Act.3 不完全共闘− フカンゼン キョウトウ −

  − Scene 3 −  

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扉の外から聞こえてきた複数の人声に、頭までシーツに包まってベッドに寝転び、浅い眠りに落ちていたウィッチは、ふっと目を開いた。元来、あまり眠りが深い性質では無く、ましてやこんな状況で熟睡などできる筈も無いから、目を覚ませばそれだけで頭はハッキリと覚醒する。
(……なにごと?)
内心で首を傾げつつ、けれど、未だ寝入っていると思われるよう身動ぎはしないまま、外から聞こえてくる声に耳を傾ける。とはいえ、扉も壁もそれなりに厚いから、声は聞こえても内容までは判らない。だが、切れ切れに聞こえてくる幾つかの単語や、言い争っているような調子の応酬からすると、どうやら何者かがやってきて、警備の兵士を相手に、この部屋に入れろ入れないの押し問答をしているように思われた。
(いったい、誰……?)
この中東基地に居る者で自分に用のある者といえば、思い浮かぶのは、基地司令であるダクシャか、あるいはルシファーあたりだが、それにしては妙だった。
来たのが基地司令であるダクシャなら、何しろ基地の最高権力者なのだ、言い争うことなく兵士達は通すだろう。また、ルシファーにしても、来るのなら問題なく通れるような状況を整えてからにするだろう。こんなトコロで下っ端と押し問答など、そんな馬鹿な真似をするとは思えない。
従って、基地司令やルシファーでは無い。
(となると……)
そう考え、ウィッチは眉根を寄せた。
(……まさか、タイラント……?)
例えば、自分がここに捕らえられていることをルシファーがタイラントに報せたら。そうしたら、タイラントは自分に会う為に、ここへ来るだろうか?
(………)
二呼吸ほどの間考えを巡らせ、そして、ウィッチはその考えを却下した。
(いくらなんでも、それは無いわね……)
せっかく、『本部の崩壊で指揮系統を失ってはぐれた組織の備品のひとつ』として紛れ込んだというのに、無理矢理ここへ来て自分に会うような真似をすれば、疑惑を招くことになる。そうやって疑われれば、あれこれと調べられるのは必至で、調べられてしまえば、009との関係がバレるのは時間の問題になるだろう。
それでは、『単なる組織の備品のひとつ』として紛れ込んだ意味が無い。
(さすがに、そこまでの馬鹿じゃあ……無い、わよねぇ……?)
どうにも断言しきれない部分があるのは事実だが、しかし、少なくとも戦闘に関する事である限り、タイラントは、基本的に有能だ。とはいえ、今のこの状況は、広い意味では『戦闘』に関することではあるが、厳密に言えばそうとも言えない。その辺りを考えると、どこまで上手く立ち回れているのか? と、少なからぬ不安を抱かずにはいられないのである。
とはいえ。
(……ま、考えても仕方ないわ。もし、あの馬鹿だったら……)
その時はその時。自分がフォローできる範囲で何とかするしかない。そう考えつつ、ウィッチは扉の向こうの声に耳を澄ました。

