診察室の向かい側。扉の外に『待合室』と張り紙が貼られた部屋。それなりに広い室内には、あちこちから掻き集めて来たような、背凭れの無い丸い椅子や長椅子、あるいは肘掛付きの色褪せたソファーなどが、それでも整然と並べ置かれている。床には何かを引き摺ったような古い傷や汚れが付いていて、この部屋が長らく倉庫代わりに使われていたことを思わせるものの、室内の空気には埃っぽさなど皆無で、隅々まで見渡しても、綿埃ひとつ無い。それが、この医療センターを取り仕切るウィッチの性格と、そして、この短期間に完璧なまでにスタッフ達を掌握した、尋常ならざる辣腕ぶりとを窺わせる。
とはいえ、広い室内に、ただ椅子が並べ置かれているだけ。薄いクリーム色の壁には張り紙の類も無く、普通の部屋になら必ずある内線の端末や、時計すらも無い。それは多分、倉庫として使われていたからなのだろうが、しかし、いかにも殺風景な感は否めない。
その部屋で、タイラントは診察の順番を待っていた。

タイラントがこの部屋に来た時、順番を待っていたのは他に二人。そのうちの一人は、タイラントが来て間もなく呼び出され、診察室へと案内されて行った。それから暫くの後、二人目も呼び出されて。残ったのは自分と、あとは出入口の左右に立つ二人の兵士だけ。室内は、しんと静まり返っている。
（……いよいよ、だな……）
この部屋へ連れられて来た時に、一般性能テストと動作ログの確認結果によっては診察の順番が前後する場合があると言われたが、検査の進み具合の関係なのか、今のところ、新しく待合室に連れて来られる者は居ない。従って、次が自分の順番なのは、まず間違い無かった。
（結局、イキナリってコトに、なっちまったか……）
性能テストや動作ログ取得の合間、あるいは、検査が行われる部屋へ移動する間などにウィッチとすれ違ったりしないだろうか？ と、僅かばかりの望みを繋ぎ、暇さえあればキョロキョロと辺りを見回していたが、結局、ここに至るまでの間にウィッチの姿を見ることは無く、案内役の兵士から『落ち着きの無いヤツだな』と皮肉な調子で言われただけであった。
勿論、そう都合の良い偶然などある訳が無いから、元々あまり期待してはいなかった。だが、やはり多少の落胆は禁じ得ない。
（うー……。なんか、緊張するな……）
しんとした中に一人で座り、じっとしたままで、ただ順番が来るのを待つというのは性にあわない、と思う。しかも、この先の展開が全く予想できないから、落ち着かないことおびただしい。
自分の他に順番待ちの者が居れば、今さっきの性能テストについてでも、あるいは、診察で何を言われるだろうでも、何か適当な話題を振って雑談をする事もできただろうが、生憎と今は自分ひとり。勿論、室内には扉の左右に立つ兵士達が居るが、その二人はといえば、お互いの間ですら私語をする気配も無く、いかにも『任務中！』といった空気を纏ってビシッと立っているから、話しかけるのは憚られて。
結果、タイラントは沈黙のうちに壁や天井を眺めつつ、問診票の記入に不備は無かっただろうか？ 性能テストの結果から量産型じゃないとバレはしなかっただろうか？ などと、今更考えても仕方の無い事を悶々と考えるしか無かった。

