「……とりあえず、今はこれでいいわ。後のは片付けて」
ウィッチがそう言いながら、片手に掴んだ服をベッドの脇に置いた籠の中に入れ、残りを床に放り捨てる。それへ軽く頷くと、ソレイユはくるりと兵士達を振り返った。
「よし。お前たち、コレを片付けろ」
床に小さな山となっている服やら靴やらを指差して命じる。
「……は。了解しました……」
自信満々の命令口調に、兵士達が些かげんなりした風情で、けれど一応は姿勢を正し、返事をして。そこへ、更にウィッチの声が飛んだ。
「着替えるんだから、すぐにやって。で、あんた達は外に出てて頂戴」
「さっさとやれ。すぐに全部持って、外に出るんだ」
ウィッチの言葉に応えるように、ソレイユがびしりと扉を指差して。
「……りょ、了解です……」
どちらに対するものとも判らない返答をしつつ、兵士達は慌てて服の小山に群がり、とにかく持てるだけ持っては部屋の外へと放り出しにかかる。その様子を薄氷の瞳がチラリと一瞥し、それから、ウィッチはソレイユへと視線を流した。
「坊やもよ。女性の着替えを見たいというのなら、止めないけれど」
でも、坊やには未だ刺激が強すぎるかもしれないわねぇ…と言って嗤うウィッチに、ソレイユの目元がさぁっと染まる。
「なっ…なんっ……。げっ、下品なことを言うなっ！ ぼっ、ぼくは紳士だぞっ。じょ、女性の着替えなんか、見るもんかっ！ 破廉恥な女だなっ」
「あら。それは失礼したわね」
ソレイユの返答に、ウィッチが僅かに目を見開いて。
「馬鹿にするなっ！」
ふんっと肩をそびやかし、ソレイユが、つかつかと扉の外へと出て行く。
そして。
「お前たちっ。運び出し終わったなら、さっさと扉を閉めないかっ！」
まったくノロマな奴等だ…と忌々しげに呟くソレイユに、兵士達が慌てて扉を閉じて。
その有様を、やや毒気を抜かれたような瞳で見遣ったウィッチは、閉じられた扉に肩を竦めると、小さく苦笑して呟いた。
「……なんとまぁ、ウブな坊やだこと……」

中東基地内の医療センターがある区画。そのエントランスに相当する、やや広めの部屋。
かつては、定期点検の為に訪れた一般兵士達が各々の順番を待っていたり、前線から送り返されて来た負傷兵を乗せたストレッチャーが慌しく運ばれて行ったり……と、常に何がしかの人の出入があったそこは、しかし、ここ数年、昼夜を問わず概ね閑散としているのが常態となっている。
ところが。
その部屋に、今、かつて無いほどの人が溢れかえっていた。

