Act.3 不完全共闘− フカンゼン キョウトウ −

  − Scene 5 −  

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砂色の丘陵地帯の果てに太陽が落ちる。
地平線の残照が消えれば、近隣に人里のひとつとて無い大地を覆うのは、原始の闇。
月の無い晴れ渡った空に輝く、無数の煌めき。けれど、その小さな星明りは、たとえいくら集まろうと、影すらできない。
だが、サイボーグとして強化された目であれば、それで十分、総てを鮮明に見ることができる。思いつめた茶の瞳が、何かを求めるように、地平線の彼方へと向けられて。ほんの一片の動きですら見逃すまいと凝らされる視線。
とはいえ、そうしていたところで、今更、新しい何かが見つかる筈の無いことは、勿論、009には判っていた。

「ジョー?」
背後から掛けられた声に、ふっと息を吐く。
「……うん……」
ゆっくり振り返ると小さく頷き、差し出されたカップを受け取って。
傍らの岩に軽く腰かけ、カップを包み込むように両手で持つと、暖かなスープを一口啜る。それから、009は視線を上げて003を見遣った。
「残りは、あと二食分、よ」
「……そっか……」
003の答えに、009が小さく溜息を吐く。とはいえ、もう、結論は出ていると言って良いのだろう。その事は、認めざるを得ない。そう考える。
「やっぱり……そういうこと、なのか、な?」
問いともつかぬ呟き。
003が自分のカップを持つと、そっとスプーンを動かして、静かにスープを混ぜる。スプーンがカップに触れる軽い音が、ごく微かに響いて。
「……そうね……」
手を止め、くるくると回る渦を暫し見詰めてから、003は言葉を継いだ。
「……やっぱり、そう考えるのが正しいのではないかしら……?」
「そう、だよね……」
009が、溜息のような声で答えて。
きゅっと唇を噛むと、009は無数の星が瞬く漆黒の空を見上げた。



ドルフィン号を出発してから丸三日。009と003は、タイラントの消息が最後に確認された場所、すなわち、タイラントが医師達を見送ったと連絡してきた空港と、そして、簡易診療所を結ぶ、その間の地域を丹念に調査した。タイラントが何処かに居ないか、あるいは、タイラントが何者かと戦ったような、そういった痕跡が無いか、それを探して。
勿論、治安の不安定な、周辺で小規模な戦闘が起きることも珍しくない、そういう地帯である。一口に戦いの痕跡と言っても、普通の戦闘の痕なら、それこそいくらでもある訳で、通常なら、それらの中からタイラントが戦ったと思われるものを見分けるなど、およそ不可能だったに違いない。
だが今回は、事情が違う。タイラントが戦った相手は、まず間違いなく、Neo Black Ghost 。しかも、タイラントを倒したか、あるいは手傷を負わせた、となれば、使われた武器が通常のものであった筈が無い。尋常では無い性能のサイボーグや、高性能の戦闘用ロボット、あるいは相当な破壊力を備えた新兵器。何を使ったにせよ、タイラントがそう易々と倒された筈など無いから、戦いの帰趨がどうであれ、周囲にそれなりの痕跡が残ったのは間違いない。
それゆえ、009と003は、タイラントを探しつつ、そういった戦いの痕跡を求めて、その一帯を注意深く調べ歩いたのである。

だが。
タイラントの帰着予定日から逆算した、行動範囲と想定される一帯。そこを隈なく調べ尽くしたにも関わらず、タイラント本人は勿論、戦いの痕跡らしきものについても、なにひとつ発見することは出来なかった。
つまり、タイラントは何者かと戦ったりしていないし、怪我をして動けずにいる訳でもない。そう考えるしかない。
にもかかわらず、帰着予定日を過ぎてなお、一切の連絡も無く、戻って来ない。
これらの事実が指し示すものとは、一体、何か?
答えは、明白だった。

「……タイラント……。君は……」
一体、どうしてなのか? それは、まるで判らない。
しかし、その事実だけは、もう、認めるしか無かった。
「……君は……」
自らの意思で、自分達のもとから……自分のもとから……離れて行った。
それ以外に、タイラントが一切の痕跡を残さずに消えるなど、ありえない。
「……どうして、なんだい……?」
無数の星が瞬く空へと投げ上げられた、囁くような問いは、吹き過ぎる夜風に散った。



