「ウィッチ！」
扉が開くなり飛んできた嬉しげな声。それへ、柔らかな笑みを浮かべつつ、ウィッチは優雅に一礼した。
「お忙しいところお呼び立ていたしまして、たいへん申し訳ありません、ソレイユ様」
「気にするな。お前の用件は、僕にとって最優先事項だからなっ」
ウィッチの言葉にソレイユが胸を張って答える。
「ありがとうございます。光栄ですわ」
そう答えて再び丁寧な礼をすると、ウィッチは軽く片手を上げ、奥に設えたソファーを示した。
「さぁソレイユ様、どうぞこちらへ。お茶の用意をしております。まずは、一息おつきくださいな」
「うん」
嬉しそうに頷いたソレイユが、誘われるままに歩を進め、ソファーへと座る。
テーブルには既に、ハチミツをかけたビスケットと、やや薄めに淹れた紅茶が並べられていた。ふんわりと香る甘い匂いに、ソレイユが目を輝かせる。さっそく手を伸ばしてビスケットを頬張るソレイユを視界の端で確認しつつ、ウィッチは優雅な動きで隣へと座った。

「いかがですか、お口に合いますか？」
「うん。お前の用意するものは、お菓子も紅茶も、すごく僕の好みだ」
上機嫌で返された言葉に、ウィッチがにっこりと笑ってみせる。
「そうですか。それは良かったですわ、ソレイユ様」
そして、内心でヤレヤレとため息を吐いた。
（……『お祖父さま』と好みが一緒。ま、手間がかからなくって助かるわ）
このことは、ソレイユが幼い頃から『お祖父さま』であるダクシャと少なからぬ時間を共に過ごしていた可能性を示唆している。
更に、これまでの間にソレイユから聞き出した……というより、ソレイユが一方的にウィッチに喋りまくった、愚痴ともつかぬような……話と併せて考えれば、ソレイユは相当の『おじいちゃん子』であり、ダクシャは相当以上の『孫馬鹿』であるというのは、まず間違いなさそうだ、とウィッチは考える。
（つまり、今のこの状態は、その『おじいちゃん子』の、遅まきながらの反抗期、というところなのかしらね）
当面は、その反抗心をうまく利用すればいい。とはいえ、最終的にどうするか……どうなるか、と言うべきかもしれないが……は、未だわからない。ソレイユのダクシャへの反発は、単なる反抗期にすぎないのか、あるいは、それだけに留まらない何らかの秘められた事情があるのか。最後まで敵対を貫くのか、結局は『お祖父さま』への情が優先するのか。反抗という形を取っただけの単なる甘えか、いずれ反逆へと至る自立の兆しか。そもそもソレイユはダクシャの本質を理解しているのか、それとも、蛙の子は蛙、孫もまた同類にすぎないのか。
何をどう考えるにせよ、流石に情報が足りなすぎだった。もう少し、ソレイユ以外からの証言も集め、その上で検討すべきだろう。
（果たして、この坊やは、どちら側の人間なのかしらねぇ……）
こちら側なら良い。だが、そうでないのならば、それなりの時期までに手を打っておかなくては、厄介ごとを増やすことになる。それだけは間違いない。
（なにしろ、遠からずジョーが来るでしょうからね。そうなってからでは手遅れ。だから……）
手遅れになる前に見極めて、しかるべき対処をしなければならない。ギリギリまでは使うにせよ、タイミングだけは絶対に誤らないよう十分に注意しておかなくてはならない。
（もし、それまでに見極めがつかなければ……）
可哀想だけれどそれまでね、とウィッチはこともなげに考える。
（何しろジョーだけじゃなくルシファーまで居るわけだから……）
ただでさえ厄介な人間には事欠かないのだ。不確定要素を更に増やして事態を混迷させるのは避けたい。
（ダクシャの孫馬鹿がどの程度かは知らないけれど、それでも……）
ソレイユがダクシャの最終的な弱点には成り得ないだろう、とウィッチは考える。他者を利用し蹂躙することに何の痛痒も感じないモノが、たかが己の血を引くというだけの理由で、ソレに道を阻ませるわけがない。従って、ソレイユが明確に『こちら側』に立つ者であり、ダクシャへの反逆を貫く確固たる意思を持つのでない限り、手の内に留め続けることは、こちらの不利益にしかならない。