部屋の中央に腕を組んで仁王立ちしているのは、痩身にNeo Black Ghost の幹部服を纏った、柔らかな墨色の髪に薄い藍鉄色の瞳の青年。それは勿論、基地司令の副官であるソレイユだ。その後ろにずらりと並ぶのは、ソレイユが引き連れてきた十数人の兵士達。その更に後ろに詰め掛けているのは、ここまでの道すがら、いつの間にか集まってきた、非番の兵士達。
対する部屋の奥側には、白衣姿の医療センタースタッフ達が困惑した表情で居並んで。
何やら不穏な空気が漂う中、部屋の奥側にある扉が開く。
現れたのは、居並ぶ医療スタッフ達と同様に、白衣を着た男だった。部屋の中央へと大股に進み、ひどく迷惑そうな表情で周囲をぐるりと見回す。それから、ひとつ溜息を吐くと、男はソレイユへと視線を向けた。
「一体、これは何の騒ぎですかな。ソレイユ様」
うんざりしたような口調。
「お前が医療センター長か？」
苛立ちを顕わにした、キンキンと響く声。それへ、男があからさまに顔を顰めて見せて。
「さようでございますが」
それが何か？ という、慇懃無礼を絵に描いたような口調と表情。ソレイユが、むっとしたように口をへの字に曲げる。けれど、男が態度を改める気配は無い。
その様子に、ソレイユが何かを言いたげに唇をとがらせて。
しかし、暫しの沈黙の後、どうやら男の態度について文句を言うのは止めることにしたのか、ひとり小さく頷くと、ソレイユは胸を張って宣言した。
「僕の権限により、お前を解任する」
「……はあ？」
あまりに唐突な言葉に、センター長が首を傾げる。医療スタッフ達も、皆、呆れたような表情でソレイユを見詰めて。
「何のお遊びですか？ そういうのは、どっか別の場所でやってくださいませんかね……」
こっちは忙しいんだ、子供の遊びに付き合ってられるか…と呟いて溜息を吐くセンター長に、ソレイユは床を踏み鳴らした。
「うるさいっ。これは遊びじゃないっ！ 僕の権限でっ、お前を解任するっ！ そう言ったんだ、わかったかっ！」
自分をびしりと指差して言い切るソレイユに、センター長がヤレヤレと首を振り、あからさまに天井を仰いで見せる。
「……私を解任して、それで、一体どうなさるおつもりで？」
馬鹿にしたような調子で発された言葉。それに、ソレイユは、ふふんと余裕の笑みを浮かべた。
「後任のセンター長は、ちゃんと用意してある」
「はぁ」
殆ど溜息のような、気の無い返事。だが、その反応に頓着する風も無く、ソレイユは得意気に背後の兵士達を振り返った。
「おい」
軽く体を捻り、すっと片手を挙げて指を振る。どこか芝居がかった気障な仕草は、余人がすれば滑稽でしかなかっただろう。だが、ソレイユの卓越した容姿は、その一連の動作を、極めて自然かつ洗練されたものにしていた。
あたかも映画のワンシーンの如き、芸術的なまでに見事な所作。
しかし。
甚だ残念なことに、その場の者達の視線は全て、ソレイユではなく、ソレイユの言葉に応えて兵士達の後ろから出てきた人影の方へと向けられており、従って、それを鑑賞した者は皆無であった。

ソレイユの合図に応え、並んでいた兵士達がさっと左右に分かれる。
その間を悠然と歩む、小柄な人影。
白衣を思わせるような丈の長い白シャツに、黒のズボン。どちらもサイズが大きすぎたのだろう、袖口と裾を何回か折り返し、更に、動きを妨げないようスカーフのような布で所々を軽く結わえている。足元は、素足に茶のサンダル。こちらもまたサイズが大きすぎる為、単に軽くつっかけているだけで。
明らかに借り物と判る服装は、その人物が客人としてではなく虜囚として連れて来られていることを暗に示していた。それ故、普通ならば、向けられる視線には、好奇と嘲りとが含まれたことだろう。ましてや、その人物は女性で、身体にあわぬ服装は、どこか扇情的に見えなくもないのだ。いかに当人が平然としていようとも、いや、それだからこそ、失笑する者のひとりくらい居てもおかしくは無い。
だが。
誰一人として笑う者など居らず、それどころか、その場の全員が、思わず威儀を正した。

静まり返った室内に響く、サンダルが床を擦る軽い音。
固唾を呑んで見守る一同の視界の中、ゆっくりと部屋の中央へと進んでいく。
豪然ともたげられた頭。
麦藁色の髪。
氷蒼の瞳。
冷徹な視線が、居並ぶ医療センタースタッフ達を一瞥する。
その瞬間、凍てついた緊張が場を支配して。

絶句する一同を得意気に見回し、ソレイユは高らかに言い放った。
「元 Neo Black Ghost 本部医療センター長、ウィッチ。僕が用意した後任は、この女だっ」
しかし、その言葉に注意を払ったものは皆無であった。

