薄墨の天に輝く、十三の満月。
その淡い光に照らされて、水晶の樹が蒼白く浮かび上がる。
緩やかに風が吹く度、枝先に咲く銀の花が、微かな音色を響かせて。
凛々と鳴る、花弁の歌。
それに混じる僅かな歪みを感じ取って、“吟花”は身を振るわせた。
リリリリリ…と、幹が震え、枝が揺れ、歌が途切れる。
哀しげな音を撒きながら、銀の花弁が散って。
燐光を放つそれが、白砂の大地にチリン…と舞い降り、そして、辺りは静寂に包まれた。

一体、自分はどうしてしまったのだろう？ と“吟花”は想う。
ここのところ、どうにもうまく歌えない。
以前から、時折、そういう事はあった。
けれどそれは、ごく稀なことで。
それなのに。
昨今では、うまく歌えることの方が珍しい。
それどころか、日々、歌に混じる歪みが深くなっていくような気すらする。
まるで、自分が端の方から侵蝕されていくような感触。
不気味で、不吉で、ひどくおぞましい。
このままでは、いつか自分は、何か別のモノになってしまう。
何故かは判らないが、そう、確信できる。
そのことが、“吟花”は不安でならなかった。

銀に輝く闇の波が、居場所を尋ねる心の響きを伝えて来る。
それに応え、“黒き風”はくるりと宙を舞った。
此処にいる…という呟きを、風に乗せて返す。
次の瞬間、そこにそれが現れた。

（長よ…どう想われる？）
明確な懸念を乗せた“銀夜”の問い。
その想いを、“黒き風”は静かに吹き返した。
（お前と同じだ）
一族のすべてのモノが、この『変化』を感じ取っているだろう。
そしてそれを、不吉に想っているだろう…と。
（原因は何処に在りと？）
“銀夜”がそう問うた途端、ふわり…と風が踊った。
（答えの判っていることを、何故、問う？）
異変の原因など『朱』以外に、ある筈も無かろうに。
咎めるように風が吹く。
そして、ふと凪ぐと、低く呟いた。
（…お前の懸念は、それではあるまい……）
本当の懸念、それは、この事態に如何に対処するか？ ではないのか、と。
（……御意…）
以前から兆しはあったものの、昨今では、それは兆しより遥かに明白な、脅威としての色を強めつつある。
このままでは、世界が…という事は、自分達も…何か別のモノに変貌してしまう。
そのことに、『朱』は気付いているのか？
気付いていて放置しているのか、気付かずにいるのか。
それとも、気付いていながら、成す術が無いのか。
あるいは……もう、『朱』は、異なるモノに成り果ててしまったのか？
焦燥を乗せた銀の瞬き。
（我らは如何にすべきか？ 長よ……）
（………）
（…長よ……）
（………わからぬ…）
そう答え、そして、“黒き風”は宙へ舞い上がった。

追って来る闇の波を振り切り、天に輝く月を見詰めて飛ぶ。
十三の月の中で最も強い力を持つ、己が仕えし、水晶の月を。
（……我が月よ……我等は……？）
為す術も無く、ただ、異質なモノに侵蝕されていくしかないのか？
あの時、『朱』が何を成そうとしてるかに気付くことの出来なかった自分達には、もう、出来る事は何も無いのか？
ただこのまま、緩やかに変貌を遂げてゆく世界を、黙って見ていることしか出来ないのか？
（それとも……）
と“黒き風”は想う。
これが『変化』なのだろうか？ と。
受け入れるべき『変化』だというのか？
けれどこれは……
（これは…滅びではないのか？）
異界からの波によって変わっていく…容赦無く変えられていく…というのは。

降り注ぐ淡い光の中を吹き抜けながら、“黒き風”は、答えの判らぬ問いを、ただ想い続けた。