故に、そのような事態にならないよう、潮時を見極めることが何よりも肝心だ。
（まぁ、この見事な容姿が失われるのは、芸術における人類の損失という気もするけれど。とはいえ、Neo Black Ghost にいる時点で、もう失われているようなものだし……）
気にしても仕方がない。などと些か物騒な思考を巡らせつつ、けれど、そんな気配など微塵たりとも伺わせず、ウィッチは、空になったカップに紅茶を注いだり、ビスケットにかけるジャムやハチミツを差し出したり……と、甲斐甲斐しくソレイユの世話を焼く。
その有様は、何も知らない者が端から見れば、まるで母と子のようでもあった。息子の方がいささか育ちすぎではあったが。

ソレイユが並べられたビスケットをあらかた片付けたところを見計らい、新しく淹れた紅茶をカップに注いで差し出す。そして、ウィッチはおもむろに本題を切り出した。
「……それで、お忙しいソレイユ様に、わざわざご足労いただいた理由なのですけれど」
「そうだったな。なんの用事だ？」
くんくんと嬉しそうに紅茶の香りを嗅ぎ、一口飲んで満足そうに目を細めたソレイユが、カップをテーブルに置く。その一連の所作は、いささか幼さを感じはするものの、極めて洗練されていて育ちの良さを伺わせるものであった。
薄い藍鉄色の瞳が瞬きをひとつしてウィッチを映す。その、もの問いたげな瞳に柔らかな笑みを向け、ウィッチはゆっくりと言葉を継いだ。
「基地司令のダクシャには直属の部下であるルシファーが居るのに、ソレイユ様が直属の部下をお持ちでないのは、いかがなものかと思いまして」
それへ、ソレイユがむっとしたように眉をひそめる。
「ルシファーは、いずれ僕のものになる」
唇を尖らせるソレイユに、ウィッチは柔らかく頷いた。
「えぇ勿論です。それは私も承知しておりますわ。それに、私はソレイユ様直属の部下のようなものですから、ソレイユ様に部下がいない訳でないことも、分かっております。とはいえ……」
そう言って微かに目を細め、ウィッチは言葉を継ぐ。
「……私は医療センター長です。それ故、常にソレイユ様のお側に控える……という訳にもまいりません。勿論、いざという時には、必ず、ソレイユ様を御守りいたしますわ。ですが、普段ソレイユ様のお側に控え御守りするモノが必要だと思うのです。戦闘に長けた者を、護衛としてお側に置かれるべきですわ」
尖らせた唇をそのままにじっとウィッチの話を聞いていたソレイユは、唇を噛んで考え込むように下を向いた。
「………」
沈黙。
やがて、どこか拗ねたような口調でソレイユは言った。
「……だったら、ルシファーがいい」
「えぇ、いずれは。けれど、今すぐは無理です」
そのウィッチの答えに、ソレイユがバッと顔を上げる。
「アレは僕のものだ。僕のものになるんだ」
「いずれそうなるでしょう、ですが……」
それは今ではない。そう言うウィッチに、ソレイユは柳眉を逆立てて叫び返した。
「今だ！今がいい！ 今すぐあいつを連れてきて、僕の前に跪かせろっ！」
指を振り立てて言い募る有様を、ウィッチの薄氷の瞳が静かに見つめる。
そして。
「……ご執心ですのね、ソレイユ様」
クスリと笑ってウィッチは言った。
「あんなのの、どこがよろしいのですか？ たいした性能でもない、量産型にちょっと手を加えた程度のガラクタですよ。確かに悪知恵には長けているようですし、実績もある。けれど、性能だけ考えれば、ソレイユ様がそこまで執着なさるほどのモノでは無いと思いますけれど」
淡々と紡がれた言葉に、ソレイユが虚をつかれたように目を瞬かせる。
「……え？」
宙に上げられていた指が、ゆっくりと膝に落ちて。
「ソレイユ様？」
「……えっと、だって、ルシファーは……ルシファーは最強のサイボーグだって……みんな、そう言ってたぞ」
戸惑ったような口調。それへ、ウィッチはあからさまな嘲笑を浮かべて見せた。
「まぁ、確かに、この基地ではそうだったかもしれません。あの程度のサイボーグであっても、この基地に配備されている一般兵に比べればマシですからね」
