Ａｃｔ．１ 誰が為に戦う？ −タガタメニタタカウ？−
ゼムリャフランツァヨシファ島 Neo Black Ghost 基地
軽い電子音が敵の侵入を告げる。モニターに映し出された映像を見て、基地司令ディグは小さく笑った。
「やはり、来たな。飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ」
カチリとインターフォンのスイッチを入れる。
「００４はどうなった？」
『つい先程、催眠処理が完了しました』
「ほぉ、思ったより早かったな。もっとてこずるかと思ったが……。まぁいいだろう。エリア１０７Ｄに侵入者だ。００４と、残りの００ナンバーを向かわせろ」
『はっ』
それにしても馬鹿な奴だ、とディグは思った。逃げてしまえば良いものを、わざわざたった一人で敵地に乗り込んでくるとは。捕まりに来るようなものではないか。
（この、００９という奴、何を考えてるんだか……）
何にせよ自分には関係の無いことだ、とディグは思った。命令に従ってさえいれば、自身の身は安泰なのだ。
（本部が捕まえろって言うんだ、俺は言われた通りにするだけ。簡単に事が済めば、それにこしたことはない）
００９が暴れて基地に被害が出なければいいな、とディグは漠然と思った。
☆
（……本当に気付いていないのか、それとも……それとも、ワナか……？）
人のいない廊下を００９は壁づたいに奥へと進んでいた。
（とにかく、まず基地の動力源を破壊して、それから皆や博士を捜して、それから……）
考えただけで気が遠くなりそうな難事業であった。それを、たった一人でやらなければならないのだ。しかも、助けるべき仲間達は皆 Neo Block Ghost の操り人形にされているのである。
（それでも、やらなければ……）
その時。殺気を感じた００９はハッとして振り返った。
（ハ……ハインリヒ…！）
引金にかけた指が一瞬ためらう。それで十分だった。
バシッ……
あっと思ったときは既に遅かった。カラカラと硬い音を立てて銃が床に転がる。
「手を挙げろ。死にたくなかったらな」
「……００４……」
００９がため息のように言う。一番最後に捕らえれれた００４がまだ正気であることを切に望んでいたのだ。せめて二人ならば、まだ何とかしようもあるのではないかと思っていたのだ。
しかし。
（遅かった…か）
「手を挙げろ」
００４が重ねて言う。００９は唇を噛んだ。
（どうする……）
とはいえ、どうしようもなかった。
「さっさと手を挙げないか。さもないと撃つぞ、ジョー」
（！？）
００９がハッとして００４の目を見る。そして、ゆっくりと両手を挙げた。
☆
基地内の一角にある催眠処理室。
「やはり、未完成品では００９には効かん……か」
ディグは軽く舌打ちした。椅子に縛り付けられて、あちらこちらにコードをくっつけられ、肩で息をしている００９をいまいまし気に見る。そして、つかつかと００９に歩み寄ると顎を掴んで顔を上げさせた。
「まったく、手間のかかる奴だな、おまえは」
００９は何も言わない。ただ鋭い目でディグをにらみつける。
（やれやれ、これでは拷問でもするしかないかな……全く厄介な奴だ……）
内心でディグはため息をついた。
「……まぁ、おまえの処分は後のこととして、一つききたい事がある。痛い目を見たくなかったら、素直に言うことだな」
そこで言葉を切り、ディグは００９を見据えた。
「００１とギルモアは何処にいる？」
（！？）
頭を振ってディグの手を振り解き、すっと目を伏せる。そして、００９は口を開いた。
「他の皆から聞かなかったのか？」
「もちろん尋いたさ。催眠処理をして、な。だから嘘はつけない。しかし、奴らの言ったポイントにはいなかった。００３を誘拐して以来、おまえ以外に００１とギルモアに直接会った者はいない。と、すると……」
ディグの台詞に００９は内心安堵のため息をついていた。
（よかった。００１と博士は無事だ。ということは今頃は………）
「おいっ」
うつむいたまま黙っている００９にディグは声を荒げた。
（ったく、手間をかけさせやがるっ）
「００９、おまえに関しては『用が済んだら殺せ』と、本部から言われているんだ。強情張ってると、楽に死ねなくなるぞ。なぶり殺しにされたいか？」
「俺にどうしろ、と？」