「ジョー……」
静かな呼びかけに、009は視線を空から地上へと戻した。
自分を見詰める、青い瞳へと。
「……うん」
どこか虚ろな苦笑を浮かべ、009が頷く。
「ドルフィン号に、戻ろう……」
これ以上、タイラントを探しても仕方が無い。彼はそれを望んでいない。であるならば、ドルフィン号に戻るしか無い。
「戻って、皆と合流して……それから、どうするか……考えないと……」
「そうね……」
そう言って003が頷く。そして、ふわりと笑みを浮かべると言葉を継いだ。
「……でも、とりあえず、良かったわ」
「え?」
意外な言葉に009が目を瞬かせる。戸惑ったような茶の瞳に003が首を傾げた。
「だって、そうでしょう? 少なくとも、彼が無事だという事は判ったわ」
怪我をしている訳でも、囚われている訳でも無い。タイラントはタイラント自身の意思で行動している。それが出来ている。そうであるのならば、何も心配する事は無いのではないか? そう言う003に、009が目を見開いて。
「……それが判っただけでも、ここまで探しに来た甲斐があったわ」
そうでしょう? と問われ、009が暫し息を詰める。
やがて。
ゆっくりと息を吐き、009は頷いた。
「そう…だね……。うん。そうだった……」
タイラントは自分とは違う。タイラントにはタイラントの考えがあるし、やり方がある。その事に、自分は、気付いた筈ではなかったのか?
「……ごめん……」
一番大切なことを、自分は、危うく忘れるところだった。そう思い、009は唇を噛み、瞳を閉じる。
沈黙。
それから、009は静かに目を開いた。
003を見詰め返し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「戻ろう、ドルフィン号へ。タイラントは……」
そう言いかけ、ふっと苦笑して。
「……タイラントは、きっと困ってるって気がするけど、でも、僕が今は手伝いに行けないって事も、彼は判ってるだろうし……」
「そうね……」
009の言葉に、003がクスリと笑って。
「……でもきっと、タイラントさんなら、自分で何とかするわ……」
彼は強い。だから大丈夫。そう言う003に頷き、009は立ち上がった。
「戻ろう」
「えぇ」
戻って、自分達のやり方で、この事態に対処しよう。タイラントがそうしているように。
(そうすれば……)
強い意志を秘めた瞳で夜空を見上げ、009は呟いた。
いずれ、どこかで道は交わる。
たとえ何処に居ようと、どんなやり方をしていようと、自分達は、共に戦っている。それは、紛れも無い真実なのだから。



「ジェットとグレート氏がお戻りになられましたよ」
そう言いながら、ドルフィン号の厨房に足を踏み入れたのは、カティサックだった。
「やっぱりアルか。まったくもってグッド・タイミングな二人アルネ。ひょっとして、センサーでも付いてるアルか?」
丁度、今、饅頭が蒸し上がったところだと言う006に、カティサックがクスリと笑う。
「それはまた、本当に見事なタイミングですね」
そう言いながら、慣れた様子で棚に歩み寄ると、大皿を出して006へと渡す。それを、006もまた手馴れたように受け取って。
蒸し上がった饅頭をセイロから取り出して並べにかかる006の傍らで、カティサックは取り分け用の小皿や箸の用意を始めた。