冷たささえ混じる声音に、ソレイユは言葉を失い、ただ呆然とウィッチを見ることしかできない。
「………」

途方にくれたような表情で黙り込んでしまったソレイユへ、ウィッチはゆっくりと手を伸ばした。指先でそっと頬を撫で、困惑した瞳を覗き込む。
「強いサイボーグが欲しいのかしら、坊や？」
「……う、うん」
まるで魅入られたように惚けた瞳でこっくりと頷くソレイユに、ウィッチが柔らかな笑みを向けて。
「それは、どうしてなのかしら？」
とてつもなく優しげでありながら有無を言わさぬ声音。それに操られるようにソレイユが答える。
「だって、そうしたら馬鹿にされない。強い部下を持ってれば、馬鹿にされない。お祖父さまはルシファーが居るから、だから何でも思い通りにしてるんだ。だからっ！ だから、ルシファーを僕のものにすればいい！ そうすればっ！」
誰も僕を馬鹿にしない……と、思ったそのままを叫ぶソレイユの言葉に、ウィッチの冷たい声が被さった。
「なるほどね。つまり、坊やは力が欲しいのね。強い部下、ルシファーより強いサイボーグがお望みかしら？」
「……え？」
思ってもみなかった事を言われて混乱するソレイユに、ウィッチが優しく笑いかける。息の根を止められそうな、とてつもない危険を孕んだ笑み。もし、タイラントあたりがこれを見たのなら、本能的に加速装置を起動して一目散に逃げ出したかもしれない。けれど、ソレイユの目には慈しみに満ちた聖母のごとき笑みとしか映っていない。
「ねぇ坊や、ここでは『ルシファー』が最強の代名詞なのかしら？」
囁くようなやさしい声。それに誘われるように、ソレイユはこくりと頷いた。
「うん。……だって、みんな、そう言ってる」
よるべのない子供のような瞳で、呟くように答える。考えることを放棄して、ただ与えられることを待つだけの頼りない目線。その頬をするりと撫で下ろし、そして、ウィッチはクスリと笑った。
「なるほど……みんながそう言っている、ねぇ……」
ふっと目を細め、視線を宙に向ける。何事かを思案するように、一瞬、薄氷の瞳が剣呑な光を放って。
「……っ」
不意に周囲を覆った凍てつく気配に、ソレイユは怯えたように息を飲んだ。唐突に呼吸の仕方がわからなくなる。何が起きたのかわからず、ただウィッチを見上げ……けれど、その刹那の温度が嘘だったかのように、ソレイユの瞳に映ったウィッチは暖かな笑みを浮かべていた。

「わかりましたわ、ソレイユ様」
「……え？」
いきなりの言葉にソレイユは戸惑ったように目を瞬かせた。それへ、ウィッチが頷いてみせる。
「ソレイユ様は、強いサイボーグ兵をお望み。だからルシファーが欲しい。そうですわね？」
「え？ あ……うん」
何だかよくわからないものの、緊迫感が霧散したことで安心したソレイユは、ほっと息を吐きつつ頷いた。それへ、ウィッチが優しげな笑みを見せながら言葉を続ける。
「でしたら、ご心配には及びませんわ。お望み通りのモノを、ご用意いたしましたから」
「え？」
「現存する全サイボーグの中で、最強スペックのサイボーグをご用意いたしました。この私が、Neo Black Ghost 本部の医療センター長だった時に、考え得る全ての技術を使って造ったサイボーグです。性能に関して言えば、ルシファーなど……」
そこで思わせぶりに言葉を切り、やや芝居掛かった仕草で手を振って。
「……問題外ですわ」
「ほっ、ほんとうかっ？」
目を丸くし思わず身を乗り出してきたソレイユに、ウィッチは満面の笑みを浮かべながら頷いて見せた。
「えぇ。Neo Black Ghost 本部の崩壊後、行方をくらませていたのですが、この基地に居るのを見つけました。捕らえて、隣の部屋に置いてあります。点検整備も終わらせてありますから、目を覚ませばすぐ連れて行くことが可能ですわ。……いかがでしょう？ ソレを、ソレイユ様の護衛になされては？」
「そいつ、ルシファーよりも強いのかっ？ だったら……だったら、そいつがいいっ！」
