中東基地内にある戦闘員用の食堂。
どの小隊の食事時からも外れている時間帯らしく、ひどく閑散としているその一隅で、タイラントはパサついたパンを齧っていた。

（……はぁ……。つかれた……）
具の無い薄いスープを啜ってパンを飲み込み、深々と溜息を吐く。
（でもまぁ……）
とりあえず、第一関門は突破したという事になる筈だし、何はともあれ上出来と言って良いんじゃないのか？ と考える。
だが。
（……うーん……）
コレでいいのか？ という不安は拭えなかった。
勿論、難しくあって欲しい訳ではない。いや、タイラントにとっては本当に冷や汗の連続で、もう一度は勘弁して欲しい経験だった。
（……俺…ちゃんと、やれた……よな……？ ヘタな事を喋ったり…してない……よ、な？）
無難に遣り過ごせたからこそ無事に編入手続きが完了し、こうして食べ物にありつけてる筈なんだし……と、そう考えながら、タイラントは先刻の一幕を思い返した。

ルシファーと部隊長が立ち去った後、タイラントは、その場に残った当番兵に、ゲート裏にある詰所へと連れて行かれた。
詰所の一隅にある小部屋に連れ込まれ、まず最初にされたのは、識別番号のチェックで。その事をすっかり忘れ去っていたタイラントは、当番兵が持ってきたチェック用の機械を見た瞬間、ぎょっとした。しかし、内心で焦りまくっているタイラントが何を言う間も無く、無造作に機械を向けられてしまい。
（……あん時は、ほんと、心臓が止まるかと思った……）
勿論、そんな事で止まるような人工心臓では無い。
（けどまぁ……）
今になって落ち着いて考えてみれば、自分が Neo Black Ghost を裏切ったのは本部崩壊後なのだ。従って、本部から配布されている識別番号リストに、自分が裏切者として登録されている筈も無い。だから、あんなに焦る必要は無かったのだ、とタイラントは溜息を吐く。
という訳で、当然のことながら、チェックは無事にパス。
面倒そうに表示を確認した当番兵が、手元の端末に何かを書き込んで。それから、椅子に座るよう促され、次は事情聴取となった。

（……事情聴取というか、尋問というか……）
訊かれたのは、原隊すなわち元の所属と、そこからはぐれた経緯、そして、その後どこで何をしていたか……で、タイラントが本当に『指揮系統を失って迷子になっただけの組織の備品』であれば、どうという事でもない、単なる事情聴取にすぎない内容だった。
だが。
タイラントは、勿論、そんなモノではない。それどころか、Neo Black Ghost 本部の崩壊にも一役買った、正真正銘の『裏切者』で。その後も００ナンバー達と行動を共にし、各地にある Neo Blck Ghost の拠点を叩いたりもして来ている。
（そりゃ、コイツ等だって、『裏切者』っちゃそうなんだろうケド……）
とはいえ、それとは明らかに方向性の違う『裏切者』で。従って、同じ裏切者同士であろうとも、タイラントとは敵対関係である事は間違いないと思われた。
（それに……）
そもそも、この基地の者達が裏切者である……すなわち、こんな場所に基地がある筈が無い……事など、たとえクワイト付の戦闘部隊隊長であろうとも、所詮は単なる戦闘員にすぎないタイラントが知る筈も無いことなのだ。それを知っているという事を悟られただけでも、十分に怪しまれるだろう。
（……だいたい、ここの戦闘員連中だって、何をどこまで知ってるか……）
だから、迂闊なことを言う訳にはいかなかった。
そして勿論、タイラントが隠さなくてはならない事は、それだけでは無い。それ以外にも言う訳にはいかない事は山のようにあり……本部崩壊の『真実』は勿論、クワイト付きの戦闘部隊隊長だったこと、すなわちウィッチの『作品』であることなども、バレない方が良いに決まっている。何しろ、それがバレれば００９との関係もバレかねない訳で、危険極まりない。簡易診療所のことも、そこに元 Neo Black Ghost の裏切者達が居る訳で、隠しておくべき事項だし、そして、ルシファーとの関係も、当然、隠しておかなくてはならない事項で……と、ようするに、言っても問題ない事が殆ど無いような有様で、それ故、その事情聴取はタイラントにとっては尋問に等しかった。