「……何故、お前がここに居る……っ」
水を打ったような静けさの中、唸るように言葉を発したのは医療センター長たる男だった。
だが、ウィッチは眉一筋動かさない。
代わりに口を開いたのは、勿論、ソレイユだ。
「僕が連れて来させたんだ」
胸を張ってそう言い、男をびしりと指差して言葉を継ぐ。
「わかったかっ。僕の権限で、医療センター長はこの女にするっ。いいなっ！」
ソレイユが口を閉じ、再び室内を沈黙が覆う。だが、一刻前のような呆れた空気は、最早、どこにも無かった。その場の全員が、固唾を呑んで成り行きを見詰める。
明確に変わった空気を敏感に感じ取り、センター長は拳を握り締めた。
「……基地司令は……。基地司令は、この事をご存知なんですか……」
搾り出すような問い。それへ、ソレイユが柳眉を逆立てて言い返す。
「お祖父様は関係ないっ！ 僕がっ、僕の権限でっ、お前を解任してこの女を医療センター長に任命するんだっ！」
わかったか、と叫ぶソレイユに、センター長は手を横薙ぎに振って言い返した。
「冗談ではない。お前ごときの命令で、そんな簡単に医療センター長が入れ替わってたまるかっ」
つい先刻までの慇懃さをかなぐり捨て、恫喝するような低い声で言葉を叩きつけてきたセンター長に、ソレイユは目を見開いた。
「……なっ……」
「ここは子供の遊び場じゃない。基地司令の許可も無く、勝手なことはしないで貰おう」
ギロリと睨み据えられ、ソレイユが顔を引き攣らせる。
「……だ……ぼ……っ……」
失礼きわまりない言葉と態度に、どうにかして何かを言い返そうとする。だが、身体が竦んで声すら発せられない。目を見開いたまま、ソレイユはその場で固まった。

と、その時。
クスリとウィッチが嗤った。
「困ったわねぇ、坊や。どうやら、坊やには、何の権限も無いみたいよ？」
嘲笑混じりで発せられた、余裕たっぷりの声。
それに、ソレイユは我に返ったように首を振った。
「ばっ…馬鹿にするなっ！ 僕はっ……」
拳を上げて言いかけた言葉をウィッチが遮る。
「だって、そうでしょう？ そこの男は、坊やの命令には従えないって、そう言ってるじゃないの」
「……ぅっ……」
それは確かにその通りだったから、ソレイユは言葉に詰まった。何を言い返すこともできず、ただ拳を握り締める以外に何もできない。
「違う？ そうでしょう。ねぇ？」
言いながら、ウィッチがセンター長へと視線を流す。
ひどく楽し気な瞳。
「………」
同意を求めるかのように向けられた言葉に、センター長は胡乱そうにウィッチを見返した。言っている言葉は、一応、自分に有利そうなものではあるものの、どこか危険な匂いがする。そう思う。
沈黙。
ただ黙って視線を返すだけのセンター長に、ウィッチがにんまりと嗤った。

「さて、と……」
呟くように言いながら、ウィッチがソレイユへと視線を戻す。
そして。
「さて、坊や。それで、どうするのかしら？」
問いかけられ、ソレイユが目を見開く。何を言われているのか、判らない。
「……？」
戸惑うような薄い藍鉄色の瞳を、ウィッチの薄氷の瞳が覗き込んで。
「坊やは命令をした。でも、あの男は従わないと言っている。さぁ、どうするのかしら？ ねぇ、坊や？」
「………」
そんな事を言われても、どうすればいいかなど、ソレイユにはまるで判らなかった。
「こんな時どうすればいいのか、『お祖父さま』は、何も教えてくれなかったの？」
「お…お祖父さまは、関係ないっ……」
反射的に言い返すソレイユに、ウィッチが大きく頷いて。
「そうね。ダクシャは、関係無いわね。だから……」
クスリと笑う。妖艶ささえ漂う笑み。
「……だからね、坊や。こういう時どうすればいいか、私が教えてあげましょう」

