人里離れた森の奥、夜の帳に包まれた古びた館を、００９はじっと観察していた。
長らく放置されたままのようなその館には、明かりのひとつも灯っておらず、外壁には蔦が絡まり放題に絡まり、人が居るような気配などまるで感じられない。
漆黒の闇の中ただひそかに建っている、忘れ去られた館。
けれど。
００９の瞳は、館の周りに蠢く影をハッキリと捕らえていた。
黒い服。
黒いヘルメット。
光を反射しないようにつや消しを施された黒い銃を持ち、二人一組になって歩く者達。
それは、明らかに何らかの組織に属した兵士達であった。
微かな星明りしか無いにもかかわらず足元を気にする様子も無く、まるでそこが昼日中の野原であるかのように館の周囲を巡回している。
（暗視装置か、それとも……？）
さてさてどっちかな？ と楽しげに呟くと、００９は不意に動いた。

「……っ！」
背後から突然襲い掛かられて倒れる同僚に、隣の兵士が慌てて銃を構えようとする。
だが。
「っ……！」
そちらの兵士も、声を立てる間もなく絶命した。
一瞬で二人の兵士を片付けた００９は、二つの死体の襟首を引っ掴んで素早く茂みの影に引っ張り込む。
そして、片方の死体の腕を無造作に掴んでもぎ取った。
傷口から覗く機械と、そこから流れ出るオイルに混ざる人工血液。
それへ、００９はニヤリと嗤った。
「……あたり」
この兵士達は、サイボーグ兵だ。
そしてそれを作っているのは、勿論、Neo Block Ghost 以外にありえない。
「情報は……確かだったみたいだな」
教えてくれたヤツに感謝しないと、と呟いて……まぁ死人に感謝してもしょうがないかと肩を竦める。
「……さて」
ここまでの情報が確かだとすると、残りの情報にも信憑性がある。
ならば。
「このチャンスを有効に利用しないとね」
楽しげに呟くと、死体から服を剥ぎ取り手早く着替えて。
ヘルメットをかぶり、バイザーを下ろす。
そうすれば、無個性なサイボーグ兵のできあがりだ。
「……さて」
無造作に地を蹴り、００９は館への侵入を開始した。

館の地下には、広い会議室があった。
地上部分のさびれ具合からは想像できないような、最新ビルの一室であるかのような空間。
そこに、数十人の男達が集っていた。
正面の席に座るのは、総裁。
その向かい側の壁際に立ち、スクリーンに映した資料を指し示しながら説明をしているのは、白衣の男。
総裁とスクリーンとの間に設えられた席にぐるりと座っているのは、Neo Black Ghost の幹部達。
それは世界の支配を目論むモノ達の集会だった。

その会議室の扉が、不意に開かれた。
突然の事に、説明をしていた白衣の男が口を閉じ、全員が扉の方を見遣る。
そこに立っていたのは、一人のサイボーグ兵だった。
「……何事だっ」
怒気を孕んだ叫び声。
けれど、サイボーグ兵はそれに答えず……。
ふっとその姿が掻き消え、次の瞬間、総裁の隣に立っていた。
その手に握られた銃が、総裁の頭に突きつけられていて。
「……なっ…なんの真似だ！」
ヘルメットのバイザーに隠された瞳を睨んで総裁が低く叫ぶ。
けれど。
サイボーグ兵は、口元に微かな笑みを刻み。

