『幻想海悠園』
『語部館』
『月光水晶戦記』

第十歌

風吹き初めるとき



選択の刻は来た

まどろみの日々は終わり

天翔ける鳥が嵐を告げる

汝、天と地の間に立つモノよ

心して答えるがいい


駆け抜けて行く伝令係が吹き鳴らす笛の音に、シーアは目を瞬かせた。
(…この…吹き方は……?)
毎日、昼前と夕刻に聞く吹き方と良く似ている…と思う。
(でも……)
空を見上げ、太陽の位置を確かめる。
金色に輝くその姿は、未だ天高くにあって、夕闇は、気配すら程遠い。
(…だいたい、ついさっき、昼の小休止をしたばっかりだし……)
聞き間違いだろうか? とシーアが首を傾げたところへ、隣を行くズァインが声をかけた。
「『止まれ』の合図ですよ、シーア」
毎日聞いてるんですから、そろそろ覚えてもいいんじゃないですか? と。
その言葉に、シーアは慌てて…しかし慎重に…手綱を引いた。

馬が徐々に速度を緩め、やがて、足を止める。
完全に停止したところで、シーアは、ほっと息を吐いた。
かなり慣れて来たとはいうものの、この瞬間が、一番、緊張する。何とか無事に止まれたのに安堵しつつ、シーアはズァインに声をかけた。
「…こんな時間に…何で?」
「着いた…のでしょう」
「え?」
「正確に言うならば、私達が…ではなく、斥候のモノが……というコトでしょうけれど……」
と言い、そこでズァインは口を閉じ、隊列の前方を見遣った。
つられて、シーアもそちらを見る。
その視線の先に、馬を駆って近付いて来る人影があった。
「……勇者シーアっ! ズァイン…っ!」
馬上から半分身を乗り出すような体勢で叫んでいるのは、天の三剣姫の一翼たるリヤンナだ。
「見つかったんですよっ、村がっ! 今、斥候隊から伝令が来たんですっ! 私は、レィミアを呼んで来ますから、先にダナスの所へ行ってください!」
「わ…わかったっ!」
シーアが答える間もあらばこそ。
リヤンナの乗る馬は、すれ違いざまに一気に足を速め、隊列の後ろに向かって駆け去って行った。




「おかしらっ! おかしらーっ! おかしらぁーっ!」
キンキンと響く甲高い少年の声。
切迫した調子の叫びに、ハジスは苦笑した。
「…ったく……よく響く声だぜ……」
あの慌てぶりからすると、また誰かが麓の村とイザコザでも起こしたか…と、溜め息をひとつ。ヤレヤレ…と呟いて立ちあがり、天幕の外に出る。
そこへ、赤毛の少年が、転がるように駆け寄って来た。
「…おかしらっ……東麓の村から、使いが……」
(……やっぱりな……)
チッと舌打ちする。
「誰が何やらかした。盗みか? 喧嘩か? 女をヤっちまったか? …まさか、殺しちまったとかってんじゃ、ねーだろーなぁ……?」
東の村とは、つい先日も、ひと悶着あったばっかりだってのに…と言うハジスを見上げ、少年は、困惑した表情で小さく首を振った。
「…それが…その………妙な連中が来た…って言うんスよ……」
「はぁっ?」
なんだそりゃ…とハジスが眉をひそめる。
「……とにかく、来てくださいよ、お頭……」
正面の広場に待たせてありますから…と少年が袖を引っ張るのへ頷き、ハジスは大股に歩き始めた。