（まぁ、でも……。隊長のおかげで助かった…のかな……）
最初に原隊を聞かれ、うまい嘘も思いつけず、とりあえずは本部の所属だった旨を答えたところ、当然のことながら、本部崩壊の顛末について尋ねられた。
しかし、タイラントはその問いに答える事が出来なかった。
何と答えればいいのか、咄嗟に思いつかない。だが、だからといって黙っている訳にもいかず、やむなく、００ナンバー達が襲撃してきたのだと答える。けれど、それ以上は何も言えない。
冷や汗をかきつつ、オロオロと周囲に視線を彷徨わせ、どうしたものかと焦る。この場で暴れるべきか、暴れたとして逃げ出せるのか、そんな事をしてルシファーの立場が悪くならないか……？ そんな断片的な事が次々と脳裏を過ぎり、ごっちゃになって、考えが纏まらない。焦燥のあまり、頭が煮えそうで、もういっそ、後先考えずに暴れてやろうかと、タイラントが思いつめる。
と、その時。
馬鹿にしたような口調で当番兵は言ったのだ。
『ようするに、お前、逃げたんだろ？』と。
へ？ と目を瞬かせて間抜けな声を上げたタイラントを、当番兵が忌々しげな目で見て。そして、うんざりしたような口調で続けた。
『００ナンバー達が襲撃してきて、で、どーにもヤバそうだからって、さっさと逃げ出した。だから、お前は何があったのかを知らない。どうだ、図星だろ？ ……ルシファーが拾ってくるのは、そんなヤツばっかりだ……役立たずの不良品め……』
言葉の最後は、憎しみの混ざった吐き捨てるような調子で。それは、果たして、どちらに向けられたものだったのか、タイラントには判断できなかった。
（……ってか、あの時は、そんな事を考える余裕なんか無かったっつーか……）
尤も、こうして思い返してみても判らない。
（何にせよ、隊長が相当に嫌われてるのは間違いない……）
そして、とタイラントは考える。
（でもって、隊長は、これまでに何人かの『脱走兵』を拾ってココに連れて来てる……と）
しかも、その全員が基地が００ナンバーの襲撃を受けた直後に逃げ出したような臆病者ばかりだったというのだ。
一体何のために？ と考え、何にせよ、そのおかげで助かった、とタイラントは思う。
（そのおかげで、俺もそういうヤツだと思われたから……）
本当に助かった、とタイラントは溜息を吐いた。

どうしたらいいか判らずに身を強張らせているタイラントを、当番兵は鬱陶しいモノを見るような目で見下ろして。そして、暫しの間、臆病者だの愚図だの役立たずだのと毒づいた後、声を荒げて『どうなんだ？』と尋ねてきた。
とはいえ、どうなんだと言われても、タイラントにはどう答えたものやらサッパリ判らなかった。
相手は何もかもを完全に誤解している。だが、勿論、相手の誤解を解いても仕方が無い。いや、誤解を解いたら大変なことになる。となると、ここは誤解させたままで押し切るべきだろうか？ などとタイラントが逡巡する。だが、そう長々と考え込んでいる訳にもいかなかった。
この誤解に乗じるのが得策かどうかは判らない。しかし、これを否定したとして、では何をどう説明すればいいのかといえば、それは全く思い浮かばなかった。となると、むしろ、臆病者の役立たずと思われた方が、ここは無難に切り抜けられるのではないだろうか？ と、そう考えて。
そして。
苛々した風に自分見ている当番兵をビクビクと見上げ……内心、これで良いのかと戦々恐々なのは確かだったので、それには全く演技の必要は無かった……それから、恐る恐る頷いたのだった。

かくして、その後の事情聴取を無難に切り抜け……というか、どう答えていいか判らずにオロオロしているのを相手が都合よく解釈してくれ……おかげで散々馬鹿にされ侮蔑されたが、そんな事はどうでも良かった。まずい事を答えずに済んで安堵のあまり半泣きになったのも、気の弱いヤツなのだと解釈され、すっかり臆病者で惰弱な役立たずと結論付けられたが、それでとにかく事情聴取という名の尋問から開放され、タイラントは心底ほっとしたのだった。