（大丈夫……だよな。ちゃんとできてる、よな……？）
問診票の回答は、間違いが無いように何度も何度も見直しをした。性能テストでは、手加減しているとバレないよう細心の注意を払いながら手加減した。動作ログの取得にしても、インターフェース周りは量産タイプと同じだから、問題は無い筈だ。実際、Neo Black Ghost に居た間の定期検査でも、量産タイプの者達と同じ設備を使ったチェックが行われていたから、それは間違いない。
（加速装置とかの、量産タイプに無い機能のログは、基本的に別のトコから取るんだし……）
何しろ、『タイラント』には、Neo Black Ghost が最重要機密としていた技術が惜しげもなく注ぎ込まれているのだ。万が一を考えた諸々の対策は、当然のことながら、されている。タイラントとウィッチが同時に裏切らない限り、完全な状態でデータを取り出すことはまず不可能なよう、ハード的にもソフト的にも、厳重なロックが施されているし、万が一タイラントが倒され、そのサイボーグ体が組織に敵対する勢力に回収されてしまうような事態に陥ったとしても、そう簡単には量産タイプとの区別が付かないよう、万全を期した偽装がされている。
従って、このサイボーグ体が量産タイプではない事をあらかじめ知らない者が、ちょっと見ただけで不審を抱くなどは、まずありえない。従って、何の問題も無い。
（……だから、バレてはいない……。大丈夫、だ……大丈夫……）
だがそれは、裏を返せば、診察前に性能テストの結果や動作ログを見ただけでは、たとえウィッチであろうとも、自分だとは判らない、という事でもある。そう思い、タイラントは内心で溜息を吐いた。
（ひょっとして、問診票に不備とか……何か、そういうコトしといた方が、良かった……のか？）
よくよく考えてみれば、データの上で何の問題も無ければ、診察の為に大した時間を取ることも無いだろう。また、診察後にウィッチが自分と話す為の時間を確保しようとしても、あまりにも何の問題も無ければ、口実を考えるのも難しいのではないか。となると、実は、多少の問題があった方が、この場合、都合が良かったのかもしれない。例えば、問診票の回答に、本人から詳しい事情を聞かなければならないような……ウィッチがそう判断するような……記述がしてあれば、ウィッチはその為の時間を取るだろうし、そうなれば、追加の検査をするなり何なりの口実を作るのも、やりやすいような気がする。
とはいえ。
では、一体どんな記述をしておけば、ウィッチにそう判断させられるのか？ などということは、タイラントには見当もつかない。それに。もし仮に、今この瞬間、奇跡的に素晴らしいアイディアが閃いたとしても、結局のところ、何もかもが圧倒的に手遅れな訳で。
（……あぁぁぁ……っ）
頭を掻き毟って叫びたい衝動を、辛うじて堪える。
（くそっ、もぉ、どうでもいいから……）
早く自分の順番になってくれ。
そうじゃないと、何か別の問題を起しそうだ。そう思い、タイラントは小さく溜息を吐いた。

一体、どれ程の時間が過ぎたのだろうか。
唐突に、待合室の扉が開かれる。その微かな音に、待ちくたびれた挙句、意識を遠いどこかへと飛ばしかけていたタイラントは、ハッと目を見開いた。
（……っ）
視線をそちらへ向ければ、丁度、開いた扉の向こうから、手に端末を持った兵士が入ってくるところで。
扉の左側に立っていた兵士が、差し出しされた端末を受け取り、その表示をさっと見る。それから、ひとつ頷くと、タイラントの方を指し示すような仕種をしながら端末を返した。

三人の兵士が一斉にタイラントを見る。
一瞬の、間。

（……？）
何となく居心地の悪いような、奇妙に冷たい空気を感じたような気がして、タイラントが目を瞬かせる。
陽炎が通り過ぎたような違和感。
しかし、タイラントがその違和感を違和感として認識するよりも前に、端末を手に持った兵士が口を開いた。
「そこのお前、識別番号をっ」
エントランスでの受付時からここに至るまでの間、うんざりするほど何度も繰り返された、まるで儀式のような手順。
殆ど条件反射のように立ち上がり、タイラントが自分の識別番号を言う。
端末を持った兵士が、その手元へと視線を落とし、一桁一桁を確認するように何度も頷いて。
「……よし。お前の番だ。来い……」
軽い手招きと共に言われた言葉に、タイラントが内心でほっと息を吐く。
（あー、やっとかよ……）
やれやれ長い道のりだった。そう思いつつ、タイラントは扉へと向かった。

端末を持った兵士が先頭に立って通路へと出、向かい側にある『診察室』というプレートのかけられた部屋の扉へと進む。その後にタイラントが続き、更にその後ろに待合室の扉を守っていた二人の兵士が続いて。
ほんの数歩の移動。
先頭の兵士が扉の前で止まり、軽くノックをする。
一呼吸の間。
やや重たげな音とともに扉が左右に開かれ、その内側に立つ二人の兵士が姿を現す。その片方へ先頭の兵士が端末を渡し、受け取った兵士は壁に掛けられたスクリーンに向かうと、手元の端末と見比べるようにして、何かを確認する。
その有様を、タイラントはぼんやりと見守った。

