シャラリ、シャラリ…と弔いの鈴が鳴らされる。

左手に金の鈴を持ち、右手に花を持って並ぶ巫女達。
右手に銀の鈴を持ち、左手に緑の枝を持って並ぶ神官達。
その間を、葬列は静々と進んで行った。
棺が目の前に来ると、巫女や神官は、手に持っていた花や枝を、それぞれ、棺の中に横たわる女性の上へと乗せる。
シャラリ…と鈴が鳴り、また一歩、葬列は進む。
そうやって、森の奥へまた奥へ…と、ゆっくり進み、ついに葬列は、泉のほとりへと辿り着いた。
そこに建てられた、小さな祠の前に。
風雨にさらされて古びた、けれど、綺麗に清められた木の扉。
繊細な紋様が一面に彫られているその扉が大きく開かれ、女性を寝かせた棺が祠の中に納められる。
巫女と神官達が、手に持った鈴を一斉に鳴らし、最後の祈りを捧げる。
詞も無く、ただ静かに。
沈黙の祈り。
そして、祠の扉がゆっくりと閉ざされ……
この瞬間、ヒトである『リスィア』としての、彼女の生涯は終わった。

彼女は、『死んだ』のだ。

人々の足音が遠ざかり、やがて、辺りは森の音だけになった。
微かな風の音と、湧き出る泉の水音。
時折聞こえる、小さな虫の声。
遠く響く、獣の遠吠え。
鳥の囀り声と、微かな羽ばたき。
目を閉じたまま、それらの音に耳を傾けていると、自分と世界の間にある壁が取り払われていくような気がしてくる。
自分が『世界』を構成する、その一部である事が、しみじみと感じられて。
そして。
リスィアは、ゆっくりと、その銀灰色の瞳を開いた。

そっと身を起こして胸元を見、リスィアはそこに刻まれた文字に触れた。
既に乾いた血で綴られたその文字。それは、リスィアが天地珠に奉げられたモノである事を示す。
こうして葬列に送られて『眠り』についたリスィアは、明日の夜明けと共に『目覚め』る。そして、今生の命がある限り、この世界の総て…ヒトだけでなく生ある総てのモノ…を護り、導いていくことになるのだ。
『天地珠の巫女』として。
（……天地珠の…巫女……）
きゅっと唇を噛んで、リスィアは静かに立ちあがった。
負うべきモノの重さを考えると、恐ろしくさえなってくる。
けれど。
（もう……）
後戻りはできない。
（…それに…それに、これは私が…望んだ事なのだから……！）
そうなのだ。リスィアは、自ら望んで、ヒトとしての生を天地珠に奉げたのだ。
勿論、反対したモノは、多かった。
『天地珠の巫女』になるという事が何を意味するか？ それが解らぬモノなど、この村にはいなかったから。
けれど。
もう、時間が無かった。

あの『滅びの日』以来。天地珠に仕えていたリスィア達の一族は、砕け散ったその破片を守りつつ、『魔』について調べ、『魔界』について調べてきた。いつか世界をヒトの手に…この世界のモノの手に…取り戻すべく、その知識を伝えて来た。
けれど。
『魔』について知れば知るほど、『魔界』についての理解が深まれば深まるほど、ヒトが世界を取り戻す事など不可能に思えて来て。
更に。
年月を重ねれば重ねるほど、ただでさえ残り少なかった、天地珠の破片に宿る力は、どんどん弱まっていった。

もう、時間が無かった。
今、未だ天地珠に僅かなりとも力が残されている今のうちに、最後の力を使って行動を起こすか、それとも、総てを諦めて滅びを…真の滅びを…受け入れるか。
それを決めなくてはならない時は、容赦無く迫っていたのだ。
けれども。
天地珠の力を使うには、誰かが『天地珠の巫女』とならねばならない。ヒトとしての生の総てを捧げて。しかし、そうやって総てを捨てて天地珠の巫女となったとしても、得られる力は微々たるものだろう。かつての天地珠の巫女達のような大いなる加護の力を得る事など、もう、とても望めない。
その事を、誰もが感じていた。
残り火のような破片の力で可能な事といえば、おそらく、運命を変える鍵となるモノを見つけ出す事くらいで。
それも、そんな力を持ったモノが居れば…の話だ。
果たして、今のこの世界に、運命を変えられる程に強い想いを持ったモノが、居るのだろうか？
もし、居なければ……。
ヒトの滅びが、避けられぬ運命だという事を、知る事になる。
最早、どんな希望も無いという事が、明白になってしまうのだ。
だが。
一片の可能性があるのなら、それに賭けてみたい。
このまま何もせず、ただ滅びるくらいなら。
そう思わぬモノもまた、この村には居なかった。

『天地珠の巫女』と、その起こす奇跡とを、誰もが望んでいたのだ。

この村に生まれたモノは、皆、『天地珠の巫女』の話を聞かされて育つ。

『………かつて、未だ世界がヒトのものであった頃、世界を支える柱である、偉大なる天地珠があった。
その頃は、天地珠に仕える多くの巫女と神官が居り、世界の総ての生き物達を守護する大いなる加護の力を持った“天地珠の巫女”が居た。
天地珠の巫女は、その力によって数多の預言をし、巫女達や神官達、そして、多くのヒトを導いた………』