言葉も無く見詰める一同の視界の中で、ウィッチがくるりと踵を返した。
ゆったりとした足取りで、後ろに居並んでいる兵士達の一人へと向かって歩を進める。
居並ぶ兵士達の間から、声にならない悲鳴が上がった。
近付いてくるウィッチの姿に、ターゲットとなった兵士の周りに居た者達が、さっと距離を開ける。ターゲットにされた兵士はといえば、瞬きすらできずに立ち尽くして。
サンダルが床を擦る軽い音が、パタリパタリと奇妙なほどに大きく響く。
そうやって急ぐでもなく兵士の一人に歩み寄ると、つと足を止め、ウィッチはすっと腕を伸ばした。
「……っ！」
声も出せずに硬直している兵士の腰に手を伸ばし、そのホルスターから、ひょいっと銃を抜き取る。手馴れた風では無いものの、明らかに迷いの無い手つきでエネルギーの残量を確認して。
それから、ウィッチは、くるりと向きを変え、再び、ゆったりとした足取りでソレイユの傍へと戻っていった。

銃を持ったウィッチが、ソレイユの斜め前に立つ。
室内を覆う、異様な静寂。
戦慄の予感とともに一同が見守る中、ウィッチは無造作に銃口を上げた。
向けた先は、医療センター長たる男。
銃のロックを解除する乾いた小さな音が、部屋の隅々にまで響いて。

「……何の真似だ……」
向けられた銃口を睨み、センター長は低く言った。
ウィッチが呆れたように息を吐く。
「まさかと思うけど、本気で訊いてるの？ 死にたくなければ命令に従いなさい、と言ってるのよ」
「……馬鹿な…ことを……」
掠れた声で呟くセンター長に、ウィッチは嗤った。いっそ艶やかなほどの、凍てついた笑み。
「あんたは唯の駒。医療センター業務を遂行する為の、単なる駒に過ぎない。そして、代わりの駒はここにあるのよ。あんたなんかよりも、ずっと有能な駒がね」
嘲りを含んだ言葉にセンター長がギリギリと歯噛みする。
「お前はっ……。一体、何の権限があって……っ」
「権限？ 私に権限なんか無いわよ。権限を持ってるのは、ここに居る坊や。基地司令の副官様よ。その権限によって、今さっき、医療センター長の交代が命じられた。そうでしょう？」
違ったかしら？ という言葉に、センター長がウィッチを睨み据えて。
「……そんなことがっ……こんなガキの言う事など、認められるものかっ……！」
唸るような声。それへ、ウィッチが僅かに目を細める。
「なるほど。つまり、命令違反、という訳ね？」
殊更にゆっくりと紡がれた言葉。
それへ、センター長が怒鳴り返す。
「ふざけるな、何が、命令ぃ……っ！」
しかし。
言いかけた言葉は、途中で永遠に遮られた。

銃声。
いとも無造作に響いた、三発の銃声。
胸に二発、額に一発。
正確にとは言いがたいが、しかし、僅か数歩の距離では、外しようも無い。
致命的な銃弾を三発も受け、医療センター長であった男の身体が仰向けに倒れる。

銃撃の残響と、男の身体が床に崩れ落ちる重い音。
それがおさまると、再び、室内を沈黙が覆った。
呼吸すら忘れたように立ち尽くしている医療センタースタッフ達を、ウィッチがぐるりと見回す。しかし、誰一人として動こうとしない。全員が色を失って、ただ呆けたように床に倒れた男の身体を見詰めていて。
その有様を確認し、ウィッチは銃を下ろした。しかし、未だロックはかけず、いつなりと撃てる状態にしておく。
そうしておいて、ウィッチは静かに口を開いた。
「さて、と。『不慮の事故』で、医療センター長が不在になってしまったわねぇ。後任が必要だわ。勿論、今すぐに。どうしましょう？」
どこかのんびりとした口調で言いながら、傍らに立つソレイユへと視線を流す。
そして、ウィッチは微かに嗤った。

