってどうにもならない。それくらいアイツにも判る。矢継ぎ早にそう言うチアフルを、００９がじっと見詰めて。
ひとしきり捲し立て、ぜぇぜぇと息をするチアフルを見遣り、００９は静かに言った。
「……判ってるよ」
「………」
「判ってる。でも……」
ギリっと歯を食いしばってチアフルを見据え、００９は宣言した。
「僕は、行く」
「……ジョーっ」
「タイラントが僕に助けて欲しいと思わないだろうっていうのは、それは判るよ。でも。でも……」
確信に満ちた声音で００９は続けた。
「彼は、多分、困ってると思う」
何をどう困っているのかは判らない。だが、困っていることは間違いないと思う。そう断言する００９にチアフルが頭を抱えて。
「んな……根拠の無いコトを……」
椅子にへたり込み、うーうーと唸る。
そこへ、００３の声が響いた。
「判ったわ……」
そう言いながら、００３が立ち上がる。
「……行きましょう、ジョー」
「え？」
「へ？」
「ひょ？」
「はぁっ？」
００９が、００７が、００６が、そしてチアフルが、唖然とした瞳で００３を見遣った。
「あの……。フランソワーズ……？」
どういう事だい？ と、００９が目を瞬かせて問う。それへ、呆れた…と言わんばかりの視線を向け、００３は言葉を継いだ。
「だって、タイラントさんを探すのでしょう？ もしかしたら彼は、怪我をして何処かに身を隠しているのかもしれないのでしょう？」
まさか、大声で名前を叫びながら探すつもりじゃあ無いでしょう？ と問われ、００９が返答に窮する。
敵の正体も人数も判らない状況で、しかも、恐らくは身を隠しているに違いないタイラントを探すのに、自分を連れて行かずにどう探すつもりなのか？ と言われれば、００９に返す言葉は無い。
「えと……。その……」
助けを求めるように周囲を見回しても、００６も００７も、さりげなく視線を逸らすばかりで。チアフルに至っては、勝手にしろと言わんばかりの瞳で睨み返してくる始末だった。
「……ほら、ジョー？」
行くわよ、と００３に促され、００９がギクシャクと頷く。そして、チアフルへと視線を向けた。
「えーっと、その。……チアフル？」
「んだよ？」
不機嫌さを隠そうともしないチアフルに、００９が困ったように目を伏せる。そして、呟くように言った。
「……ごめん……」
「………」
ゆっくりと瞳を上げ、口をヘの字に曲げたままのチアフルを真っ直ぐに見詰めて。
「ドルフィン号と簡易診療所の事は、君に任せる。あと何日かすれば全員が揃うし、一週間ちょっとでイワンも起きる」
「ジョー、お前……」
どういうつもりだ、帰ってこないとでも言うのか？ と言いかけるチアフルを視線だけで制して。
「タイラントと合流したら、すぐに戻って来る。勿論、そのつもりだよ。でも……」
万が一という事もあるだろ？ と言う００９を、チアフルは胡乱そうに睨み返した。
「……ジョー。俺さ、こういう事に関してあんたを信用しちゃいけないって、どーにもそんな気がしてならないんだけどな……」
はぁ、と溜息を吐いてチアフルは００３に視線を向けた。
「で、だ。あんたも信用するなって、俺の勘はそう言ってるんだけど……」
「………」
そう言うチアフルの言葉に、しかし、００３もまた何も答えず。
００６が００７を見、００７が軽く肩を竦めると００６もまた溜息を吐いて。
それらの反応をチアフルが冷めた目で眺め、やがて、長々と溜息を吐いた。
「……わぁったよ。行けよ……」
片手で頬杖を付き、もう片手をしっしっと追い払うように振る。
「さっさと行って、あの馬鹿を回収して、さっさと戻って来いよ」
「うん。……ごめん……」
００９がそう言い、チラリと００３に視線を向けて。
「行こう、フランソワーズ……」
「……えぇ」
００３が頷き、そして、二人は会議室を後にした。

二人が出て行った扉を、残された一同は暫しの間じっくりと眺めた。
やがて、００７がチアフルを振り返る。
「で、拙者はどーすりゃいい？ 指揮官どの？」
おどけた調子の問いに、チアフルが００７を睨む。
「………エスプレッソ持って来い」
「アイアイサー」
００７が殊更に芝居がかった敬礼をして。
それを無視し、チアフルは００６へと視線を移した。
「食いモン。チョコレートを使った菓子」
さっさと作って持って来い…と言い放つチアフルに、００６が飛び上がる。
「りょ、了解アル。すぐに何か作って持ってくるアルネっ」
バタバタと出て行く二人を見送り、そして、チアフルは深々と溜息を吐いた。
「……冗談じゃ無いぜ、ホントに……」
Neo Black Ghost が００ナンバー達に手を焼いた、その理由が理解できた気がする。そう思い、チアフルは天井を仰いだ。
「世の中には理解できても嬉しく無いコトっての、あるのな……」
これは新しい発見だった。勿論、まるで嬉しくない発見なのだが。
「……クソッタレっ！」
ダンっと両手で机を叩き、そのまま突っ伏す。
「あー……。ったくもぉ……ワケわかんね……」
常識的に考えて、この段階での戦力の分散はありえないだろ、と呟いて。かくなる上は、敵の方も、この００９の意味不明な行動に頭を悩ませる事を祈るしか無い。
そう思い、チアフルは内心で首を捻った。
「そうでもない、かなー……」
敵の方も、誘拐現場にわざわざ証拠品を残して行くなど、どこか意味不明な行動を取っている。ひょっとすると、００９並に非常識なヤツかもしれない……。ふとそう考え、そして、チアフルは慌てて身体を起こすと頭を振った。
「じょ、冗談じゃ無いってーの！」
敵も味方も非常識なんて、そんなんではやってられない。いや、それ以前に、そんな事がある訳がない。
「……駄目だ、俺。まだ二日酔いかも……」
きっとそうだ。だから色々と妙な想像をするんだ。そう自分に言い聞かせる。
「エスプレッソでも飲んで、ちょっと頭をハッキリさせないと……」
そうしたら、当面……恐らくは００ナンバー全員が集まり、タイラントを探しに行った００９と００３も戻るだろう、数日後まで……の間の作戦を立てよう。
そう考え、チアフルは独り頷いた。