「知れたこと。００１とギルモアの居場所を教えてもらおう」
００９が小さく肩をすくめた。
「残念ながら、他のメンバーが知っている以上の事は知らないね」
「嘘をつくな」
ディグが言う。
「眠っている００１と老いぼれ爺いの二人が、おまえ達の誰にも行き先を告げずに姿をくらます筈が無い。起きているときならいざ知らず、眠っている時の００１は只の赤子だ。おまえ達が居なくては、何かの時に対処しようが無い。だから、必ずおまえ達の誰かが行き先を知っている筈だ。そして、その『誰か』というのが００９、おまえだ」
「結構な推理だが……残念ながらハズレだな」
「よほど痛い目にあいたいらしいな」
（しゃぁないな……。ちょっとばかし痛い目にあわせてやるとするか……）
そして、ディグは部下を振り返って言った。
「こいつを下の部屋に連れて行け」
☆
両手を天井から太い鎖で吊るされ、両足を重い鎖で床につながれ、００９はぐったりとしていた。部屋の四隅には銃を持った兵士が立ち、００９の正面には電磁鞭を持った拷問係とディグが立っている。
ディグがつかつかと００９に歩み寄り、髪を掴んで顔を上げさせた。００９は目を閉じたまま、されるがままになっている。
「気絶した…か。……ふん。まったく、強情な奴だ」
ディグが吐き捨てるように言った。
「起こしますか？」
拷問係がディグに問う。ちょっと考え、そしてディグは首を振った。
「いや……。こいつに少し考えさせた方がいいだろう。目が覚める頃には頭も冷えて、まともに物が考えられるようになっているだろうからな」
００９の髪を掴んでいた手を放し、言葉を続ける。
「それに……催眠装置が完成すれば面倒なことをしなくても済むようになる」
そして、ディグと兵達は部屋を出て行った。
ディグと兵達が出て行って暫くたって、００４が部屋に入ってきた。素早く扉を閉め、００９に駆け寄る。
「おい、ジョー……大丈夫か……？」
と、気を失っていた筈の００９がすっと目を開いた。ニッと笑う。
「死んだふりをしてただけさ。大丈夫だよ」
「だが……」
手早く００９の鎖を解きながら００９の体をあちこち点検する。弾傷が数カ所。弾のかすった痕が十数カ所。おそらく鞭の所為と思われる裂傷が多数。
「……かなり派手にやられてないか…？」
心配気にそう言いながら支えようとする００４の手を、さりげなく払いのけて自力で立ち、００９は笑って見せた。
「派手に見えるだけさ。まぁ、ちょっとは痛いけど、たいしたことないよ」
「そうか？」
（……ジョーの奴…強がっちゃいるが、こりゃぁ結構傷は深いぞ。ま、だからと言って脱出を延ばす訳にはいかんがな）
内心で溜め息をつく。
「さぁハインリヒ、ぐずぐずしている暇はないぞ。早く行こう」
「ああ……」
そして、００９と００４はそっと部屋を出て行った。
催眠処理をされた他のメンバーの居る部屋へ向いながら、００４は今までの経過を手短かに００９に説明した。
「……と、いう訳で、奴等の催眠装置は不完全らしくてな、時間が経てば徐々に解けてくみたいなんだ。けど…、今んとこ正気なのは俺とジェロニモだけだ。残りの奴らはかなり深く催眠術にかかっちまってるらしくって……。だから、俺達３人で残りの５人を担いで逃げなきゃならん。俺がおまえさんを連れに行っている間にジェロニモが残りの連中を何とかしておいてくれてる筈だ」
「なんとか…って？」
「ま、麻酔銃で眠らせるってのが一番てっとりばやい解決策だろうな」
「なるほど。……意識の無い５人を連れて行くのか…。とすると、とにかく逃げの一手だね。基地の破壊なんかしてる暇は、なさそうだな」
「ああ」
「なにっ？ ００９がいないっ？」
００９の様子を見に行った部下からの報告を聞いてディグは叫んだ。
（あの鎖はたとえサイボーグでも引きちぎる事は出来ない筈……。と、いうことは……ちぃっ、００ナンバーのどいつかが、すぐに暗示が解けちまったのか。でもって、そのまま催眠にかかったふりをしてて……。小賢しい真似をっ！ どこまで手間をかけさせりゃぁ、気が済むんだっ！）
ここで００ナンバーを全員逃がしてしまったら、上層部から文句を言われること請け合いだ。万一、基地に被害でも出ようものなら後始末が一苦労である。
ディグは、バシッと叩き付けるように基地内放送のスイッチを入れた。大音量で叫ぶ。