銃声。

至近距離からの銃撃で頭の半分を吹き飛ばされ、総裁は絶命する。
一瞬の出来事。
銃撃の残響が収まると、室内が静寂に包まれた。
声も無く自分を見つめる幹部達をゆっくりと振り返り、サイボーグ兵はヘルメットを取って放り捨てた。
栗色の髪と茶の瞳があらわになる。
その姿に、誰かが低く驚きの声を漏らした。
「……００９……っ！」
引き攣ったような声音。
全員がはっとした。
息を呑み、そして、黒い Neo Black Ghost 兵の服装をした、そのサイボーグ兵をまじまじと見る。
それは確かに００９だった。
ということは、この会合のことが００ナンバー達にバレて襲撃を受けているということなのか？ と誰もが思う。けれど、それにしては周囲が静かすぎる。
何かがおかしい。
無意識のその認識が、幹部達の行動を封じていた。
固唾を呑んで自分を見ている一同を、００９が睥睨する。
そして。
嘲笑とともに００９は宣言した。
「今この瞬間から、俺が、Neo Black Ghost の総裁だ」
「なっ……！」
あまりの言葉に幹部達が色めき立つ。それを平然と眺めながら、００９は言葉を続けた。
「意見のある者は居るか」
冷たい問い。それへ、怒声が重なった。
「意見だとっ？ 貴様一体何のつも……っ」
机を叩いて立ち上がったその男の言葉は、しかし、途中で銃声に遮られた。
心臓に一発。
眉間に一発。
そして、男が倒れる。
だが、その場の者達の耳に聞こえた銃声は、一発だけ。
たった一瞬のうちに二発の弾が撃ち込まれた事は明白だった。
鮮やかすぎる程に鮮やかな腕前。
それを見せ付けられ、全員が瞬間的に理解する。
００９を撃とうとした者は、そのそぶりを見せた瞬間に撃たれる、と。
「他に？」
酷薄な声。
幹部達は互いに目を見交わしたが、しかし、誰も何も出来ずただ沈黙する。
暫しの間その有様を眺め回し、それから００９は傍らの椅子に視線を戻した。
そこには勿論、前任総裁の死体。流れ落ちた血が椅子と床とを濡らしている。
何の感情も浮かばない瞳でそれを一瞥すると、００９は無造作に椅子から死体を蹴り落とし、そしてそのまま血塗れの椅子に座った。
「……つづけろ」
低く命じる。
けれど、先刻まで報告をしていた白衣の男は、どうしたら良いのか判らない……というように周囲を見回して。
銃声。
幹部達がビクリと身を竦めて見遣れば、スクリーンの前に白衣の男が死体となって転がっていた。
「同じことを二度言わせるな」
銃を弄びながら、００９が吐き捨てるように言う。
「次」
壁際で順番を待っていた男が、慌ててスクリーンの前に進み出て、自分の報告を始める。
それを聞く００９の瞳に視線を向けられる者は居なかった。

総裁交代の一幕は、瞬く間に Neo Black Ghost 全軍に広まった。
当初は不平不満を唱える者も居たが、その者達はすぐ永遠に口を閉じることとなった。
新総裁００９は、組織の全拠点……軍事施設から研究施設にいたるまでの全て……と、Neo Black Ghost が関わる全ての戦場とを単身でくまなく訪れ、己に異を唱える者、己に従わない者を粛清していった。
総裁が歩けば、その後ろには死体が転がった。
逆らう者は殺され、阿諛追従する者も殺された。
幹部会議が終わった後の会議室は、常に血の匂いに満たされていて。
末端の一兵士から幹部に至るまで、Neo Black Ghost の全構成員が、新総裁００９の恐怖に震え上がった。
隷属か死か。
他の選択肢は無かった。
自らの意思を放棄し、００９に命ぜられるまま、Neo Black Ghost の者たちは昼も夜も無く働いた。いや、そうしない者はすべて殺された。生き残ったものが生き続ける為には、言われるがままに働くしか無かった。
戦争を煽り両軍に武器を売り捌き、双方が疲弊したところに介入して支配下に置き。あるいは燻る火種を探し回り、それを誘導して戦いを始めさせ。また、何も無いところには出向いて火をつけて歩く。
争いという火種を撒き、炎をコントロールする。
完璧に制御された死と破壊。それが、総裁の求めるものだった。
かつて戦争を道具として世界を支配しようとしていた Neo Black Ghost の者達は、今や、それに仕える奴隷だった。総裁の命じた時に、命じた場所へ、命じただけの死と破壊を撒き散らす為の、ただの道具と成り果てていた。
総裁は、己の命令が速やかに間違いなく行われるよう、自ら各拠点を訪れ、時には前線にまで赴き、徹底していった。その不機嫌な瞳が向けられた者に、後悔の時間が与えられることは無かった。
総裁に逆らえば、死。
総裁に従っても、ただひたすら戦場から戦場へと渡り歩く生の果てにあるのは、死。
Neo Black Ghost 構成員に与えられる唯一の特権は、自らに死を与える……今や死の代名詞、死そのものと言っても良い……総裁である００９の姿を目に出来ることと、そして、その手で直々に殺されるという選択が可能であること、それだけだった。

何かに追い立てられるかのように死に物狂いで働く Neo Black Ghost 構成員達のおかげで、戦火は瞬く間に世界中に広がった。
人々からは次々と選択肢が奪われていき、残されたのは、Neo Black Ghost が（その総裁である００９が）突き付ける、二つだけになっていった。
つまり。
戦って死ぬか、あるいは、戦いを拒否して死ぬか。
人々がどちらの選択肢を選ぼうとも Neo Black Ghost は確実に利益を上げ、それが次の戦火の燃料に変わっていった。

かくして００９は血染めの帝王の座に君臨した。
誰もがその足元にひれ伏し、死を受け入れる以外の選択肢を奪われていった。
ただ、００ナンバー達と、タイラントを除いて。
彼らだけが、三つ目の選択肢を選べる可能性を持っていた。