「……なる…ほど……?」
東麓の村から来た使者の話を一通り聞き終えたところで、ハジスは首を捻って唸った。
(……どういうコトだ…?)
使者によれば、今日の昼前に数名のモノ達が村を訪れ、村の長に宛てた書状を差し出したのだという。
そのモノ達は、旅装束に身を固めた男と女達で、驚いたことに、女達は剣を帯びていたのだとか。
(…剣を持つようなのといやぁ……)
自分達の一族以外には、魔の下僕達くらいしか、ハジスは知らない。
ましてや、女だという。
(……剣を持った…女…だと……?)
一体どういう事だ? と思い、そして、その『妙な連中』が持ってきたという書状に視線を落とす。
書状の文面が、また、謎だった。
そこには、こう書かれていたのだ。
『我等、天地珠の巫女に導かれ、勇者と共に、隠されし刃を求めて来たる』と。
(………)
「……あの…どうしましょう……?」
考え込むハジスに、使者がおそるおそる声をかける。
「…どう…って言われてもなあ…」
「ですが……書状を持ってきたモノ達は、その…『勇者』と『天地珠の巫女』が、村の長と会えるように取り計らって欲しい…と言って……。それで、明朝、返答を聞きに来ると言うんです……」
そのモノ達が来たら、一体、何と返事をすればいいのか? と、使者は切羽詰った口調で訴えた。
「………う〜ん……」
「頭領様っ、お願いします、村を…私達の村を御守りくださいっ!」
そういう約束じゃないかっ…と言わんばかりの目線を向けられ、ハジスは困惑気味に頷いた。
「あぁ、あぁ、判ってる。そりゃ、勿論、判ってるって……」
「でしたらっ……」
言いつのろうとする使者を片手を上げて制し、ハジスは言葉を継いだ。
「とにかく、落ち着けや。その連中は、明日の朝に来る…つったんだろ?」
だったら、まだ時間はある。そう言って、ハジスは傍らに控える赤毛の少年に声をかけた。
「サージャ、各隊に伝令。大至急、隊長連を集めろ」
「はいっ!」
サージャと呼ばれた少年が、パッと跳びあがって応え、駆けだしていく。
それを見送って振り返り、不安気な表情の使者に、ハジスは軽く笑ってみせた。
「そんな心配するなって…夕刻前にはこっちから使者を出すから、アンタは村に帰ってていいぜ」
「いえっ! お返事を頂くまで、ここで待たせていただきますっ」
必死…といった口調に閉口しつつ、とりあえず頷いて。
「………わかった……んじゃま……あとで茶でも持って来させるからよ……」
楽にしててくれや…などと言いつつ、ハジスは踵を返した。




「我々は、未だ、彼等を見つけた訳では無いかもしれません……」
天幕に、勇者と天地珠の巫女、そして、三賢師と三剣姫が揃ったところで、ダナスは淡々と切り出した。
「…どう…いうことなんだ……?」
尋ねるシーアに軽く頭を下げ、膝元に広げていた地図を、全員の真中へと押しやる。
「斥候の報告によりますと、この山の周囲には、最初に見つけた村の他に、少なくとも、二つの村が存在します。山の向こう側までは、未だ、確認が出来ておりませんので、他にもあるかどうかは不明です。また、ここと……」
と言って地図の一点を示し、それから、ついっと指を動かして別の一点を示して言葉を継ぐ。
「……ここには、それなりの規模の戦闘が行われたような痕跡がある…ということなのです」
「……?」
「どちらの地点も、村からそれなりの距離がありますが、全く関係無いとも言えない場所です。恐らくは、ここで、魔の下僕達の襲撃を迎え撃ったのではないかと……」
「へ…え……」
ダナスの言葉に、シーアは目を丸くした。
「……村を挙げて魔の下僕達に対抗している…なんて……」
流石は『隠されし刃』の一族のモノ達じゃないか…というシーアの言葉に、しかし、ダナスは首を振った。
「いえ。戦ったのは、どうやら、それらの村のモノ達では無いように思われます」
「は?」
シーアが首を傾げる。
「斥候のモノ達が、最初の村のモノ達と話をしてきておりますが、彼等の様子はごく普通で…特に鍛錬を積んでいるようには見えなかった…というのです」
「……そう…なのか………」
納得したようなしないような、曖昧な表情でシーアが頷いて。
「…でも…さ、その…ここ、なんだろ?」
かつて同族だったという『隠されし刃』の一族のモノ達が住まう場所…というのは? とシーアが問う。
「ここに居ないとしたら……一体…?」
「…山…ですね?」
不意に涼やかな声が響いた。
「山?」
シーアがリスィアを見る。
それへ、ふわりと笑いかけ、そして、リスィアはダナスへと視線を向けた。
「違いますか?」
「…おそらく…そうではないかと……」
ダナスが頷いて応えたところへ、ラィラが口を挟んだ。
「……なるほど…そういう事か……。それで、村から出入りするモノが居ないかどうか見張らせろ…と言った訳だな? ダナス」
「…そうだ」
低い返答。
「?」
そのやりとりを、シーアが不思議そうに見る。
きょとん…とした表情。
ふとそれに気付いたリヤンナが、苦笑交じりにシーアへ声をかけた。
「……勇者シーア、地図をよく見てみてください。発見された三つの村は、山を囲んで、だいたい同じくらいの距離にあるでしょう?」
「…え…? ……あ…あぁ……」
目を瞬かせてリヤンナを見、慌てて地図に視線を落とす。そして描かれた図を確認し、シーアは頷いた。
「……戦いがあったと思われる場所は、ここと…それから、ここ……」
言いながら、先刻ダナスが示した位置を、リヤンナが指先でつついて。
「どっちの場所も、村を挟んで山の反対側じゃないですか?」
「……あぁ……そう…か……」
確かに、言われてみればそうだ。
という事は…と思い、地図を睨んで考え考え、シーアは言葉を継いだ。
「……つまり……山を中心に、大小二つの円があって……それで、内側の円上に村…外側の円上に戦いの跡……と見れば、その真中にある山に、何かが…この辺りを守っている何モノかが居る……かもしれないって、そういうコト…か……?」
違うかな…と顔を上げ、シーアがリヤンナを伺う。
それへ、リヤンナは、笑みを浮かべて頷いた。
「そうです。ご明察です、勇者シーア」
なるほどな…と、感心したようにシーアが溜め息を吐く。そこへ、ダナスがうっそりと口を開いた。
「そして、もしそうであれば…我々の要望……村の長に会わせて欲しい…という要望への対処を、その山に居る何モノかに相談するのではないか……と」
それ故、村から出入りするモノが居ないかを見張るよう、斥候に指示を出したのだ…とダナスは言った。
その時。
「失礼します!」
衝立の向こうから声がかけられ、一同は、はっとそちらに視線を向けた。
「…斥候隊からの伝令ですっ」
「入れ」
間髪を入れずにラィラが応じる。
その言葉が終わるか終わらぬかのうちに、衝立の影からひとりの巫女が姿を現した。
「報告っ。最初に発見された村から、ニ名のヒトが山に向かいました」
ラィラがチラリとダナスを見遣り、そして、伝令の巫女に問いを発する。
「その二人はどんな様子だった? 山に薪か何かを取りに行くような…そんな様子だったか?」
「いえ。籠などを持っている様子は無く、かなりの軽装に見えました」
「……なるほど……」
小さく頷き、他に何か伝達事項はあるか? と問う。それへ、巫女は首を振った。
「ありません」
「…ご苦労。では、誰か別のモノを交代要員として斥候隊に送って、暫く休むように」
ひょっとすると、後でまた何か尋くかもしれない…というラィラの言葉に頷き、巫女は踵を返した。
一瞬、沈黙が天幕の中を覆う。
それを破ったのは、レィミアだった。
「……やはり…山に……ということでしょうか? クゥ・リスィア……」
「そう…ですね……」
リスィアが一同を見まわして。
「……明日になれば、判るでしょう……」