「００ナンバーサイボーグが脱走した。直ちに捕らえよっ！ ただしっ、絶対に殺すな。どれだけ破壊してもかまわん。だが、決して殺すなっ！」
「バレちまったようだな」
基地内の飛行場の物陰に身を潜めた００９達にもディグの放送は聞こえていた。
「どうする？」
００４が辺りの様子を窺いながら００９に問う。
「うん……」
ぐるりと周囲を見回し、００９は少し離れた所に置いてある黒い小型艇を指さした。
「あれをいただこう。多分あれは幹部クラスの連中の脱出用だ。離れた所に置いてあるし、ほら、近くに小さな扉があるだろう？ あれがきっと指令室からの通路だ。攻撃用装備はなさそうだけど、スピードは出るよ。この場合、その方がいい。僕が…」
と言って、００９はその小型艇と反対方向の、戦闘機がごちゃごちゃと並んでいる方を指さした。
「…あっちに走って奴らの注意を引き付けるから、その間にみんなを小型艇の中に運び込んでくれ。それから、もしもの為に……」
声を潜め、００１と打ち合せたランデヴー地点を告げる。
「……いいね」
そう言うと、００４が止める間もあらばこそ、００９は飛び出して行ってしまった。
「む…無茶な奴だ……」
しかし、もう遅い。
００９が走って行った方では、たちまち大騒ぎが巻き起こった。００４達の隠れている辺りにいた兵士達が一斉にそちらへ走り出す。
「と…とにかく、今のうちだ。いくぜ、ジェロニモ！」
００５が頷く。そして、００４達は小型艇を目指し、そぉっと走りだした。
物陰から物陰へと走りながら奪った銃を時々乱射し、００９は次第に兵達を小型艇から引き離して行った。００４達が気を失っている仲間達を小型艇に運び込むのにかかる時間を見計らう。頃や良しと思ったところで、００９は今度は逆に小型艇に向かって進み始めた。しかし、その方角には００９を追ってきた兵士達が大勢いるので、なかなか思うように進めない。
一方小型艇のコクピットでは、００４がじりじりしながら００９が来るのを待っていた。
「あっ！」
不意に００４は叫んだ。
「シャッターが、閉まるっ！？」
飛行場の入口の下からゆっくりとシャッターがせり上がって来る。
操縦席のモニターにランプが点滅して、入電のあったことを知らせる。００５が通信機のスイッチを押した。
『幹部用の小型艇を乗っ取って、バレないとでも思ったのか？ もう逃げられん。観念するんだな』
ディグは一方的に言うと、通信を切った。
「…くっ…！」
００４が歯ぎしりする。今発進すればギリギリで出られるかもしれない。だが、そうすると００９は……。
『ジョー！ 聞こえるかっ？ シャッターを閉められた。もう…駄目だっ！』
脳波通信機で呼びかける。瞬間的に答えが帰ってきた。
『すぐに発進するんだっ！』
『な……なんだってっ！』
『まだ、シャッターは完全に閉まりきってない、今ならまだ出られるっ！』
『ちょっとまてっ！ そんなことをしたら、おまえは……！』
敵陣にただ一人取り残され……。自分達と００１の行き先を吐かせる為に、Neo Black Ghost はどんな手段でも敢えて辞さないだろう。先刻の００９の状態から考えても、すさまじい拷問が待っているのは間違い無い。そんなところに００９を一人残して行ける訳がない。だが。
『早くっ！ 間に合わなくなってしまう！』
『だ…だが……』
『たのむ、行ってくれ。君の気持ちは判る。だけど、今ここで、もう一度全員が捕まってしまったら、イワンや博士は……。たのむ、耐えてくれ、ハインリヒ！！』
００４は唇を噛んだ。自分達より恐ろしい運命が待っている筈の００９からそう言われては、もう、行くしかない。
閉りかけたシャッターをキッとにらみ据え、００４は小型艇のエンジンを全開にした。小型艇が弾かれたように急発進する。
（間に合えっ！）
機体を急反転させて、シャッターの隙間に強引に突っ込む。
間一髪。
小型艇の尾翼がシャッターを擦る。
が、とにもかくにも００４達を乗せた小型艇は基地外に脱出を果たした。
（ジョー……すぐに…すぐに助けに来るからなっ！）
そして、更に加速を強め、小型艇はドルフィン号とのランデヴー地点へと向かって行った。
☆
再び Neo Black Ghost の手に落ちた００９は、先刻逃げだしてきた部屋に連れ戻された。先刻００４が外してくれた鎖が再び両手両足につけられる。