じっと聞き耳を立てていると、警備の兵士達に向かって矢継ぎ早に何事かを……断片的な単語からして、まず間違いなく、この部屋に自分を入らせろ、と……居丈高に命じているのは、やや甲高い尖った調子の声だった。その声は、明らかにタイラントとは違う。
(……やれやれ……)
どうやら自分の懸念は杞憂だったようだ、とウィッチは小さく息を吐いた。
だが。
(……となると、一体、誰?)
警備の兵士と押し問答しているということは、基地司令であるダクシャの許可を得ずに来ているということで、いわば、正規の『任務』としての面会では無い。
だが、ルシファーやタイラント以外でそんな事をしたがる者とは、一体、何者なのか?
(ダクシャと対立関係にある勢力……?)
勿論、そういった勢力が存在する可能性は十分にある。かつての Neo Black Ghost でも、主導権争い、権力闘争は、半ば公然と行われていた。今現在の中東基地がどの程度の規模なのか、そもそもこの基地だけの勢力なのか、他の場所にも基地を持っているのか、それは全く不明だが、しかし、規模の大小と勢力争いの有無に関係は無い。どんなに小さな勢力であろうとも、人間が集まれば……しかも自ら望んで Neo Black Ghost に属するような類の人間が集まれば、そこには権力闘争が起きる。だから、この中東基地の中に、ダクシャを頂点とする『正規』の指揮系統とは別の何らかの勢力があり、その両者の関係が穏便ならざるものである可能性は、十分に考えられた。
(でも……)
もし、そうであるのなら、このやり方は些か、いや、かなり、いただけない。
こんな風に騒ぎを起こしたのでは、自分に接触をしようとした事がダクシャに筒抜けだ。もっとも、感づかせることも目的のひとつで、ダクシャに対する牽制の意味合いもあっての事だというのなら、話は別だが。
(……とはいえ、これはちょっとねぇ……)
外での遣り取りの雰囲気からは、どうも、そういった駆け引きめいたものは感じられない。あたかも子供が駄々をこねているかのような空気。それは、仮にも Neo Black Ghost の基地たる場所には、どう考えてもそぐわないもので。
(一体、なんなの……)
ウィッチが内心で首を傾げた、その時。
どうやら話がついた……というよりも、警備兵が根負けして押し切られた……ようで、言いあう声がおさまり、外が静かになる。
次いで響いたのは、扉の鍵を外そうとする、重い音。
(……へぇ……)
これは面白い、とウィッチは目を瞬かせた。

各基地に所属する兵士達への命令は、まず基地司令から基地付き戦闘部隊の部隊長へ下され、それが必要に応じて分割ないしは詳細化された上で、中隊や小隊の隊長へと順次伝達され、最終的に個々の兵士へと下される。勿論、それらの命令伝達の間には、戦闘員ではない自分には判らない諸々のことがあるのだろうし、戦場においては必ずしもそうとは限らない場合もあるのだろう、とウィッチは考える。
(でもねぇ……)
こういった基地内での任務に関しては、通常の経路以外で命令が下される事は無い筈だ。ましてや、こんな、押し問答の末に……といったような形での命令違反など、本来ならあり得ない筈だった。
何故ならば、命令違反は、まず間違いなく、それをした途端にバレるし、バレた場合に処罰を免れることなど到底不可能だからだ。
にもかかわらず、明らかに命令違反と思われる判断を、扉の前で警備に就いていた兵士達は、不承不承とはいえ、その場に居る数人だけで下したように思われる。
一体、それは何故なのか。
(……ひとつ目の可能性は、統制の乱れ……)
基地司令や部隊長の権威が薄れ、通常の指揮命令系統が弱まっている為、些細な命令違反に対して兵士達が抵抗感を持たなくなっている、という可能性だ。
もっとも、許可を得ていない者を捕虜と面会をさせるなど、とても些細な命令違反とは思えないが。
(……ふたつ目の可能性は、無理を言って来た相手の、この基地内での立場……)
本来なら許されない筈の、無許可での捕虜との面会。それを求めてきた者が、この基地内で特殊な立場にある、という可能性もある。例えば、この基地の指揮系統に属さない外部勢力の客人など、明確な権限は持たないものの、一般の兵士達が無下に要求を断れない、機嫌を損ねるのが憚られるような、そういう者である場合だ。
(でも、それならそれで……)
速やかに司令室へと連絡し、上官に指示を仰ぐのが本来の筈。けれども、気配から察した限りでは、ただ延々と押し問答を繰り返していただけで、司令室に連絡を取って指示を仰いでいるような、そんな様子は無かった。
(そうすると……)
その他にはどんな可能性があるだろうか? と、そこまで考えたところで、ウィッチは思考を打ち切った。