「何か心あたりのあるヤツぁ、いねーか?」
集まった隊長達に一通りの説明をし、問題の書状を広げて見せ、ハジスはそう言った。
一同が困惑した表情で顔を見合わせる。
暫しそれを眺め、そして、ハジスは苦笑した。
「やっぱ、わかんねーよな……」
頭を掻いて溜め息を吐く。
「……ま、この際、連中の正体の詮索は、どうでもいい。問題は……」
と言って、ハジスは広げた書状を指で弾いた。
「…コレだ」
その言葉に、隊長達のひとり、ハジスの最も近くに座る男が応じる。
「『隠されし刃を求めて来たる』ですかい? お頭」
おさまりの悪いパサパサの黒髪に、黒い瞳。猫を思わせるような風貌のその男は、ハジスが最も信頼する、一番隊隊長のラダトだ。
「ああ…。どう思う?」
ハジスの問いに、ラダトは、肩をすくめつつ書状を手に取った。
「…そーっすねぇ……。『隠されし刃』という言いまわしが何かの偶然で無いとすりゃあ……。どーゆー訳だかはともかく、その連中は……俺等のお客…と、そゆ事ですかね?」
「まぁ…そうなるか。呼んだ覚えなんざ無ぇけどもな」
「……ふぅむ……。『天地珠の巫女』に『勇者』ですかい…」
しげしげと書状を眺め、そして、ふとラダトは顔を上げた。
「…美人っすかね、その巫女さん…てのは?」
「……さあな……」
ハジスが苦笑し、言葉を継ぐ。
「だが、この書状を持ってきた連中には、女も幾人か混ざってた…ってぇ話だからな」
『天地珠の巫女』とやらが美人でなくても、他にも女がいるのなら、ひとりくらいは美人がいるかもしれないな…と。
その言葉に、場の空気がざわめく。
「なるほど…」
「…確かにな……」
「ちょっと見てみたいよな……」
などと言い合う一同を横目に、ラダトはハジスを見遣った。
「…どーやら…決まりみたいですね、お頭?」
「おいおいおい…」
マジかよ…と言うハジスに、ニッと笑って。
「お頭だって、興味…あるんじゃないですかい?」
「……まぁ、な」
確かに、気になる。
『天地珠の巫女』と『勇者』。
その言葉が、その響きが、自分の中の何かに触れて……。
(…これが……これが、そう…なのか……?)
自分が待っていた、嵐…なのだろうか?
「もう暫くすりゃあ、様子を見に行かせた連中が戻って来ます。そーすりゃ、もうちょっと状況も判るでしょう。細かいことは、それを聞いてから考える…ってんで、良いんじゃないですかね?」
ラダトが言うのへ軽く頷き、ハジスは腕を組んだ。
暫し、考えを巡らせる。
やがて。
組んでいた腕を解いてぐるりと一同を見回すと、ハジスはゆっくりと口を開いた。
「……よし。じゃあ、俺達が、そいつらと…とりあえず、その何人かと…会ってみる…ってコトにしよう。……異議のあるモノは?」
一瞬の沈黙。
まるで、何かが音も無く駆け抜けていくような。
瞬きひとつよりなお短く、それなのに、奇妙に長い間。
そして、次の瞬間。
隊長達は、一斉に賛同の声をあげた。