（なんか、厳重だなー……。まぁ、当然っちゃ当然、か……）
何しろ、この向こうに居るのは『ウィッチ』なのだ。Neo Black Ghost に属する者、特にサイボーグである者にとって、その価値は計り知れない。
（特に、この基地の一般兵にしてみりゃな……）
ここ数日の間に聞き集めた情報からすると、Neo Black Ghost 本部崩壊以降の４年半あまり、メンテナンスらしいメンテナンスは、一切行われていなかったのだ。それがどういう事を意味するかは、自分自身がサイボーグであるタイラントには、良く判る。
（最初のうちはいいけど、でも……）
２年も経てば、ちょっとした不調を感じる者は、絶対に出てくる。不調とまでは行かなくても、違和感程度であれば、仮に自分自身は大丈夫であろうとも、身近に一人くらいは居るようになる。そして。そうなった場合、自然に治る事が無いのは、サイボーグであれば誰もが良く知っているのだ。
にもかかわらず、メンテナンスが一切行われなかったら、どうなるか。
（部隊長とか基地司令とかからすれば、単なる数の問題だろうけどな……）
だが、不調を抱える当人、そして明日は我が身かもしれないと思う周囲の者達からすれば、それは、戦場で目先に迫る死の恐怖に匹敵する、現実的な脅威なのだ。
（だから……）
『ウィッチ』が医療センター長となり、全サイボーグに対してサイボーグ体の一斉点検をする、と宣言したときの、その盛り上がりっぷり。事情が良く判らなかった当初は、何を大騒ぎしているのかと不思議に思ったタイラントであったが、経緯を知った今は、その狂喜乱舞の理由が完全に理解できる。そして、万が一にでもウィッチに何事かがあってはならない、と兵士達が考えるだろうというのも。
（……そりゃあ、無理ないよな）
自分には、月に一度のエストラによる簡易点検と、年に一度のウィッチによる総点検があった。勿論、その時に限らず、何か不調を感じれば、また万が一の負傷の場合にも、いつなりと即座に対応して貰えるという保証があった。更に言えば、日本のギルモア研究所という奥の手さえある。
この絶対的な安心感は、サイボーグである事を意識せずに日常を過ごさせてくれ、また、いざという時はサイボーグとしての利点を最大限に生かして事態を打破できる、その自信の裏付けともなる。
（考えてみりゃ、俺って、凄く恵まれてるよな……）
それもこれも大元を遡れば、結局のところ、００９と出逢えた、その運命のおかげだ。

（……ジョー……）
今は遠くにある茶の瞳を想い、軽く拳を握る。
（無事、だよな……？）
あと数歩の距離にウィッチが居る。それは、００９との再会が近付くことを意味している筈だ。
（ここから、だ……）
ルシファーに連れられてここへ来てから今まで、一体どうしたものやら見当もつかず、ただ焦りながら右往左往するばかりだったが、何はともあれ、これでやっと何かを始められる。その筈だ。
そんな根拠の無い予感めいたことを考えつつ、タイラントは促されるがままに、診察室の中へと足を踏み入れた。