鍵の外れる重い音。
ゆっくりと開きかけていく扉の、軋んだ音。
憶測からは何も生まれない。
今は、目の前の事態に対処すべき時だ。

(さて……)
瞬時に思考を切り替え、このまま寝たフリをしておくべきか、あるいは身を起こすべきか、一瞬よりも短い間で、考えを巡らせる。
そして。
次の瞬間、ウィッチは素早く身を起こした。
相手の正体が判らない以上、寝たフリが得策とは思えない。それよりも、室内に足を踏み入れる瞬間から、相手の様子を観察する方が望ましい。
シーツを体に巻きつけたままベッドの上に座り、壁に背を凭れて扉の方へと視線を向ける。
(さぁて、どちら様かしらねぇ……?)
内心でそう呟きながら、耳障りな音をたてて開かれる扉と、その向こうから現れる何者かを、ウィッチはじっと見詰めた。



開かれた扉をくぐって入ってきたのは、見知らぬ青年だった。
後ろに兵士が三人続き、扉を閉めてその前に並んで立つ。一列に並んだ兵士達をさっと流し見て、タイラントがその中に居ない事を確認すると、ウィッチは青年へと視線を戻した。

柔らかな墨色の髪に薄い藍鉄色の瞳。痩身に纏っているのは黒い Neo Black Ghost の幹部服。丸みを帯びた女性的な顔立ちの所為か、少し幼く見えるものの、年の頃は二十歳を少し過ぎたくらいだろう、とウィッチは見当をつけた。その極めて端整な容貌は、こういう組織に身を置く者としては、どうにも不釣合いに思える。
(私の審美眼なんて大したものじゃないけれど、でも……)
素人目にも明らかな程に際立った外見。女性的なラインを描く頬に、男性的な目鼻立ち。しなやかな若木の如き、均整の取れた体つき。それらが、凛々しさの中にもどこか甘さをもった中性的な雰囲気をかもし出していて、あたかも天使画から抜け出してきたかのような麗しさを感じさせる。何もせず、ただそこに立っているだけで衆目を集めてしまうような、なんとも絵になる容姿。こんな場所ではなく、表の、光の当たる世界に居たのなら、今頃は世界中からの賛美を一身に集める人気モデルにでもなっていたのではないか? と、そう思えてならない。
だが。
(どうやら……綺麗なのは見た目だけ、のようね……)
全身から発せられる尊大で刺々しい空気。傲慢さを隠そうともしない表情。うんざりするほどに見慣れた毒々しさは、まさに Neo Black Ghost の一員たるに相応しいもので。
(なんともまぁ、惜しいこと……)
内心で苦笑交じりに呟き、それから、ウィッチはそっと首を傾げた。
(それにしても……)
どうも何かがひっかかる。何が、という訳では無いのだが、この青年を見ていると、ごくごく僅かではあるが、何か違和感のようなものを感じる。
(……何かしら……?)
しかし、それが何かは判然としない。
(………。まぁ、いいわ)
今は、そんな事を考えている場合では無い。とりあえず、不可解な違和感を抱いたことのみを心に留めると、ウィッチは、改めて目の前の青年へと意識を向けた。
(それで? この子の階級は……?)
幹部服の襟元に付けられた刺繍へと視線を向け、記憶を手繰りながらその紋様を暫し眺める。
そして、ウィッチは僅かに目を細めた。
(……おやまぁ……)
これはまた面白い、と思う。
(この子、基地司令の副官じゃないの……)
だとすると、先刻の押し問答の原因は、一体、何なのか? それは、極めて興味深い事だった。