「……それで、上手く行ったんアルかね?」
饅頭を並べながらの問いに、小皿を数えてワゴンに乗せながら、カティサックは頷いた。
「うまく行ったようですよ。何しろ、ジェットが上機嫌で鼻高々でしたから」
「ジェットの鼻はいつも高いアル」
「それは、まぁそうですけれど……」
でも、何か問題があれば、もう少し深刻そうな表情をしているのでは? と問うカティサックに、006は手と首を同時に大きく振った。
「カティサックはん、ジェットのコト知らないアルね。たとえ大失敗しても、大威張りで帰ってくるタイプでアルからして……」
全く油断がならない、と006が言いかけたところへ、不意に明るい声が響いた。
「おいおいおい、えっらい言われようだなあ、張大人」
「ジェット!」
「ジェットはんっ」
厨房の入口を見遣れば、そこに立っていたのは、勿論、002だった。よっとばかりに片手を上げると、大皿に並べられた饅頭へと視線を向ける。
「いやもぉ、ハラへっちまってさー……。いいモンがあるじゃねぇか。流石は張大人、グッド・タイミングで用意してくれて……」
いただき、とばかりにマッハのイキオイで饅頭を掴むなり齧り付く002に、006が飛び上がった。
「あぁーっ! ナニ勝手に食べてるアル、摘み食い厳禁アル、皆で揃って食べるように準備してるアルのにっ!」
「まぁまぁ。固いコト言うなよ〜」
じゃ、また後で〜…とウィンクひとつ残して風のように走り去る002を、カティサックがあっけに取られたように見送って。
気を取り直して006を振り返り、そして、カティサックは目を瞬かせた。
「………あの、張大人?」
むっつりと押し黙り、難しい顔をして饅頭を並べ直している006に首を傾げる。
「どう、しました……?」
そんなに002の摘み食いが腹に据えかねたのか? と訝るカティサックをふっと見上げ、そして、006は静かに言った。
「ジェットがあの調子ってことは、どうにも気に喰わない状況ってコトアルネ」
「え?」
「作戦は上手くいった、何の妨害にもあわず上手く行き過ぎた……それが、どうにも気に喰わない。そういうコトアルヨ」
「………」
006の言葉にカティサックが言葉を失う。
黙ったまま饅頭を並べ終えた006が、大皿をワゴンの上に置いて。
「……皆で揃って楽しく饅頭が食べられる日は、未だ遠そうアルネ……」
「そう、ですね……」
低い呟きに、カティサックが溜息のように応える。
沈黙。
その重さを振り払うように、006が不意に首を振った。
「あー、駄目駄目駄目、駄目アルネ。こんな辛気臭くしてる場合じゃないアルヨっ!」
「張大人?」
ふんっと背筋を伸ばすと、006が鼻息も荒く、改めて腕まくりして。
「カティサックはん、悪いケド、ソレ運ぶの頼むアル」
「は? はい……それは勿論、構いませんが……?」
一体どうしたのですか? と首を傾げるカティサックを尻目に、006が食料庫へと突撃する。
「腹が減っては戦は出来ぬアル。でも、戦いが始まったら、ゆっくり料理してる暇なんて、無くなるかもしれないアル。だからって、適当なモノを食べるなんて、絶対に良くないアルね」
食は総ての基本。どんな激戦の最中だろうと、いや、激戦になればなるほど、美味しい物を食べる瞬間が必要になる。
「非常食を齧って戦うなんて、ワテの目の黒いうちは、絶対にさせないアル。……だから、今のうちに出来る限りの仕込み、しとくアルヨっ!」
「……なる、ほど……」
異様なまでの迫力で言われた言葉に、ごもっともと頷く。
そして。
なるほど、確かに00ナンバーを倒し得たモノが居なかった訳だと、今更ながら改めて納得しつつ、カティサックはワゴンを押して厨房を後にした。



ドルフィン号内の解析部屋、改め、作戦本部 兼 開発室。
ようするに、チアフルが立て篭もって、ライ型簡易ロボットを作ったり、周辺の監視網を構築する為の諸々の機器の開発をしたり……している一室は、正体の判らない部品(なのかそれ自体が完成されたひとつの機器なのかすら不明な何か)や、どこに繋がっているのか(あるいは繋がっていないのか)判らないコード(に見える)物などで、足の踏み場も無い有様であった。