「００９……」
押し殺した声でディグが言った。
「…もう一度だけおまえにチャンスをやろう。００１とギルモアの居場所、脱走した奴らの行き先を言え。そうすれば、痛い目にあわずにすむぞ。さぁ、言えっ！」
ディグをキッとにらみ据え、００９が答える。
「さあな」
一瞬、沈黙が周囲を覆った。
「後悔するぞ……」
ゆっくりと、ディグは拷問係を振り返った。
「やれ」
短く命ずる。
そしてディグは部屋を出て行った。
☆
数時間後。
扉を開けて、ディグが室内に入って来た。
「どうだ…？」
拷問係に問う。
「はぁ。それが……悲鳴一つあげないんで……」
男が半ば呆れたようにいう。
「ふん…」
そして、ディグは００９に近づいた。
００９は首を垂れてぐったりとしていた。数百ボルトの直流電流のショックで体中の筋肉が悲鳴をあげている。関節から力が抜け去り、体を動かすことが出来ない。目を閉じて浅く息を吸い、吐く。弾傷が痛んだ。
ディグが００９の髪をひっ掴んで強引に顔をあげさせる。
「００９、気分はどうだ？」
００９はゆっくりと目を開いた。鋭い瞳がディグを見据える。
「……まったく強情な奴だ。まだ苦しみ足りないのか？ いいかげん喋ったらどうだ？ そうしたら、楽にしてやるぞ」
００９はしかし答えない。ただ、ディグの目をにらみ据えるばかりである。
「助けが来るとでも思っているのか？ おまえを見捨てて逃げた奴らが……」
嘲るように言う。それへ００９が鋭く言い返した。
「違う！ ……僕が残ったんだ。自分の…意志で」
ディグが大仰にあざ笑った。
「仲間を助けるために、か？ ふん。馬鹿な奴だ。残ったらどうなるかも判らんかったのか？」
「判っていたさ。覚悟の上だっ」
強烈な意志を込めた瞳。一瞬ディグが言葉に詰まる。
（拷問されるのを承知の上で残ったって…？）
信じられなかった。思わず問う。
「何故だ？ 何故そこまでする……？」
「世界の平和のため、お前達 Neo Blach Ghost をぶっ潰すためだっ」
００９は間髪を入れず答えた。
「世界の……平和のため、だとっ？」
ディグが問い返す。
「そんなものが実現できると本当に思っているのか？ それに、Neo Black Ghost を潰して、それで誰に感謝されるというんだ？ 世界の人間の殆どは何も知らないんだぞ？ 馬鹿か？」
それとも『正気か？』と尋くべきかもしれない、とディグは思う。
「だから、だ！ ……何も知らない人々が、何も知らないままで済むように……地獄を見ずに済むように、そのために僕らが戦うんだっ！ ……おまえらの所為で、どれだけの何の罪もない人々が死んだと思ってるんだ？ ……僕は……僕たちは、それをこの目で見てきたんだぞっ！」
００９がキッとディグをにらみ据える。暫し、ディグは言葉が出なかった。二、三度口を開け閉めし、やっとなんとか声が出るようになる。
「……だ、だったら、好きにするがいい………」
そして００９の髪を掴んでいた手を放すと、拷問係の男に『手加減の必要は無いぞ』と早口で命じ、ディグは出て行った。
☆
そろそろ半日が経とうとしていた。相変わらず００９は屈しない。悲鳴一つあげず、ただひたすら黙している。
（世界の平和のため、だと？）
指令室の椅子に座ってディグはもう何十度目かになるため息をついた。
（そのために、戦う？ 何の報酬もなしで？ 命を賭けて？）
「気違い沙汰だ」
しかし、実際問題として００９は苦痛にさらされているのだ。紛れもない、現実の苦痛に。にもかかわらず００９は屈しない。
（本気……か…）
すごい奴だ、とディグは思った。そして考える。自分はどうであろうか、と。例えば、Neo Black Ghost の為に命を賭けられるか？ 苦痛に耐えられるか？
（出来る訳が無い！ 命惜しさに Neo Black Ghost に協力を申し出た、というのに……）
と、その時。
カタカタカタ……
不意に通信機が作動した。プリンターが電文を打ち出す。ディグは思考を中断し、プリントアウトに手を延ばした。
「なっ！」
思わず叫ぶ。
（バイスが……来る！？）
００４達の脱走と００９の様子を聞いた本部は、００９から情報を聞き出す任務をバイスに与えた。明日の朝までにはバイスが着くだろうから、００９を引き渡せ、というのである。