Neo Black Ghost では、本人の『代理人』であることが、公式かつ無条件に認められるのは、上級幹部の副官に限られていた。とはいえ、基地司令の『副官』についても、任命権を基地司令が持っていることもあり、上級幹部の副官と同様、代理人として扱われる事が多かった。特に、所属する基地内に話を限れば、代理人として扱われないケースは皆無と言って良かった。
従って、この青年が基地司令の副官であるのなら、先刻の押し問答は、全く意味が違ってくる。つまり、この青年の命令は、基地司令の命令と同等に扱われる筈だからだ。兵士達が拒否するなど、そもそもありえない。
にもかかわらず、兵士達は明らかに、何とかしてその命令を拒否しようとしていた。結局は押し切られてしまったものの、通常なら、あんな押し問答をするまでもなく、速やかにこの部屋へと通されていただろう。
これらが指し示す事実は、極めて明白だった。
ようするに、この青年は、基地司令ダクシャの代理人とは認められていないのだ。それも、まず間違いなく、基地司令であるダクシャ本人によって。
にもかかわらず、ダクシャは、この青年を副官の任に就けたままにしている。
何とも奇妙な状況。
これは、果たして、如何なる理由によるものなのか?

(どうやら……)
中東基地が抱える不安定要素は、ルシファーだけでは無いようだ、とウィッチが嗤う。
(……色々と状況が変わってきている、という訳ね……)
なるほど、ルシファーが動きだす訳だ、と内心で頷いて。
(さて。となると、この坊やは……)
一体、自分に何を言ってくるのだろうか? と、ウィッチは興味津々で、しかし、表面上は無感動に、目の前の青年を眺めた。



「おいっ」
シーツに包まってベッドに座り、壁に凭れたまま、ただ醒めた目で自分を眺めているだけのウィッチに、ソレイユは苛々と声をかけた。
しかし、ウィッチは身動ぎひとつしない。
舌打ちしつつ睨み付けてみても、相変わらずウィッチは黙ったままで。
「返事をっ、しろっ!」
癇癪を起こしたように叫べば、やっと、ウィッチが目を瞬かせた。
「……何の用かしら、坊や」
ぞんざいな口調。まるで気の無い調子の声音。
軽く投げつけられた失礼極まりない言葉に、ソレイユは柳眉を逆立てた。床を踏み鳴らし、唸るように言い返す。
「僕を子供扱いするなっ!」
どうして誰も彼もが自分を子ども扱いするのか。ふざけるな、と拳を握り締めて。
「いいかっ。お前の命は、僕が握ってるんだからなっ」
人差し指を振りたててびしりと突きつけ、最大限の脅しを込めた言葉を叩きつけてみれば、ウィッチが微かに目を細めた。
「あら、そう。私を殺しても困らないって言うのなら、どうぞ。好きにすれば?」
馬鹿にしきった口調。
ゆっくりと嘲笑を浮かべ、ウィッチが言葉を継ぐ。
「……でもねぇ。あんたみたいな坊やに、そんな権限、あるのかしら?」
「なっ……」
あまりにも失礼な物言いに、ソレイユは絶句した。
「………おまっ……なっ……ぼっ……」
息を詰まらせながら拳を振り上げ、言葉が出ないままに地団駄を踏む。そして、息を詰まらせながらソレイユは叫んだ。
「お、おまえっ……ぼ、僕を、誰だと思ってるんだっ!」
「知らないわよ」
さらりと返され、ソレイユが再び言葉を失う。
と。
流石に見かねたのか、扉の前に並んでいた兵士達の一人が口を開いた。
「基地司令の副官、ソレイユ様だ」
しかし、ウィッチの言葉はにべも無かった。
「自分の名前も言えないような坊やが、基地司令の副官? まったく、世も末ね」
何とかフォローしようとした兵士が鼻白んで黙る。そこへ、ソレイユの金切り声が響いた。
「ぼっ、僕はっ! い、いずれっ、僕がっ! 僕が、この基地の基地司令になるんだぞっ!」
「……は?」
あまりの言葉に、さすがにウィッチが目を見開く。
「どういうこと……?」
思わず零れた呟きに、ソレイユは、ふふんと嗤って胸を張った。
「いずれ、僕がお祖父さまの後を継ぐ。そう決まってるんだからなっ」
「………」
得意気な口調。
ウィッチが、すっと目を細める。
値踏みするような視線がソレイユをひと撫でし、それから、扉の前の兵士達へと向かって。
「この坊やの『お祖父さま』ってのは、ダクシャ?」
投げかけられた問いに、兵士達が視線を宙に泳がせた。答えあぐねるような空気。だが、その態度そのものが、問いへの回答に等しかった。
「なるほど……」
ウィッチがゆっくりと言い、ソレイユへと視線を戻す。
「……なるほどねぇ……」
もう一度、口の中で呟くように言うと、ウィッチは薄っすらと笑みを浮かべた。