室内に入ると、数歩先に衝立のようなものが置かれていた。その向こうには、天井から延ばされたポールが支えるカーテンレール。それに吊り下げられた白いカーテンが、緩い曲線を描きながら広がり、部屋の手前側と奥側とを仕切っている。
天井の照明がカーテンレールの向こう側にある所為で、診察室の入口は少々薄暗い。
（へぇ……。診察室ってのは、どこでもこういう造りにするのか……？）
確か簡易診療所でも、診察室に入ってすぐの所には、衝立を置いたり、あるいは、背の高さくらいの位置に壁から壁へと棒を渡して布を掛けるなどして、人が出入りしても奥の様子が見えないようにしていた。そんな事を思い出しながら、タイラントは部屋の奥を窺う。
とはいえ、衝立とカーテンとで二重に仕切られている上、計器類が立てていると思われる微かな稼動音以外は何の物音も聞こえて来ないから、向こう側の様子はさっぱり判らない。
（まぁ、いいか……）
この向こうにウィッチが居るのは間違い無いのだし、ここまで来たら、もう、焦ることも無い。
（あんまり驚かないでくれると、いいんだけどな。いやまぁ、そりゃあ、驚きはするだろうけど、さ……）
自分だって、ウィッチがこの基地の医療センター長だと聞いた時には、物凄く仰天した。だから、驚くなと言う方が無理な事は、勿論、判る。とはいえ、露骨に驚いた顔をされてしまっては、正体がバレないよう慎重にやってきたここまでの努力が、総て無駄になりかねない。
（ウィッチがどう動くつもりにしても、俺については、単なる一般兵のままってコトにしといた方が……そりゃ確かに不便な事は多いけど、でも、こっから脱出する時の事とかを考えれば……絶対に、有利だもんな）
だから、なるべく驚いた様子を見せないで欲しい。そう、タイラントは考える。
（まぁ、ウィッチだしな……）
元々が、あまり露骨に感情を表現するタイプでは無いし、どういった思惑でここに来たにせよ、ここが『敵地』のど真ん中であることは、十二分に認識しているだろう。そして、敵地に居る以上、何が起きるか判らないのは当然で、予想外の事が起きたからといって一々狼狽していては敵に隙を見せることになるという事についても。
そういった、いわば戦いのセオリーとでも言うべきモノを理解し、かつ、それに沿った行動が自然に取れるという点において、タイラントは、『何かが起きた場合』の戦闘員の数に、ウィッチを入れて考えていた。勿論、実働の戦力にはならないし、そもそも貴重な医療スタッフであるウィッチを戦わせるなど論外ではあるが、しかし、切った張ったの立ち回りだけが戦いの総てでは無い。
特に、時に戦士としては甘すぎる判断をする事がある００ナンバー達と共闘する上で、必要に応じて冷酷な判断を躊躇無く下せるウィッチは、タイラントの中では、アイラニやチアフルと並んで、頼りになる同志として位置づけられていた。
（ほんっと、ライとは全然違うよな……）
見た目も似ていないが、性格も似ていない。とはいえ、どちらも一長一短で、例えば、簡易診療所の所長がウィッチだったら、おそらく、今のように上手くは行っていなかっただろう。医療スタッフ達はともかく、現地の有志が大半を占める警備部は、到底まとまらなかった筈だ、とタイラントは思う。

ライ本人は知りもしない事だろうし、知ったら不本意だと思うだろうが、警備部に所属する現地出身のメンバー内でのライの評価は、『良いヤツだし、凄く偉いお医者様なのは判るけど、どうにも危なっかしくて仕方がない』というもので、良くて年少の兄弟扱い、下手をすれば息子扱いという有様なのだ。
だが、その評価も尤もで、日夜発生するありとあらゆる要望を、唖然とするほどくだらないものから、なるほどと誰もが納得するものまで一切の区別無く、更には明確に口にした訳ではないものも含めて（といっても、テレパスであるライにとっては、実際に口に出して言ったかどうかは、あまり関係無いようなのだが）、一々検討しては、できるできない、やるやらない、の回答をし、やるとなったものについては細々とした指示を出しているのだ。その所為で、いつ見ても書類に埋もれていて、呆れることには会議などの為に移動する合間ですら書類を手放さず、読みながら歩いて壁にぶつかったり、床に躓いて辺りに書類を撒き散らかしたりしているのを、簡易診療所で働く者ならば、誰もが一度ならず目撃しているのである。
その結果、『良いことをしようとして一生懸命だが、本人の手には負えず、しかも、それを本人が判っていない』という共通認識が形成され、誰も彼もが、ここはひとつ年長者の我々が（とはいえ、実際にはライの方が殆どの者よりも年上なのだが）手伝ってやろうじゃないか、と考えるに至り、結果としてそれが、多種多様な経緯で集まった警備部メンバーを一致団結させる主たる要因になっていた。
もしこれが、合理主義と完璧主義の権化のようなウィッチだったら、こうはいかないだろう。そうタイラントは考える。
（ってことは、ある意味、適材適所っていうことか……）
あれはあれで良いってことなんだろうな、と内心で頷き、そして、タイラントは横に逸れかけた思考を打ち切った。