誰もが皆、そう聞かされて育つのだ。
しかし。
未だ幼かったある日。
リスィアは、村で最も長い年月を生きている巫女に呼ばれ、こう語り聞かされた。

『いいかい、リスィア。よぉくお聞き』
年老いた巫女は、リスィアの頭に手を置いて、静かに言った。
『天地珠の巫女には預言の力があった…と、ヒトは皆、そう言うけれどもね、リスィア、それは嘘なのだよ』
目を丸くするリスィアに微笑み掛け、巫女は言葉を続けた。
『だけどね。古来より、天地珠の巫女達の預言が成就されてきたのは、本当だ』
わかるかい？ と巫女は言う。
『言葉は…誰が話そうとも、ヒトの言葉というのは、単なる音の連なりに過ぎない。それを真実とするかどうかは、想いの深さ…強さなのだよ』
天地珠の巫女達は、預言をしたのではない。己の信じる強い想いを語り、その想いに従ってヒトを導き、その結果、己の言葉を真実にしてきたのだ。
『天地珠が与え給う力は、かの水晶珠が世界を支えていた頃ですら、微々たるものだったのだよ。この事を、よぉく覚えておきなさい』
そう言うと、巫女はリスィアから手を放した。
『さぁ、お行き…』
促されて、けれど、リスィアはその場に立ち尽くしたまま、まじまじと巫女を見詰め続けた。
その様子に首を傾げ、巫女が問い掛ける。
『どうしたんだい？』
その瞳をじっと見たまま、リスィアは言った。
『あの…あのね。……あの……これは…ひみつなの？』
誰からも聞いた事のない話だから、だから、これは誰にも言ってはいけない事なのだろうか？ そう尋ねるリスィアを驚いたように見詰め返し、やがて、巫女は笑った。
『……リスィア。私はね……私は、この話を、この村の総てのモノに、一度づつしているのだよ』
だから、これは秘密などではない。誰もが一度は…一度だけは…聞いている話なのだ。
ゆっくりと、一言一言を区切るように、巫女は言った。
『けれどもね……これが秘密なのか…と尋ねたのは、リスィアや、お前だけだよ』

それから暫く後に、その巫女は、ヒトとしての生涯を終えたのであった。

祠の奥に設えられた祭壇に、ゆっくりとリスィアは近付いた。
そこに奉られている水晶の破片。
それが、遠い昔に砕け散った『天地珠』の破片だ。
リスィア達の一族が代々護ってきた天地珠の、これが、最後のひとかけらだ。
もう、微かな力しか残っていない。
まるで、滅び行くヒトのように。
けれど…と、リスィアは想う。
滅びを受け入れたくはない、と。
哀しむ事すら放棄して、緩やかに死に行くヒト。
徐々に変貌していく、世界。
それらを救いたい。
その為に、リスィアは天地珠の巫女となる事を望んだ。
自らの生の総てを捧げて。

願えば、叶うのだろうか？
強く、強く、願えば？
かつて、天地珠の巫女達は、その強い想いによってヒトを導き、そして、己の言葉を真実としてきたのだという。
それと同じように、自分にもできるだろうか？
運命を変える勇者を見つけ出す事が、できるのだろうか？
そのモノを導き、滅びの道を辿るヒトを救う事が？
ゆっくりと目を閉じて、息を吐く。
居る筈だ。
この世界のどこかに、運命を変える程の強い想いを抱くモノが。
「天地珠よ…かつて世界を支えし天地珠の、その破片よ……」
リスィアが祈る。
「…汝が巫女に、ただ一度の奇跡を……」
おそらくそれで、この天地珠の破片に残った力は、その総てが失われてしまうだろう。
それでも。
「どうか…総てのヒトの心を、ほんの一時だけでも、我が心と重ねさせ給え……」
ヒトを滅びの運命から救い出すほどに、強い想いを持つモノを、見つけられるように。
「…どうか…！」

瞬間。
リスィアの心が光に満たされた。
樹。
草。
大地。
鳥。
雲。
風。
獣。
魚。
魔。
…そして、ヒト。
ほんの、一瞬、世界の総てが感じられ……
指の間から水が流れ落ちていくような感触。
焼け付くように鮮明な色だけを残し、総てが幻のように消え失せる。

「……あ…」
ゆっくりと目を開き、リスィアは低く呟いた。
「…みつけた……」
居た。
ヒトが失いつつある『哀しみ』を、未だ、なくさずに居るモノ。
運命を、ただ受け入れるだけのものと、諦めていないモノ。
たった一人の、そのヒトが！
「……シーア……」
それが、ヒトを救うただ一つの希望。
彼女が導くべき勇者の名であった。

翌朝。
泉のほとりに建てられた祠の前に、再び、巫女と神官達が集った。
その前で、ゆっくりと祠の扉が開く。
そこに、銀の髪に銀灰色の瞳をもつ女性が立っていた。

「天地珠の巫女、クゥ・リスィアよ…」
かつて父であった神官が、かつて己の娘であったモノに、そう呼びかける。
それを見下ろし、そして、リスィアはゆっくりと一同を見回した。
母であった巫女、兄、姉、妹、弟、かつてヒトであったリスィアを見守り育て、共に歩んできたヒト達。
それは、これから先、彼女が導いていくべきモノ達だ。
不安気に見詰める一同に微笑みかけ、リスィアは静かに頷いた。
「勇者は、居た」
ざわっ…と空気が動く。
「我が導くべき勇者の名は、シーア」

そして、ヒトは動き始める。
天地珠の巫女に導かれて。
運命の流れを、変える為に……。