「なるほど……。つまり、坊やは未来の基地司令様、という訳なのね?」
「そうだ」
先刻に比べて明らかに柔らかな口調で発せられた言葉に、『坊や』という呼びかけが少々気にいらなかったものの、ソレイユはやや溜飲を下げた思いで頷いた。
「わかったか。わかったんなら……」
口の利き方に気をつけろ、と言いかけた言葉は、しかし、冷たい声に遮られた。
「でも、今は未だ違う」
薄氷の瞳に見据えられ、ソレイユが息を呑む。
まるで見下すような、嘲笑を込めた視線。ルシファーから向けられた殺気とは違う、けれど、足元が瞬時に凍りつくような気配。それは、狩る者と狩られる者の間を繋ぐ、きわめて原始的な恐怖にも似て。
声も出せずに身を竦ませるソレイユを睥睨し、ウィッチは冷然と言葉を継いだ。
「今の坊やには、何の権限も無い。ただの坊やに用は無いわ。出てお行き」

支配的な響きを持つ、特有の声音。
叩きつけられる、圧倒的なまでの威圧感。
身動ぎすらできず、ソレイユが立ち尽くす。
あたかも無音の嵐が通り過ぎて行くかのような、長い、長い、数秒。

何もかもが凍りついた空間に、不意に、柔らかな声が響いた。
「それとも……」
そう言って、ウィッチがふっとわらう。その空気に、ソレイユの肩から我知らず力が抜けて。
ゆっくりと首を傾げながら、ウィッチは言葉を継いだ。
「ひょっとして、坊やにも、多少の権限はあるのかしら?」
唐突な言葉。
甘ささえ感じる声音。
ふんわりとした気配に、ソレイユは目を瞬かせた。
「……ぇ……?」
「そうよね、仮にも基地司令の副官様、ですものね。勿論、少しくらいの権限は、あるわよね。もしそうなら、『坊や』だなんて呼ぶのは失礼ね。謝らなけりゃならないわ」
ひどく優しげな口調に、思わずウィッチを見る。
薄氷の瞳に湛えられた柔らかな光。それに、思わずほっと息を吐いて。けれど、何をどう答えればいのか判らず、ソレイユは狼狽えたように唇を震わせた。
「……え……あ……」
何かを言わなくてはならないと思うのに、言葉が出ない。
その有様に、ウィッチが僅かに眉を顰めて見せる。
「……それとも、やっぱり『お祖父さま』のお許しが無ければ何も出来ない、ただの『坊や』なのかしら?」
語尾に混じった冷たい気配。
すぅっと冷たさを帯びはじめた視線。
爪先から氷水に浸されていくような感覚に、ソレイユは慌てて叫んだ。
「……ち……ちがうっ! ぼ…僕……僕にだって、権限くらいあるっ……」
「………」
黙ったままのウィッチに、ソレイユが忙しなく拳を上げ下げして。
「……お、お祖父さまの許しなんか無くたって……っ」
「無くたって、何か出来るの? ……本当に?」
そうかしら? と疑わし気に目を眇めるウィッチに、ソレイユは唇を噛んだ。
「できるさっ!」
「……ま、口で言うだけならね。権限があるって、そう言うだけなら、そりゃあ、誰でも、できるわよねぇ……」
素気無い口調で言いながら肩を竦め、おざなりに頷いてみせるウィッチに、ソレイユが床を踏み鳴らす。
「うるさいっ! 馬鹿にするなっ。僕は……っ」
「はいはい、未来の基地司令様、なんでしょう?」
そう言うと、ウィッチが、完全に興味を失ったかのように溜息を吐いた。そのまま、ふっと視線を逸らす。
次の瞬間。
まるで、一瞬にして見えざる壁で隔てられたかのように、ウィッチの気配が透明に変わった。
薄氷の瞳が、あたかもその場に誰も居ないかの如く、自分を通り過ぎて背後の壁を映すのを、ソレイユが呆然と見詰める。
「……ぼ……僕……僕…は……」