興奮気味に叫ぶソレイユに、いっそ白々しいほど丁寧にウィッチが頭を下げて。
「私の進言をお聞き入れいただき、ありがとうございます、ソレイユ様」
そう言いながら左腕につけた端末へと視線を走らせて時刻を確認し、事前に描いたシナリオを素早く脳裏に思い浮かべる。
（……ここまでの展開は、まぁまぁ予定通り、といったところかしらね……）
やや予想外の展開はあったものの、何はともあれ最初のチェックポイントは通過。とはいえ、ここから先はタイラントが目覚める時間との兼ね合いも出てくるから、あまり呑気にしてはいられない。
（何で坊やがあそこまでルシファーに執着するのか……執着しているのは、ルシファーというよりも『最強』の方ではあるようだけれど、でも、その背景は気になるところね……）
力が欲しい、力があれば思い通りにできる、ダクシャのように……というのがソレイユの主張ではあるが、まだその奥に何かがあるように思える。そもそもダクシャはこの基地の最高権力者であり、ルシファーが居ても居なくても、その力……権力は、基地内においては確かなものの筈だ。目に見える力……戦力……つまりルシファー……を傍らに置いておかねばならない、置いているからこそ意思を押し通せる状況とは、一体どういうものなのか？ それは、ソレイユの要領を得ない話からは、どうにも炙り出せない。
とはいえ、今はそんなことを悠長に考察している場合ではない。
（とにかく。坊やの気が変わらないうちに、さっさと話を進めるとしましょうか）
内心でそう呟き、ウィッチは小さく頷いた。

「ソレイユ様、私の造ったサイボーグ……名はタイラントと申しますが、ソレにお引き合わせする前に、申し上げておくことがあります」
やや改まった口調で言うウィッチに、ソレイユは首を傾げた。
「タイラント？ なんか、かっこ悪い名前だな」
むぅと眉根を寄せるソレイユに、ウィッチが頷いて見せる。
「そうですわね。ですが、ソレイユ様。あなたが飼い主になられるのですから、お好きな名前を与えてやれば良いでしょう」
「僕が名前を付けて良いのかっ？」
「当然です。飼い犬の名付けは飼い主の特権。ですが、その前に……」
今にも名前を考えて悩み出しそうなソレイユの視線を捉え、ウィッチは殊更にゆっくりと言葉を継いだ。
「その前に、ひとつ、やらなくてはならないことがあります」
「う、うん……」
一体何をしろと言われるのか見当もつかず、ソレイユの視線が不安気に揺れる。それをじっと見つめ、ウィッチは静かに言った。
「それは、あなたを飼い主と認めさせ、服従を誓わせることです」
「え？ あ、うん」
あまりといえばあまりにも当然と思える言葉に、ソレイユは困惑気味に目を瞬かせた。
「そんなの、僕の部下になるのだから、当然のこと……じゃない、の…か……？」
言いかけた言葉が、徐々に冷たさを増すウィッチの瞳の前に掠れて消える。
「……」
ひどく居心地の悪い沈黙。
「……ソレイユ様」
「う、ん」
氷点下ではないものの、決して暖かくはない声音。けれど、真摯な熱を感じさせるその声音に、ソレイユが様子を伺うようにウィッチを見る。その手を取り、両手で包み込むようにしながらウィッチは言葉を続けた。
「ソレイユ様。私がソレイユ様の部下になると申し上げた時のこと、覚えておいでですか？ その時、ソレイユ様は何をなさいましたか？」
「え…？ えっと、その……お前を、医療センター長に、任命、した……」
ゆっくりと投げかけられた問いに、ソレイユが考え考え言葉を紡ぐ。それへウィッチは大きく頷いて見せた。
「そうです。ソレイユ様は監禁されていた私を解放し、前任の医療センター長を解任、その地位を私に与えて下さいました」
勿論、実際のところは、ソレイユがやったとはお世辞にも言えない。どう見ても、ウィッチがソレイユにやらせた訳なのだが、そこについては一切触れず、いかにもそれがソレイユの功績であるかのようにウィッチは言う。
そうやって語られた言葉をしばし吟味するように黙り込んでいたソレイユだったが、暫くの沈黙の後、戸惑うように口を開いた。