ソレイユはといえば、その場の誰よりも蒼白になっていた。ソレイユよりも顔色が悪い者は、今や死体となった、元医療センター長の男くらいで。
焦点を失いかけた瞳が、助けを求めるように宙を彷徨う。
ウィッチがゆっくりとソレイユの正面に周り、その視線を捕らえた。
「さあ。後任の医療センター長は、誰かしら？ 坊や」
任命なさい。あなたの権限で。
囁くような声でウィッチが言う。
支配的な響きを持つ特有の声音。それが何故か、ソレイユの耳にはひどく甘く聞こえて。
小さく頷くと、ソレイユは土気色の唇を震わせた。
「ぼ…僕……僕の権限で……お前を…医療センター長に……任命する……」
「誰を？ 誰を、医療センター長にするの？」
問いかけられ、ソレイユが戦慄く。何を言われているのか理解しようと、必死で目を瞬かせて。
「……お、お前……。あ……ウィッチ、を……」
どうにかそう言った途端、ウィッチがふわりとした笑みを向けた。
「そう。よくできました……」
そっと頬を撫でられ、ソレイユが肩の力を抜く。
「ご命令に従って、医療センター長を務めさせて頂きますわ。……ソレイユ様」
「……うん……」
何故か酷く安心した気分になって、ソレイユは頷いた。
緊張の糸が切れる。
その途端、死体から立ち上る血の匂いが意識に上り、ソレイユは口元を覆った。吐き気と脱力感が一気に押し寄せ、その場にへたへたと座り込む。そのまま前のめりに倒れそうになった身体を、素早く身を屈めて膝を着いたウィッチが、そっと抱き止めた。

（……あ……）
柔らかな胸に頬が当たる感触に、ソレイユがほっと息を吐く。押し当てた頬骨から伝わってくる鼓動が、とてつもない安堵を掻き立てて。
「……血を見るのは、初めて？」
囁くように問われ、ソレイユは頷いた。
「そう。汚いものを見てしまったわね。でも、もう大丈夫ですよ。これからは、私が、あなたの忠実な部下として、邪魔者を排除しましょう。あなたを護って差し上げますわ、ソレイユ様……」
「……う、ん……」
柔らかな声で言いながら、ウィッチがゆっくりとソレイユの背中を撫でる。それから、ついっと視線を上げると、居並ぶ兵士達へと視線を向けた。
「そこのゴミをさっさと片付けなさい。これ以上、ソレイユ様のいらっしゃる部屋に、汚いものを放置しておかないで」
「……はっ、はいっ！」
ビンと響く冷徹な声。視線を向けられた兵士が飛び上がるように敬礼し、慌てて医療センター長だった男の死体へと走る。その様子を確認し、ウィッチは、次に、医療センタースタッフ達の方へと視線を流した。
「すぐに病室を用意して。ソレイユ様が貧血を起こされてるわ。点滴の準備を」
さっさとおし、と言われ、医療スタッフ達が慌てふためいたように動き出す。その間も、ウィッチの手はゆっくりとソレイユの髪を撫でていて。
「……ソレイユ様？ もう少し、我慢してくださいね」
「う、ん……」
耳元にそっと声をかけられ、ソレイユは小さく頷いた。
「お辛かったら、目をつぶってて良いんですよ？」
「………ん……」
言われるがままに瞳を閉じ、ウィッチの胸に凭れかかる。
「ソレイユ様？」
「……ぅ……ん………」
応える声が薄く掠れて。
そのまま気を失い、ぐったりとなった身体をウィッチが抱き寄せる。血の気を失った頬を見下ろして。
「……ほんと、初心な坊やだこと……」
呟くように言い、ウィッチはクスリと嗤った。

その時。
「おいおい。コイツは一体、何の騒ぎだぁ？」
不意に響いた声に、騒然としていた室内は、再び沈黙に包まれた。
死体を片付けていた兵士達や、むやみに右往左往していた医療センタースタッフ達が、一斉に動きを止め、声のした方を怯えた表情で見遣る。
全員の視線が集まる中、道を開けた兵士達の間から歩み出てきたのは、硬い墨色の髪に藍鉄色の瞳の男。
それは勿論、中東基地の番犬、ルシファーだった。