茜色に染め上げられた西空に、黒々とそびえる山。
その端から零れてくる光が、風に舞う銀の髪を照らす。
胸元に下げた天地珠の破片を握りしめ、リスィアは、その山を見詰めていた。
(……居る………)
あの山に、何モノかが居る…とリスィアは思う。
踏みしめる大地を通して、天を渡る風を通して、山に棲む鳥や獣達の想いが感じられる。
その想いの響きの中に、確かに、ヒトの心の音がする…と。
何かを護ろうとする、心の音色。
地に響くような、強く深い、藍の音。
判るのは、ただ、それだけ。
その音の源が、本当に、自分達の探している『隠されし刃の一族』のモノ達なのか?
自分達のコトを、語り継いでくれているのか?
果たして、共に戦ってくれるのか?
それは、判らない。
けれども。
(……大丈夫………)
自分に言い聞かせるように、リスィアは呟く。
(…私は……)
シーアを見つけることが出来たではないか。
そしてシーアは、この自分の言葉を信じてくれた。
『勇者はあなただ』という言葉を、自分が『このモノこそ勇者だ』と思った相手が、信じてくれたのだ。

運命を変える勇者は居ると、そう、信じ続けてきた。
いつかそのモノを見つけると、そう、想い続けてきた。
自分は、必ず、出逢える。
運命を変える勇者を、見つけることが出来る。
そう信じ続けていれば、そう想い続けていれば、そうすれば、それは、必ず叶うのだと……
そして、『天地珠の巫女』は『勇者』をみつけだした。
遠い預言を、シーアが、現実のものにした。
成就されるまでは単なる願いにすぎない『預言』を、シーアが、真実にしてくれたのだ。

目を閉じて両手を広げ、天と地を感じる。
祈ることはしない。
(…私は…天地珠の巫女……)
天であり、地であるモノなのだ。
ヒトの祈りと願いを受けとめ、それが叶うと信じること。
勇者を信じ、導くこと。
それが、己の成すべきことだ。

ゆっくりと目を開く。
銀灰色の瞳に映るのは、残照に浮かび上がる山。
そして、リスィアは静かに踵をかえした。




夜明け前。
山の東端にある見張り場に立って、ハジスは眼下の村を見下ろしていた。
未だ深い眠りのうちにあるらしい村は、今日という日が始まったことに気付いていないかのように見うけられる。
(いや……)
ここからでは判らないだけで、村は、眠ってなどいない筈だ。
朝とともに訪れる筈のモノ達を待って、じっと息をひそめているだけで。
(…果たして……)
「昨夜、ちゃんと眠ったヤツぁ、一体、何人いるんでしょうかねぇ、お頭?」
突然、背後から声がかけられ、ハジスは苦笑した。
「そう言うお前は、ちゃんと寝たってぇのか? ラダト」
振り向きながら言い返す。
その言葉に軽く肩をすくめ、ラダトはしれっと答えた。
「そりゃま、お互いさま…ってコトで………」
おさまりの悪い黒髪をガシガシと掻き回し、大きく伸びをする。そして、ハジスの隣に並ぶと、目を細めて東の地平線を見遣った。
「……朝ってのは…いいモンですよね……。意味も無く、何かが変わりそうな…そんな気がする……。ま、いっつも、それは、単なる気のせいだった訳っすケド……」
そう言って笑うと、黙ったままのハジスを横目でチラリと見、ラダトは言葉を継いだ。
「……『我等、隠されし刃となりて時を待つ』か……。その『時』ってのが…来たんですかね……?」
「……さぁ…な。それは…どうだかな……?」
まだ何とも判らないだろう…と答えつつ、しかし、ハジスは確信していた。
来るべき『時』が、ついに、来たのだ…と。

ほの蒼く染まってゆく東の空。
最後の星が、鋭く瞬いて。
ゆるやかに吹き初める、明けの風。
朝一番の陽光が、天高く飛ぶ鳥の翼を白く煌かせ……
そして、一日が始まる。




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