かくして。
どうにか無事に編入手続きを終え、所属する小隊を言い渡されたタイラントは、その小隊が今は非番の時間だということで、食堂にやってきて残り物のパンとスープを貰い、やっとのことで人心地ついたのであった。
（……ほんと…つかれた……）
だから俺はこういうのが苦手なんだよ…と、心の中で誰にとも無く訴える。
（こーゆーのはさ、アレだ……そう、グレートとか……それとも、ジェットとか……？）
元役者だという００７ならうってつけだろうし、００２なら……若干お調子者っぽい感じがあるから、うっかり拙いことを言ってしまう可能性はあるものの……頭の回転はダントツに早そうだから、口先で相手を言い包めるくらい、難なくこなしそうだとタイラントは思う。
（うー……）
そして、タイラントは溜息を吐いた。
（……駄目だ。こんなコト考えてる場合じゃない……）
誰なら上手くやれるかを考えても、その相手と代われる訳では無いのだ。
（それより、この先どうするかを……）
考えなくては、と思った、その時。
不意に、ダンッ！ と目の前のテーブルが叩かれた。
（……ぅわっ……！）
あまりの勢いにテーブル上の皿が飛び跳ね、タイラントが目を丸くする。
次いで、頭上から罵声が降って来た。
「無視するンじゃねぇっ、新入りっ！ てめぇ、ナメてんのかっ！」
（えーっと……？）
新入りって俺のことか？ と思い、あぁそうかここでは確かに新入りか……と納得する。納得して思い返してみれば、確かに先刻から『そこの新入り』とかなんとか言う声が聞こえていた気がして、タイラントは内心で慌てた。
（やべ……）
臆病者の役立たずという路線で行くなら、呼びかけられたのに無視というのはいただけない。勿論、タイラント自身としては無視したのでは無く、単に気付かなかった……そもそも『新入り』が自分の事だとは思わなかったし、殺気も何も無い……いや、無い訳では無いのだが、あまりにお粗末なそれは、タイラントにとっては無いも同然……という訳なのだが、しかし、相手は、向けられた呼びかけを冷然と無視したと見ているようで、それは色々と拙かった。
（……まいったな……）
さっと気配を探れば、相手は５人。前に一人、左右に一人づつ、後ろに二人という配置だった。その誰もが刺々しい空気を醸し出していて、恐らくは、取り囲んで周り中から声をかけていたのだろうと思われた。ますます拙いとタイラントが内心で溜息を吐く。
「あ…あの……えと……。悪ぃ……じゃなくて、その、すみません……」
何とかしおらしげな態度を取ろうと思うのだが、どうにもやりずらい。
相手もそう思ったようで、再び罵声が降って来た。
「座ってんじゃねぇ。立てっ！」
そう言われ、おとなしく立ち上がる。そして、正面に立つ兵士の服の襟元と、肩口に留めてある小さなプレートにさっと視線を走らせ、タイラントは内心で頷いた。
（……なるほど。俺の所属小隊のヤツ…か……）
小隊の当番時間までは未だ数時間ある筈だが、大方、新入りが来るという話を聞いて、暇つぶしに様子を見に来た……というトコロだろう、と思う。
（自己紹介とか、した方がいいのかな……？）
あまり事を荒立てて目立ちたくは無い。とはいえ、どうも既に事が荒立っているような気もする。
（まずかったな……）
さてどうしたものか、とタイラントは考え込む。こういう場合、臆病者の役立たずとしては、どうするのが正解なのだろうか？ それがサッパリ見当もつかない。
（うー……）
あの場は、とにかく切り抜けられればそれで良い、と深く考えなかったが、こうなってみると、もう少し自分がやり易い路線にしておくべきだった。とはいえ、今更やり直しはできないし、やり直せたとしても、どうすれば良いのかも判らないのだが。
（……だから、俺は、こういうの苦手なんだってっ！）
誰にとも無くそう叫び、タイラントはこっそり溜息を吐いた。

付いて来いと言われ、５人の兵士に取り囲まれて連れられてきたそこは、倉庫と思われる場所だった。とはいえ、今は使われていないらしく、何の荷物も置かれていない、唯のだだっ広い空間だった。
その中をぐるりと見回せば、数十人の兵士達が集まっている。ざっと見渡した限り、全員がタイラントの所属する小隊の者のようだった。
「えーと……？」
その場を包む穏やかならぬ雰囲気に、タイラントは目を瞬かせた。一瞬、正体がバレたのだろうか？ と考える。だが、その考えはすぐに捨てた。
（もし、正体がバレたんだったら……）
自分が『タイラント』である……すなわち、元医療センター長ウィッチの『作品』であり、００ナンバー達と共に各地の基地を壊滅させた者だ……ということが看破されたのなら、高々数十人の一般兵で取り囲む程度では何の意味も無い事など明白な筈で、だから、それは無い、とタイラントは考える。
（ってコトは……？）
一体、何だと言うのだろうか。新入りの歓迎会にしては、雰囲気が悪すぎる。そう思い、そこでタイラントは、あぁそうか、と頷いた。
（まぁ、ある種の歓迎会……か）
ようするに新入り苛めというヤツだ、とタイラントは納得する。隊内の序列を明らかにし、新入りのポジション……といっても、どうせ最下層になる訳だが……を決めようと、ようはそういう事なのだ、と。