（とにかく、だ。相手はウィッチなんだから、心配はいらないよな）
むしろ、自分がこの基地に居ることを知ったウィッチが、咄嗟に何かの策を考えて実行に移した場合、それに即応できるよう、気を引き締めておくべきだろう。
（よし……）
そっと呼吸を整え、壁に掛けられたスクリーンの表示と端末の表示とを見比べている兵士の方へと視線を向ける。
そこでタイラントは、ふと目を瞬かせた。
（？）
通路へと続く閉じられた扉と、診察室の手前側と奥側とを仕切る衝立。その間の、やや薄暗い空間は、決して狭くは無いが、広いという訳でもない。
そこに、何故か、５人もの兵士が居た。
一人目は、待合室に居る自分を呼びに来た、案内役の兵士。二人目と三人目は、この部屋の警備役であると思われる兵士で、そのうちの一人が、案内役の兵士から受け取った端末と壁のスクリーンの表示とを見比べて何事かをチェックしている。ここまでは、まあ、いい。
不思議なのは、残りの二人だった。
その二人は、つい先刻までずっと待合室の扉の内側を警備していた兵士達だ。
（……なんだ？）
何故、待合室の警備をしていた二人がここに居るのだろう？ とタイラントは内心で首を捻る。とはいえ、暇だからちょっと来た、とか、そういうような雰囲気ではない。キッチリ姿勢を正して衝立の脇に立っているから、当然、任務の一環なのだろう。
（交代、とかなのか？）
同じ場所にずっと立っていると、だんだん慣れてきて気が緩むから、それを避ける為、一定時間毎に場所を移動することは、無いわけではない。待合室の警備の次は、診察室の警備、という感じなのかもしれない。
（けど……）
自分が待合室から出た時、待合室の警備をする交代の兵士は来てなかった筈だ。
（……ってことは、だ。今、あっちの部屋には、警備兵が誰も居ない？）
とはいえ、待合室で順番を待っていたのは、自分だけだったから、今、あの部屋は無人な訳で、従って、警備兵が居なくても良いとも言える。あるいは、自分達がここへ来た後で、交代の兵士が到着したのかもしれない。
だが、ここまでの間に目にした範囲の警備体制……相当にキッチリした、やや過剰気味な体制……から考えると、それは少々おかしいような気もする。
（なんだろ……。ローテーション表の不備、とかかな？）
何しろ、ここ数日の付け焼刃なのは間違いないのだ。それに、一斉点検による勤務スケジュールの変更は基地内全体に及んでいる。基地の出入口の警備でさえ、交代時間になっても次の小隊が来なかったり、あるいは、同じ場所と時間に二つの小隊が割り当てられていたり……などの混乱が、少なからず起きている。医療センターの警備スケジュールに多少の不備があっても、状況からすれば仕方が無いだろう。
（いや、でも………）
何かがひっかかる、ような気がする。
（……なんだ……？ 何が……）
何がおかしい？ と、タイラントが考えかけた、その時。

「おい、入れ」
いつの間にか確認作業が終わったのか、案内役の兵士が衝立の脇に立ち、閉じられたカーテンの合わせ目に軽く手を差し入れながら、声を掛けてきた。
その言葉に、タイラントの思考が断ち切られる。
そして。
「あ、はいっ……」
慌てて返事をすると、タイラントは、開かれたカーテンの隙間をくぐり、診察室の奥へと足を踏み入れた。

カーテンの隙間を抜けて診察室の奥へと入る。
衝立の所為で少し薄暗かった場所から照明の真下に出た所為で、一瞬、視界が眩む。
瞬きをして顔を上げ……
そして、タイラントは動きを止めた。
（……え……？）
周りを囲む真っ白なカーテン。
真っ白な天井。
それと同様に、思考も白く凍りつく。

診察室の奥。タイラントの真正面。端末や検査機器類や医療器具等がところ狭しと置かれた机の脇に、背凭れと肘掛の付いた椅子に座っていたのは、白衣姿のウィッチだった。
脚を組んで背凭れに軽く寄り掛かり、左腕を肘掛に乗せて悠然と座る姿。射るように見据えてくる冷たい薄氷の瞳。それは、タイラントにとっては馴染み深い『医療センター長 ウィッチ』だ。
そのウィッチの左右。診察室の壁とカーテンとに沿うように、兵士達がずらりと並んでいた。
居並ぶ兵士達の手には、銃。その銃口は、まっすぐにタイラントへと向けられている。
「な……っ」
息を呑んで目を見開いた瞬間、背中と、そして頭の左右に固いものが突きつけられる。
それが、つい今しがた衝立の向こう側に居た兵士達の仕業であることは、考えるまでも無かった。
「……な、ん……で……」
目を見開いたまま掠れた声で問う。
けれど、ウィッチは眉一つ動かさない。
次の瞬間、首筋に何かが押し当てられた。
（……あ……っ）
まずい、と思う。
だが。
そう思った時は、既に、何もかもが手遅れだった。
即効性の麻酔薬が一瞬にして身体の感覚を奪い、まるでスイッチを切られたかのように意識が落ちる。
状況が何一つとして理解できないまま、タイラントはその場に倒れ伏した。