「……つまり、そのサイボーグにも、そうすればいい…ということか？」
不安気な問いかけ。それへにこりと笑いかけ、それから、ウィッチは頭を振った。
「もちろん、それも一つの方法ですわ。けれど、今回それは適切ではありません。犬には犬の、躾け方があるのです」
「犬の……躾け方……？」
「えぇ」
ひどく優し気な笑みを浮かべて、ウィッチはゆっくりと噛んで含めるように話を続ける。
「よろしいですか、ソレイユ様。ソレイユ様はいずれは基地司令になられるお方、多くのものを従える立場になられるお方です。そのために、ソレイユ様は知らなくてなりません……相手を従え、支配する方法を」
「支配……する……？」
「そうです。支配しているからこそ、相手を命令に従わせることができる。支配と服従こそが全ての根幹をなすもの。この世界の真理なのです」
おわかりですか？ と覗き込んでくる薄氷の瞳。それに、ソレイユがビクリと身を震わせた。禁忌の深淵に触れるかのような雰囲気に心が竦み、思わず身を引きそうになる。けれど、それよりも早く、ウィッチはソレイユの手を引き寄せた。
「ご心配にはおよびませんよ、ソレイユ様」
甘い声音。優し気な目線。握った手から腕へと撫で上げてゆく柔らかな手の感触に、ソレイユは我知らずほっと息を吐く。
「どうすれば良いか、何もかも、すべて私が教えて差し上げます。『お祖父さま』があなたに隠していた、支配するためのやり方を。『お祖父さま』ではなく、あなたが支配者となる、そのための方法を。大丈夫です、少しづつ覚えていけばよろしいのですよ。そうすれば……」
不安と期待、その奥にわずかに見える、何に対してなのか判然としない恐怖。それらを湛えて揺れる、薄い藍鉄色の瞳。それへ、ウィッチは慈愛に満ちた微笑みを向けた。腕から肩、頬へとゆっくり手を滑らせ、包み込むように抱き寄せる。
「……そうすれば、全てを従えることが可能となるでしょう。何もかもが、あなたの思いのままになりますわ、ソレイユ様」
突き立てられた毒の甘さに、ソレイユが陶然とウィッチを見上げて。
「ルシファーも……？ ルシファーを、跪かせることも、できる……か？」
「もちろんですわ。あなたが支配者となれば、全てのモノがあなたの前に跪きます。今日これからやることは、そのための第一歩。犬を一匹、従えるだけ。でも、その犬はソレイユさまがお望みの、最強の犬ですよ」
そう言いながら、ウィッチはチラリと左腕の端末に視線を向けた。
（脳波は覚醒パターン。心拍数からしても、目を覚ましたのは間違いなさそうね……）
生体部品に流れる電流量のレベル表示は最低値。つまり、暴れたりせずに、ただ黙って転がったまま様子を見ている、というところだろう。
（目を覚ましたのは数分前……頃合いとしては、悪くないわね）
覚醒直後のぼんやりした状態も困るし、かといって、時間が経ちすぎて焦燥に駆られているような状態も望ましくない。ちなみに、目覚めてから約十分というのが、ウィッチの予想するタイラントがおとなしくしていられる限界値だ。つまり、タイミングとしては上々と言える。
そう考え、ウィッチはゆっくりとソレイユから体を離した。するりと手を握り、立ち上がるよう促す。
「行きましょう、ソレイユ様。あなたの飼い犬になるモノが、目を覚ましたようです。行って、飼い主が誰かを教え込んでやりましょう」
「う、うん……」
どこか未だ夢うつつのまま、ソレイユが立ち上がる。その不安気な表情に、ウィッチは安心させるように笑いかける。
「大丈夫ですよ、私にお任せください。ソレイユ様は堂々となさっていれば良いのです」
「わ、わかった……。よし、案内しろっ」
やや震えながらもいつもの尊大な口調で言ったソレイユに、ウィッチの瞳が一瞬だけ冷徹な光を孕む。
けれど。
「承知いたしました、ソレイユ様。さぁ、どうぞこちらへ」
やわらかな口調でそう言いながら優雅に一礼すると、ウィッチはタイラントを閉じ込めている部屋へとソレイユを誘った。