（バイス……）
組織内でも悪名高い拷問屋。バイスの手にかかった者は、一人残らず死んでいる。普通に殺されたのではない。拷問の果ての衰弱死である。苦痛のあまり発狂した者も、一人や二人ではない。意志の弱いものならば三時間足らずで、いかに強情な者でも二日もすれば、洗いざらい喋らされるか発狂させられる。
（あいつの手にかかったら……もう、おしまいだな……）
眉根を寄せて、唇を噛む。
（……ちょっとした手違いで００９を逃がしても、俺は少々の叱責と降格程度で済む。だが、００９は……）
全身をズタズタにされ虚ろな瞳で喋る００９を、苦痛のあまり発狂する００９を想像する。見たくない、とディグは思った。
（バイスの到着まで、あと４時間強……か）
拷問のセオリーとして、数時間毎に若干の『間』がとられる。考える時間を与えるためと、責め殺してしまわないように、休ませてある程度体力を回復させるためである。その間、００９は一人部屋に残されることになる。
ディグは時計を見遣った。
（次に『間』をとるのは、約一時間後……）
そして、ディグは小さく頷いた。
☆
拷問と拷問の間に取られる『間』の時間。薄暗い部屋に一人残され、００９は小さくあえいでいた。
カチャ……
部屋の扉を開けて、ディグが中に入って来る。
「……００９……」
やや声をひそめ、ディグが呼びかける。００９は答えない。ディグは足早に００９に近付いた。
「……おい、００９。おまえ……基地には手を出さないと約束するか？」
（？？？）
突然の台詞に００９は思わず顔を上げた。いぶかしげな瞳でディグを見る。
「基地には手を出さないと約束するなら……逃がしてやる」
「なっ？」
「どうだ？」
００９はまじまじとディグを見た。いたって真面目な表情。自分をからかっている訳ではないらしい。
「……どういう風の吹きまわしだ？」
ディグはチラリと時計を見た。バイスの到着予定時間まで、あと二時間弱。
「あと二時間程すると、ここにとんでもない奴が来る。Neo Black Ghost 随一の拷問屋と言われてる奴だ。本部からの命令で、おまえはそいつに引き渡される。要するに、事実上の死刑だ」
「事実上の…死刑？」
「そうだ、そいつに…バイスに引き渡されて生き残った者はいない。最初っから殺すつもりで拷問するんだ。助かる訳が無い。だから……その前に、おまえを逃がしてやる。ただし、この基地に手を出さず、ただ、逃げるだけと約束するならば」
００９は即座に頷いた。とにかく、逃げられるにこしたことは無い。
「それは…約束する。……だが、なぜだ？ なぜ俺を助けようとする？ そんなことをしたら、おまえは……」
ディグが００９のいましめを解きながら早口で答える。
「故意に逃がしたことさえバレなければ、俺は降格処分程度で済む。……俺が Neo Black Ghost になびいたのは、死にたくなかったからだ。信念の為でも自分の欲望の為でもない。ただ、逆って殺されるのが嫌だったから、ただそれだけだ。だから、降格処分をくらったところで、痛くも痒くもない。だが、おまえは……。バイスの手に落ちたら、死ぬしかないんだ。それも、ただの死に方じゃない。拷問の果ての衰弱死か、発狂死。……いくらなんでもひどすぎる……」
００９を縛っていた鎖がチャラ…と床に落ちる。
「さ、これでいい……」
そして、ディグは懐から銃を出した。
「持ってけ」
００９は黙って受け取った。
「……ありがとう………」
「くれぐれも、基地を壊してくれるなよ」
「ああ」
そして、００９は身を翻すと部屋を飛び出した。
☆
００９を逃がした後、誰にも見つからず、首尾よく指令室に戻ってきたディグは、扉を開けたところで硬直した。目の前にズラリと銃口が並んでいる。
「……バイス………」
銃を突きつける兵士達の向こうに、バイスがいた。
「これは……何のまねだ………？」
つとめて平静を装おうとするが、声が震える。
「なかなか、面白い話をありがとう」
バイスがニッと笑う。
「なっ？」
「『あと二時間程すると、ここにとんでもない奴が来る』『基地には手を出さないと約束すれば、逃がしてやる』『故意に逃がしたことさえバレなければ、俺は降格処分程度ですむ』ねぇ」