部屋の中央へと出てきたルシファーは、怯えた表情で立ち尽くす医療センタースタッフ達の群れを見遣り、兵士達が片付けようとしている白衣の男の死体を見遣り、それから、床に膝を着いて気を失ったソレイユを抱き寄せているウィッチへと視線を向けた。
「……妙なところで会うなぁ。……あんた、何でこんなトコに居る？」
陽気な口調。だが、その底に漂うのは紛れも無い殺気。氷点下の刃を思わせる凄味のある気配に、医療センタースタッフや兵士達までもが身を竦める。
だが、それを向けられた当人であるウィッチは、軽く片眉を動かしただけで。
「妙なところ？ それは心外ね。ここは医療センターよ。私が居るのに、ここ以上に相応しい場所があって？」
傲然と言い放たれた言葉に、ルシファーが僅かに目を細めた。
藍鉄色の瞳が、再び、白衣の男の死体へと向けられる。
「ひょっとして、アレは、医療センター長か？」
「そうよ。ただし、『前任』の、ね」
ウィッチの答えに、ルシファーが小さく溜息を吐いて。それから、ウィッチの傍らの床に置かれた銃をチラリと見ると、額に軽く手を当てた。
「あー……。つまり、後任の医療センター長は、あんただ、と？」
「そうよ」
「そこで気ぃ失ってるクソガキの権限で？」
ソレイユを指差して言うルシファーに、ウィッチが当然とばかりに頷いて。
「基地司令副官の権限は、基地司令と同等だった筈だけど？」
「……確かに、基地司令が居ない場、基地の中のことについては、な……」
「何か問題が？」
問われ、ルシファーは深々と溜息を吐いた。
「困ったコトに、どうやら何の問題も無さそうだな」
「結構」
ウィッチが短く答える。
そこへ、奥の扉が開き数人の医療スタッフ達が駆け込んできた。
「病室の準び…が……」
けれど、室内を覆う空気にたたらを踏んで止まると、言葉を失って立ち尽くす。
ウィッチがそちらをチラリと振り返った。
「病室の準備が出来たの？」
問いを向けられ、医療スタッフが直立不動になる。
「はっ、はいっ。点滴の準備も、ご、ご指示どうりに……」
「結構」
軽く頷くと、ウィッチはルシファーへと視線を移した。
「ルシファー。ソレイユ様を病室まで運んで頂戴」
問答無用の命令口調。
「……おいおいおい……」
ちょっと待て、何で俺が…と言いかけた言葉は、しかしウィッチに遮られる。
「さっさとして頂戴。いい加減、腕が痛くなってきたわ。指の動きに支障が出たら、どうしてくれるの？」
医療センター長である自分の腕にどれほどの価値があるか、判ってるんでしょうね？ と言われれば、最早、ルシファーに言い返す術は無かった。
「……ったく……」
ヤレヤレ、と脱力したように溜息を吐き、軽く身をかがめてソレイユを抱え上げる。
「どこに連れて行きゃいいんだ？ このガキ……」
「あ…あの……」
どうしたらいいのか、と困惑した表情を浮かべるに医療スタッフに、ウィッチが軽く顎をしゃくって。
「病室に案内なさい。ベッドに寝かせたら、ソレイユ様には、すぐ点滴をして」
「……は、はいっ……。あ、あの…こちらへ……」
恐る恐る言う医療スタッフに、ルシファーが軽く頷いて見せる。

ソレイユを抱きかかえ、医療スタッフに案内されるまま、奥の扉へと歩を進めるルシファーを、立ち上がったウィッチが見送る。
その薄氷の瞳が、不意に眇められた。
「………。ルシファー…？」
どこか緊張の漂う呼びかけに、ルシファーがふっと足を止めて。
「……何だぁ？」
未だ何かあるのか？ と軽く振り向くルシファーを、ウィッチはじっと見詰めた。
半呼吸の間、ルシファーの硬い墨色の髪を見据え、それから、ルシファーが抱えているソレイユの、柔らかな墨色の髪へと視線を滑らせる。
「………」
薄氷の瞳が、ルシファーの藍鉄色の瞳を、ゆっくりと見て。
「どーかしたかぁ？」
暢気な声。けれど、その瞳は一切の表情を消していた。
「……いいえ」
凍てついた視線。
それが、不意に興味を失ったかのようにルシファーから外れて。
「さっさと連れて行って頂戴」
あっさりとした言葉にルシファーが肩を竦める。
「ったく、人使いが荒いぜ……」
溜息を吐いてぼやく。
そして、案内の医療センタースタッフに続いて、ルシファーは医療センターの奥へと向かって行った。