Neo Black Ghost に入るまで……つまり、ルシファーの隊に居た間……タイラントは、そういう『風習』を、その存在そのものを、知らなかった。
勿論、ルシファーの隊にも、そういったある種の『序列』というものは存在した。だが、それは公式な訓練の場での各々の実力を純粋に反映しただけのもので、こういった……ある種の政治力を伴うような……私的な要素を孕んだものでは無かった。
それは勿論、隊長であるルシファーがそれを許さなかったからだが、しかし、それだけでは無かった。それだけでは無かったのだ、と今のタイラントには判る。
数十人の部下達の、その隅々まで目を届かせるのは、実際問題として不可能。それは、タイラント自身が部隊を率いる身となって、しみじみ実感した事だった。
作戦に直接関わる指示ならいざしらず、隊内で行われる非公式な諸々に関することに隊長の意思を反映させるのは、特に Neo Black Ghost のような、倫理を踏みにじる事をこそ善しとするような組織では、ほぼ不可能だった。だからタイラントも、自分が部隊を率いる身になった時、そういった些か後ろ暗いコトが隊内で行われている事は十分に判ってはいたものの、敢えてそれを糺そうとはしなかった。時には、それに耐えかねて、あるいは行き過ぎた行為の結果、命を落す者も居ないでは無かったが、しかし、Neo Black Ghost においては、それが殊更に問題視されるような事は全く無かった。
では、ルシファーの隊では何故そういった事が一切無かったのかといえば、それは勿論、隊に属する者達にとってルシファーが絶対的な存在で、その言葉に逆らおうなどと思う者が殆ど居なかったというのもあるが、しかし、各分隊を取りまとめていた、いわばルシファーの側近とも言うべき者達の存在も大きかったのだろうと思われた。
そして。
その中でも特に、副隊長。今にして思えば、彼こそが、部隊を影で支えていたのだ、とタイラントは思う。
（副隊長……ミシュアル……）

副隊長のミシュアルは、ルシファーの腹心で、乳兄弟だという話で、素手の格闘戦に限りはするものの、隊内で唯一人、ルシファーに勝つことの出来る男だった。
ミシュアルは、陽気で何処に居ても一瞬で目に付くルシファーとは違い、殆ど目立たなかった。体格はルシファーと互角で、身長に至ってはルシファーよりも１５センチ程も高かったにもかかわらず、まるで周囲に影を纏っているかのように、ミシュアルが人目を引く事は無かった。
だから、ミシュアルが一人で居るところを見て、あのルシファーの副隊長を務めている男だと思う者は、まず居なかった。いや、ルシファーと共に居てさえ、ミシュアルが副隊長だと思う者は少なかったかもしれない。
濃い金茶色の猫っ毛を後ろで一つに束ね、陰気と紙一重の無口さで、けれど、常に温和な笑みを湛えていたミシュアルは、隊の誰がどんな話をしようとも、ただ黙って聞いてくれた。たとえ隊長であるルシファーの悪口であろうとも、その薄緑の瞳は静謐さを崩さず、また、彼に話したことがどこかに漏れることは一切無かった。
だから、隊内で何か問題が起きれば……それが隊長のルシファーに言い辛い事なら尚更……誰もが副隊長のミシュアルに訴えた。ミシュアルに話をしさえすれば、総ての問題は、勿論たちどころにという訳には行かなかったが、遠からず解決されて。
タイラント自身、とてもルシファーには言えないような泣き言を聞いてもらった事は一度や二度では無かったし、訓練中に怪我をしたのをルシファーに言うなと脅されて泣き付いたこともある。
そして。泣き言は聞き流され、怪我には治療が施され、タイラントに怪我をさせた者は暫く後の分隊再編時にタイラントとは別の分隊に配されたのであった。