ディグは息を飲んだ。
「な……なぜ……」
バイスがつかつかとディグに歩み寄る。そして、ディグの上着の二番目のボタンを引きちぎると、足元に落とし靴のかかとで踏みつけた。硬い音。バイスが足をどかす。壊れたボタンの中から、複雑な回路がのぞいていた。
「それは……」
「盗聴機、だ」
ディグが愕然とする。
「裏切り者を縛り上げろ」
バイスが命ずる。さっと兵士達が動き、ディグは一瞬にしてとらわれの身となった。椅子に座らせられ、後ろ手に手錠をかけられる。
「さて……とりあえず、００９をここに来させるか」
バイスが呟く。
「ここに来させるって……捕まえたのか？」
思わず、ディグが問う。
「奴がそう簡単に捕まる訳がなかろう？ ……フフフ…奴をここに来させるんだ。その為に、おまえを先に捕まえたんだ」
そう言うとバイスは全館放送のスイッチを入れた。
「００９、聞こえているな？ 俺は、バイスだ。ディグは捕えた。ディグの命が惜しかったら、３分以内に指令室まで来い」
「なっ！？」
ディグは絶句した。バイスが振り返ってニッと笑う。
「００９が来るように祈るんだな。奴が来なければ、おまえに用はない」
「く…来るわけがないだろうっ？」
ディグは叫んだ。何処の世界に、敵を助けるためにノコノコ捕まりに来る奴がいると言うのだ。
「どうかな……」
もう一度マイクの方を向き直る。
「００９、芝居だと思っているのか？ ………いいだろう、芝居でない証拠を聞かせてやる」
そして、マイクをディグの方に向けると傍らに立つ部下に合図した。部下が頷き、腰にさしていた電磁鞭を手に取る。パラリ…と鞭を解き、スイッチを入れると、いきなりディグを打った。
「ぐあぁぁっ…！」
絶叫。
目の前にスパークが飛び散る。ディグはあえいだ。全身の筋肉から力が抜け去り、しびれるような痛みが全身を駆け巡る。
「どうだ？ ディグ、電磁鞭の味は」
「！？」
満足に舌を動かすこともできない。
「出力は最小だ。しばらくすれば喋れるようになる」
そう言うとバイスは再びマイクの方に向き直った。
「いまのは、ディグの悲鳴だぞ。どうする？ ００９。おまえが来なければ、今度はディグを殺すぞ？ いいのか？ ……早く来い」
来る訳がない、とディグは思った。来ればどうなるか判らぬ筈はない。それに、自分は００９の仲間ではない。
それにしても、最小出力でさえこれだけ痛いのだ。００９は、さぞ苦しかったことだろう、とディグは思った。
「あと、１５秒……」
バイスが銃を抜き、ピタリとディグを狙う。
「１０秒……９秒……」
これで終わりか、とディグが観念したその時。シャッ……と軽い音をたてて、指令室の扉が開いた。全員が一斉にそちらを見る。
「ゼ……００９」
信じられない、というようにディグが呟いた。
「来たな」
バイスがニッと笑う。
「ディグを放せ」
００９が低く言う。
「その前に、銃を捨てろ。足元に落として、こっちへ蹴れ」
００９が黙って言われた通りにする。
「いいだろう。だが……おまえが来たからには、もうこいつは用無しだ。この場で処刑してくれるわ」
ついっと銃口をディグに向け、無造作に引金を引く。
銃声。
「！！」
しかし、撃たれたのはディグではなかった。
「なっ……００９！？」
ディグが叫ぶ。バイスの撃った弾を左肩に受け、僅かによろめきながら、００９はなおもディグをかばうようにバイスの前に立ちふさがった。
「僕は、来た。ディグを殺すな」
ディグは唖然と００９の背中を見上げた。この男は、つい先刻まで敵であった自分を助けるために、ここまでするのか。仲間であった筈の Neo Black Ghost からさえ信用されず、盗聴機をつけられていたというのに。
そこへ、不意に兵士が飛び込んで来た。
「バイス様っ！」
「どうした」
兵士がバイスに近付いて、なにやら耳打ちする。
「そうか……」
小さく頷くと、バイスは口を開いた。
「即座に引き上げ準備を始めさせろ。それと……」
００９とディグをいまいましげに見る。
「…こいつらは、とりあえず基地に連れて行く。眠らせて、運べ」
「はっ」
兵士達がバイスの指示を果たすべく動き出す。
「ディグ、おまえの処分は、後だ。お祈りでもしておくんだな。それと……００９、覚悟しておけよ……」
そして、ディグと００９は麻酔銃を打ち込まれた。