入口から一歩入った所で立ち止まり、それ以上入るのを諦めた007が、扉の前で作戦の実行結果を報告する。それを聞くチアフルはと言えば、工具片手に何やら黙々と作業をしていて。
とりあえず、聞いているのは間違い無いので気にせず滔々と報告をし、そして、007はポケットから小さな記憶チップを取り出した。
「……で、コレがエレスから預かってきたモノなんだけ……って、オイ……」
今の今まで黙々と作業をしていたチアフルが、突如として立ち上がり、猛然と近づいてくるなり、007が最後まで言う間もあらばこそ、その手に持っていたチップを問答無用でひったくる。
「もしもし?」
一体何だよ、と溜息を吐く007に見向きもせず、チアフルが部屋の奥の端末へと駆け寄って。
チップをスリットに差し入れ、バシバシと乱暴にキーを叩き……そして、不意にチアフルは大きく手を打った。
「……っしゃ!」
何やらいたく喜んでいる様子のチアフルに、007がますます首を傾げる。
その007を振り返り、チアフルは、にぱっと笑った。
「持つべきものは、有能な部下だよなぁ〜」
「はい?」
「うん、俺が作ろうとしてたプログラム、エレスが作ってくれた。勿論、こっちで作ってるハードウェアに併せて修正は必要なんだけど、でも、ここまでできてりゃ後は調整レベルだし……。いやー、助かった。俺、これでやっと寝れるわ」
そう言うチアフルに、007が思わずぎょっとする。
「お…おい、チアフル。お前、俺達が出かける前も寝る間が無いとかなんとか…言ってなかったか?」
「ん? あー…そうだっけ?」
ドコか据わった目でカリカリと頭を掻くチアフルに、007が首を振る。
「ちょっと訊くけどさぁ。お前さん、最後に『起きた』のって、いつか…思い出せるか?」
「へ? 最後に起きた……のって……」
そーいやあ、いつだったっけか? 思い出せないなー、と唸るチアフルに、007が深い溜息を吐いて。
「わかった。思い出さなくていいから、とにかく、作るモノをさっさと作っちまってくれ……」
モノが出来て、あとは設置という段階になれば、自分達の出番。そうなれば、チアフルを無理矢理にでもベッドへ突っ込むことができる。残念ながら、それまでは、自分達に手伝える事は無い。手伝える者が居るとすれば、それは……
「……エレスも、あっちから連れて来りゃ良かったか?」
思わず呟いた007に、チアフルがふっと視線を上げた。
「いや、アイツはあっちに置いとくのがいい」
「?」
目を瞬かせる007へと向けられた、無感動な黄玉の瞳。その声音には、普段のチアフルからは考えられないほど、一切の情緒というものが無く。
「こっちで片を付けられるとは限らない。だから、最悪の場合には、最低限、こっちで掴んだ情報を引き継ぐ必要がある。当然、その時には、こっちが何を掴んでいるかを『敵』に知られないよう、情報は厳重に暗号化する。だから……」
淡々と響く、ヒトらしい感情の欠落した声。これに比べたら、合成音声の方がまだしも情感豊かだ、と007は思う。
「……だから、俺のかけた暗号を『敵』より先に破るヤツが、あっちに必要だ」
「なる、ほど……」
ギクシャクと頷き、そして、ふと007は言葉を継いだ。
「……あー、けど、さ。あっちの方が、危険ってコト、無いのかね? ここと違って、襲撃受けたら、あそこじゃひとたまりも無いぜ……?」
「……その時は……」
ひどくあっさりとした口調には、やはり、何らの感情の気配も無い。
「その、時は?」
思わず手を握り締めた007をガラスの瞳に映し、チアフルは事も無げに言った。
「……別の手を考える」
そして、そのまま踵を返すと元の位置に戻って工具を持ち、中断していた作業に戻る。その有様に、007が言葉を失って。
最早007がその場に居ることすら忘却したかのように作業を続けるチアフルを、暫くの間呆然と眺め、それから、007は大きく息を吐いた。
「……あー……あ、そ。……まぁ……」
何て言えばいいんだ? と天井を仰ぐ。
やがて。
「……まぁ、うん。ナンだ。そういうコトになる前に、こっちで片つけりゃ……それでいい訳だよな」
うんうんと頷き、こりゃ色々気合入れてかからないとなー…と呟いて。
そして、扉に手を掛けて開けると、007は殊更に芝居がかった敬礼をして言った。
「ってことで、よろしく頼むぜ、指揮官殿」
視線を動かしもしないチアフルを気にする風もなく、そのまま部屋の外に出て、扉を閉じる。
扉が完全に閉じ、007の気配が遠ざかり、そこで、チアフルはつと視線を上げた。
「………」
不可解な色を浮かべた黄玉の瞳が、ふた呼吸の間、閉じられた扉を見詰めて。
やがて、視線を手元に戻すと、チアフルは作業を続行した。