（そういえば…ミシュアルは……？）
隊長のルシファーは、生きて捕らえられ、処刑され、その後どういう経緯があったのかは判らないが、Neo Black Ghost のサイボーグとなった。
では、副隊長のミシュアルはどうだったのだろう？ と思う。
（でも、捕まったのは隊長だけで……それ以外、は……っ）
ルシファー以外は全員が死んだ筈で、それを自分は知っている。
その考えとともに脳裏を過ぎった光景に、タイラントは思わず息を呑んだ。
（……あ……？）
記憶の奥底へと無理矢理に封じ込め、忘れていた何か。
それは、吐き気を催す程の不快感を伴う記憶。
だからこそ、綺麗サッパリ何もかも忘れていた、その筈なのに。
（……駄目…だ……）
それを思い出してはいけない…と、無意識に思う。
忘れよう、これまでそうしてきたように。
少なくとも今は。
忘れなければ、進めない。
そう。
とにかく、総てを忘れて、今この瞬間を生きればいい。

思い出しかけたものを忘れ、思い出しかけた事すらも忘れ、そして、タイラントは現実に意識を戻した。

（……えーと……？）
今、一瞬、何かを考えていた気がする。何だっただろうか？ とタイラントは内心で首を傾げた。
だが。
（……まぁ、いいか……）
何はともあれ、今はこの場をどうするかだ、とタイラントは素早く気持ちを切り替えた。
（それにしても困ったな……）
臆病者の役立たずとしては、ここは袋叩きにされるべきなのだろうか？ そんな気がするが、しかし、それはそれで後々厄介な事になるだろう。
（新入りな上に弱っちぃとなりゃ、面倒ごとを次々と押し付けられるだろーしなぁ……）
体良く使い走りなどにされるのは、まず間違いなさそうで。そうなれば、自分の好きに行動するのは難しくなる。
（うーん……）
もぉ、ここはいっそ、本性を出してしまおうか？ と考えながら、タイラントは周囲の様子を探った。
視界に入る範囲に２０人弱。見たところ、その全員が量産タイプのサイボーグで、加速装置付は居ない。
背後の気配は１０人程度。全員が、およそ上品とは言えない、薄っぺらな殺気を放っている。この場の全員が同じ小隊の隊員だとすれば、おそらく、背後にも加速装置付は居ないと思われた。
（まぁ、仮に居たとしても……）
こんな程度の連中じゃ話にならない、とタイラントは考える。
（となると……）
残る問題は唯一つ。
それを確かめる為に、タイラントは口を開いた。

「あのー……。ちょっと訊いても、いい…かな……」
一応は気弱そうな雰囲気を出そうとしてみるが、成功しているかどうかは心許なかった。その証拠に、周囲の雰囲気が険悪さを増して。
けれど、できれば予め訊いておきたい事があるタイラントは、内心で溜息を吐きつつ言葉を継いだ。
「あのさ……これって、その……。部隊長は、知ってる訳？」
躊躇いがちな言葉をどう取ったのか、倉庫内が嘲笑に満たされた。
「知ってる訳が無いだろ？」
「馬鹿が」
「部隊長が気にする訳ねぇだろ……」
「びびってんのかよ、新入り」
「いや、だってコイツ、脱走兵らしいし」
「００ナンバー達が来たからって、真っ先に逃げ出したって」
遠慮なく飛び交う言葉。
（……うわ、情報がダダ漏れだ……）
いいのかコレで？ とタイラントが天井を仰ぐ。
とはいえ。
（まぁ、いいか。とりあえず、今この瞬間は、部隊長に知られて無い……と。こういう細かい事には関心が無いって事かな？）
だが、一応は Neo Black Ghost のサイボーグだとはいえ、現状を考えると、自分は明らかに外部からの侵入者である筈なのだが。
（ガードが甘いのか……それとも、泳がされてるのか……）
あるいは別の何かなのか。
（まぁ、いい）
どうやらこの場に居る者以外は、この一件を知らないらしい。
（つまりは、ごく普通の『新人歓迎会』って訳だ）
そうであるのなら、恐らく、ここの監視カメラは死んでいる。
（こーゆー連中は、そーゆートコロは抜け目無いからな……）
文句なしのお膳立てだ……と、タイラントはほくそ笑んだ。
（やっぱり俺、役者には向かないなー……）
自分本来の振る舞いをして構わないとなると、心底ほっとする。
そして。
「いいぜ。部隊長が知らないってんなら安心だ。ぱーっとやっちまおうぜ」
突然、それまでの気弱そうな雰囲気をかなぐり捨てたタイラントに、その場の全員が虚を突かれたように黙り込んだ。
それをぐるりと見渡し、タイラントが軽く右手を上げる。そのまま指先をちょいちょい…と動かして。
「遊んでやるよ、まとめてかかってきな」
瞬間、周囲の空気が凍り付いた。
次の瞬間、それが一気に沸点へと達する。
「てめぇっ！」
「ナメてんじゃねぇぞっ！」
「ヤっちまえっ！」
罵声と怒号が周囲を埋め尽くして。
ふっと笑みを浮かべ、そして、タイラントは一陣の旋風と化した。