自分自身が消えてしまったかのような、奇妙な喪失感。
言いかけた言葉が宙に消える。
沈黙が世界を支配して。
それは、空気が音を伝える機能を失ったかのようで。
平衡感覚が失われ、きぃんと耳鳴りがするような、そんな錯覚に陥る。

一体、何が起きたのか。
自分はどうすればいいのか。
何もかもがまるで判らず、ソレイユは途方に暮れて立ち尽くした。



「……証明、できる?」
「え……?」
不意に響いた声に、ソレイユは慌ててウィッチを見遣った。
「ちゃんと権限がある…って、証明できるの?」
薄氷の瞳が、ゆっくりと自分を映す。
それへ、我知らず大きく息を吐き、ソレイユは急いで頷いた。
「……で…きる……」
何だか良く判らないが、とにかく、自分に出来ない事など、ある筈が無い。そう思う。
「本当に? 本当に、証明できるの?」
「……できるさっ」
勢い込んで答えれば、ウィッチがクスリと笑った。
「そう。それなら……。証明して、もらおうかしらね?」
そこで、一瞬、言葉を切って。
「あなたの権限で、私を、この基地の医療センター長に任命してみなさい。今、すぐに。それが出来たなら、私は、あなたの忠実な部下として働きましょう」
「……え……?」
虚を突かれたように目を丸くするソレイユへ、ウィッチが嘲笑の混じった視線を向けた。
「さぁ、どうなの? 『坊や』に、そんな権限、あるのかしらねぇ……?」
「え……と……」
ソレイユが、途方に暮れたように視線を宙に彷徨わせる。ウィッチを医療センター長に任命する為には、一体、何をどうすればいいのか? それが、全く判らない。
黙り込んで暫し考え、それから、ソレイユは頷いた。
「わかった。僕の権限で、お前を、医療センター長に任命する」
どうすれば良いのかは判らなかったものの、とにかく、そう言ってみる。
しかし、ウィッチの返答はにべもなかった。
「そうやって言うだけなら、子供にだって出来るわよ、坊や」
「………」
あっさりと切り捨てられ、ソレイユが唇を噛む。その有様に、薄氷の瞳が微かな笑みを浮かべて。
そして、ゆっくりと言い聞かせるように、ウィッチは言葉を継いだ。
「あのね。まずは、私をここから出さなければね。それから、私を医療センターへ連れて行って、前任のセンター長とスタッフ達に対して、あなたが、センター長の交代を宣言するのよ」
どう、簡単でしょう? と言うウィッチに、ソレイユがこくりと頷いて。
それを確認し、ウィッチはニッと嗤った。
「もし本当に、あなたに権限があるのなら、そうするだけで皆が従うわよ。……本当に、その権限があるのなら、ね」
殊更に加えられた最後の一言に、ソレイユがギリっと唇を噛んだ。拳を振り上げて叫ぶ。
「あるさっ!」
馬鹿にするな、という言葉に、けれど、ウィッチは軽く肩を竦めて見せただけだった。
「御託はもう十分。本当に出来るというのなら、証明してみなさい、坊や」
話はそれからよ、と言うウィッチに、ソレイユが肩をそびやかす。
そして。
「いいだろう。今すぐに証明してやる」
見てろよ…と呟くと、ソレイユは扉の前に並ぶ兵士達へと向き直った。


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