中東基地。
その一画にある、空き部屋のひとつ。家具も何も置かれていない、がらんどうで殺風景きわまりないその部屋は、今現在、ルシファーがねぐらとして使っている場所だった。
勿論、ルシファーには、一応、ダクシャの居室に近い場所に私室が与えられている。だが、どんな仕掛けをされているか判ったものではないから、そんな場所を使う気になどなる訳もなく、ルシファーは、こうやって、基地内の空き部屋を転々とするのを常としていた。
何しろ私物など何も無く、単に一時の休息を取ったり装備を整えたりするだけの場所なのだ。身支度を整えてその部屋を出れば、後には何も残らない。従って、再びその部屋に戻ってくる必要は無く、実際、ひとつの部屋を一度きりしか使わない事も、稀では無かった。それどころか、時には空き倉庫の隅や、誰も通らない通路の奥などをねぐら代わりにする事すらあって。
そのような訳で、たとえ基地内に居たところで(勿論、どの区画に居るかは判るものの)ルシファーを見つけるのは極めて困難だった。
そんなルシファーを、ダクシャからの命令で探し回るのは、当然、一般兵達だった。しかも、殆どの場合、さんざん探し回った挙句、後ろから現れたルシファーに、『なぁにやってんだぁ?』と声を掛けられる羽目に陥るのが常で。それもあって、一般兵達は、ルシファーを嫌っていた。
とはいえ。
今現在、ルシファーを呼びに行くよう命じられた不幸な一般兵士は居らず、医療センターのある区画で起きた騒動も一段落し、基地内は一応の平穏を保っていた。



仮のねぐらと定めたその部屋で、ざっと装備を確認し、ルシファーは軽く頷いた。
(ま、全面戦争しようってぇ訳じゃぁ無いからな……)
今回は、まぁこんなモノだろう、とひとりごちて。
(さぁて……。行くか)
医療センターを掌握したウィッチは、早速、全サイボーグ兵の一斉点検を始めている。となれば、遅かれ早かれタイラントとの接触はできるだろう。今現在、タイラントがどういう状況にあるかは判らないが、自分が動いて確認するよりは、こうなった以上、ウィッチに任せておく方が無難だ。
(それに……)
一応、基地司令の私兵である自分には、医療センター長の命で行われる一斉点検は無関係とはいうものの、下手に基地内に居れば、巻き込まれかねない。
(……ま、流石に気付かれちゃいないだろうから、大丈夫だろうが……油断ならない相手だからなぁ……)
今は未だ気付かれて無いにせよ、何しろ相手はあのウィッチだ。下手な受け答えをしようものならヤブヘビになる可能性が高い。だから、全サイボーグに対するサイボーグ体の一斉点検などという物騒なイベントが行われている間は、安全圏に退避しておくに限る。
それに、基地司令ダクシャからの『ウィッチに言う事を聞かせろ』という命令は、未だ、撤回されていないのだ。となれば、動かない訳にはいかないし、動くのが自然だろう。
そんな考えを巡らせながら室内をざっと見渡し、何の痕跡も残していないことを確認する。
そして、ルシファーは、踵を返して部屋を後にした。

すたすたと廊下を歩き、誰に呼び止められることも無く、基地の出入口へと向う。
警備の任についている兵士達の、微妙に浮ついた気配に内心で笑みを浮かべつつ、基地の外へと出て。
タイラントを連れて降りてきた崖の端にある階段状の通路を登りながら、ルシファーは眼下の建造物……中東基地をチラリと見下ろした。
知らず、口元に笑みが浮かぶ。
(味方が近くに居るってぇのは、いいもんだなぁ……)
しかも、自分では到底できないような波乱を軽々と起こしてくれる程の者となれば、申し分が無い。
(それにしても、たかだか数日でこの有様とは……ったく、やってくれるぜ)
事態は既にルシファーの手を離れ、最早この先どうなるかは、全く見えなくなってきている。
澱んだ時は過ぎ去り、何もかもが不確定となって。
無限の可能性、無数の選択肢。
勿論、相手は味方と言えど仲間では無いから、迂闊な真似をすれば敵諸共に吹き飛ばされかねないものの、うまく利用できれば、相当の戦果が得られるだろう。当然、それは向こうも判っている筈で。
(……とはいえ……)
未だだ、とルシファーは思う。
(……この程度では、なぁ……)
一時の暴風ではあっても、天変地異とはいかない。
やはりここは……
(最も危険な、あの連中……)
Black Ghost を筆頭に、直近の Neo Black Ghost に至るまで、ありとあらゆる組織を壊滅させてきた、00ナンバー達。彼らに出てきて貰うしか、無い。
ふっと足を止め、一瞬だけ瞳を閉じる。
(なぁ、ミシュア……)
お前が居たら、呆れただろうか? そう思い、そしてルシファーは笑った。
(……ま、呆れたのは間違いないな……)
それはもう、いつもの事。だが、だからと言って止められないだろう事も、間違い無く。
ゆっくりと目を開き、前方を見据える。
(さぁて、と……)
喧嘩を売りに行くか。
酷く楽しげにそう呟いて。
そして、ルシファーは足早に中東基地を後にした。


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