「んー……」
タイラントが大きく伸びをする。
「なんかさー、全然、暴れ足りないんだけど……」
そう言いながら、壁際を振り返る。
「なぁ、小隊長サン。この隊、たるんでるんじゃね？」
小首を傾げながらタイラントが歩を進めれば、ヒッ…と喉元から詰まった悲鳴を上げて小隊長は後ずさりした。
助けを求めるように周囲を見回す。
だが、小隊の全員が叩きのめされ、意識を失って倉庫の床に転がっていて。
当然の事ながら、怪我人は居ない。

タイラントが挑発し、その場の全員がほぼ一斉に飛び掛ってから、僅かに１分半。
加速装置を使うまでも無く、惨劇は完了していた。

「俺としても、一応、手加減はしたんだよ」
なぁ、ソコんトコ解ってくれよな？ と言うタイラントに、何を言われてるのかも理解せぬまま、小隊長がこくこくと頷く。その有様に、タイラントが溜息を吐いた。
（ちょっと、やりすぎた……かなー……）
とはいえ、やってしまったものは仕方ない。
「えーと……」
カリカリと頭を掻き、それから、一気に距離を詰めて。
「……ひっ……」
壁際に追い詰められ、小隊長が目を見開く。それへ、タイラントがニッと笑みを向けた。
「自己紹介が未だだったよな。タイラント、だ。よろしく、小隊長」
半泣き状態の小隊長が、とりあえず頷く。
それを笑顔で見下ろしたまま、タイラントは言葉を継いだ。
「それでさ。俺、面倒は嫌いでさ。別にアンタに楯突こうとか、そーゆー気は全然無いんだよ。ただ、目立たず適当にやっていきたいって、それだけなんだ」
理解してもらえるかな？ とタイラントが言う。それを、小隊長が呆然と見上げて。
「アンタが俺に面倒を押し付けなけりゃ、俺もアンタに面倒はかけない。勿論、俺はアンタの部下なんだから、ちゃんと命令には従う。小隊の仲間とも、仲良くやるさ。こうやって……」
そう言いながらチラリと背後に視線を送り、再び小隊長に視線を戻す。
「……歓迎会をして貰って、親睦も深めたことだしさ……な？」
悪びれない笑顔。それに、小隊長が身震いする。
「けどさ。任務がある時以外は放っておいて欲しいんだ。俺、ホントに面倒が嫌いだからさ。……なぁ、悪い話じゃないだろ？」
そう言い、そして、タイラントは一歩後ろに下がった。

タイラントが黙り、周囲を沈黙が覆う。
やがて、いつの間にか床にへたり込んでしまっていた小隊長が、俯いたまま震える息を吐いて。そして、小さく頷いた。
「わ…かった……」
諦めたような、掠れた声。
「好きに…しろ……」
「……ありがとうございます」
どうやら上手く行ったらしいと安堵して、タイラントが敬礼をする。
けれど、勿論、小隊長にはそんなタイラントの内心は判らない。あらぬ方へ視線を向けたまま、憮然とするばかりで。
その様子に苦笑しつつ、タイラントは内心で呟いた。
（……とりあえず、コレでいい……のかな……？）
一応は、小隊内での立場は確保した。勿論、この一件を小隊長が上に報告すれば、拙い事になる可能性はある。
とはいえ。
（ま、ソレは無い……よな、多分……）
タイラントがこういう事をやったのは、何も今回が初めてという訳ではない。Neo Black Ghost の戦闘員だった頃、クワイト付き戦闘部隊隊長になる以前、いくつかの部隊に配属されたタイラントは、その先々で、隊内で有利な立場を確保する為に、こういった事をやってきていた。
だが、いずれの場合も、それそのものが問題となった事は無い。
（とはいえ、今回は……）
正規のルートでの配属ではなく、あくまでもイレギュラーなのだ。何が上の目を引くかは判らない。
（何にせよ、気をつけないとな……）
尤も、具体的に何をどう気をつければいいのか、今ひとつ判らない。
（……だからさ、俺はこういうの苦手なんだって……。なぁ、ジョー……）
俺、本当に困ってるんだよ……と、ひとり呟くタイラントであった。