Ａｃｔ．４ 『嘘(lie)』と名乗る男 −『イツワリ』トナノルオトコ−
ウラル山中 Neo Black Ghostの研究所
「なにっ？ ライが？」
「は。００９と話をしてみたいから、つれて来るように…と」
クライムは小さく舌打ちした。
本部の位置を隠す為、直接本部に行くことは禁じられていた。直接本部に行こうにも、そもそも場所を知らないのだ。行けよう筈が無い。本部に行く場合には、いったん本部から指定された基地もしくは研究所に行き、そこで本部から座標が暗号通信で送られて来るのを待たなくてはならない。送られてきた座標データはコンピュータが解読し、更にコンピュータによるオートパイロットで基地に向かうのである。つまり、自分で機を操縦して本部に行った者はいないのだ。
クライムがライの研究所に着いたのは、つい一時間程前。どんなに早くとも、あと二時間はここに居なくてはならない。００９に会いたい、というライの要求をつっぱねることのできる正当な理由は無かった。しかも、ライは（クライムを含む多くの下っ端幹部には判らない様々な裏の事情で本部の外に出され、こんな辺境の研究所の所長に任じられているとは言うものの）Neo Black Ghost 設立当初からいる上級幹部であり、また、総裁の正体を知る（と言われている）数少ない者達の一人でもあるのだ。逆らうのは得策ではなかった。
しかし。クライムは、ライが嫌いであった。どうにも信用がならない。表向き何の問題も起こしてはいないが、裏では組織の不利益になるような事をしているのではないか、と思えてならなかったのだ。だから、最高幹部会議の決定によって、ライが本部から追い出されているのは、非常に賢明な処置である、と常々思っていた。だが。何はともあれ、ライに逆らうのは得策ではない。そこで、クライムは不承不精、部下に命じた。
「仕方無い、厳重に縛り上げて連れて行け。そして、ライが何と言おうと、二時間したら、必ず、００９を連れて戻って来い。いいな。絶対に、おまえ達自身が、連れて戻って来るんだぞ」
☆
ライの執務室に、クライムの部下が００９を連れてきた。後ろ手に縛り上げ、首筋に銃を突きつけ、５人がかりで取り囲んで。
「ライ博士、００９を引っ立てて参りました」
「…ご苦労……。話が終わったらそちらに連れて行くから、クライムにそう伝えてくれ」
「いえっ！ 二時間以内に、必ず、我々の手で、連れて戻って来るようにという厳命を受けておりますので……」
断固とした反論に、ライが小さく息を吐いた。
「……判った。では、話が終ったら呼ぼう。それまで、休んでいてくれたまえ」
「し、しかしっ……危険ですっ！」
「何が、だ？ ここで暴れてみたところでどうしようもない事くらい、彼にも判っているだろう。それに…私にも、護衛の部下ぐらい、いる」
言い切るライに、クライムの部下は返す言葉に詰まった。その隙にライがインターフォンのスイッチを押す。
「チアフル。クライム殿の部下、五名がおいでだ。休憩室にお通しするから、軽い食事と飲み物を差し上げろ」
『はいなっ！』
あっかるい返事が返って来る。
「外にいる部下が案内する。たいした物はないが、くつろいでいてくれたまえ」
顔を見合わせ、小さく肩をすくめる。これ以上ライに逆らうには、身分が違いすぎる。クライムの部下一同はしぶしぶと引き下がった。
「では……、二時間以内に必ず………」
一礼して部屋を出る。それと入れ替わりに、浅黒い肌の男が入ってきた。扉をロックし、入口の脇に立つ。
「さてと……」
ライは改めて００９を見た。眉をひそめる。
「かなり、疲れてるな。まぁ、無理もない…か。……アイラニ、手錠を解いてやってくれ」
「はい」
アイラニがすっと扉の側を離れ、００９に近付くといましめを解いた。
「ここじゃぁ、なんだな……向こうの部屋に行こう」
ライはそう言うと、くるりと００９に背を向け、奥の扉へと足を向けた。００９は、いぶかしげな瞳をして立っている。アイラニはその脇に立つと、軽く礼をし、左手をあげ、すっと扉を示した。
「どうぞ……」
００９が戸惑いつつも、足を踏み出す。その三歩後ろに、アイラニが続き、部屋にはいると静かに扉を閉めた。
そこは、応接室のようであった。なかなかに上品なソファ。壁には湖を描いた版画の額と、少しばかりアンティックな時計。奥にある重厚な棚には洋酒の瓶がズラリと並んでいる。サイドテーブルの上には、しゃれた硝子細工の置物。部屋の隅にしつらえられたコンソールさえ無ければ、とても Neo Black Ghost の研究所内とは思えない。
「まぁ、座れ。何か飲むか？」
００９は答えない。その様子をちょっと見つめ、ライは一人言葉を続けた。
「……あぁ…食べるものの方が、いいだろうな。……アイラニ、チアフルに、熱いボルシチとトーストを持って来るように言ってくれ。それと……」
少々思案。そして、言葉を続ける。
「……ロイヤルミルクティーを、一人分。俺にはコーヒーを」
「はい」
アイラニが壁のインターフォンを取る。それを確認して、ライは００９を見上げた。
「……まぁ…とにかく、座れ」
暫しの沈黙。そして。００９は、ゆっくりとライの向い側に座った。
「とりあえずは、はじめまして、だな、００９。俺は…まぁ察しはついているだろうが…この研究所の所長であり 一応組織の上級幹部の一人という事になっている、ライという者だ。で……」
インターフォンのスイッチを切ってライ達の隣に座ったアイラニをチラリと見る。
「ライ博士の副官、アイラニと申します」
００９は答えない。ただ黙って二人を見ているばかりである。
暫し、沈黙が室内を覆った。
ライが、僅かに左目を細め、じっと００９の目を見据える。
そのアイスブルーの瞳を、００９が真正面からキッと見返す。
誰も何も言わない。
沈黙が、十数秒続いた。
その沈黙を破ったのは、ライであった。
「…流石だな………」
ライが苦笑する。
「やはり、駄目ですか？」
アイラニが問う。ライが頷いた。
「？」
不審げな表情を浮かべる００９に、ふっとライが笑いかけた。
「すまなかった。……この際だ、時間もないことだし、この部屋には盗聴機の類もないから、ざっくばらんにいこう。俺は、テレパシストなんだ。ただ、組織にはこのことを隠している。実験材料にされたくないし……テレパスだとバレると、色々と動きにくいからな。で、おまえの思考を読もうとしたんだが…読めなかった、という訳だ」
「テレパス……」
さすがに驚いたのか、００９がまじまじとライを見る。
「それにしても、おまえの事は、噂には聞いていたし、数少ない資料には一応目を通してはいたが……」
ライが感心した風にため息をつく。
「……確かに、たいした奴だな、おまえは」
「？？」
「自分の立場は、判ってるだろう？ …… Neo Black Ghost の捕虜だ。しかも、おまえは Neo Black Ghost の何たるかを知っている。これからどうなるかも、想像はついてる筈だ。普通ならば、これ程、心を読み易い相手はない。何せ、恐怖に乱れた心というのは無防備も同然だからな。だが」
ひょいっと肩をすくめ、ライは言葉を続けた。
「だが、おまえの心に恐怖はない。いや、あるのかもしれん。だが俺には判らん。こんなに強固なブロックに会ったのは初めてだ。噂通り…いや、それ以上の奴だな、おまえは……」
そこへ、電子音が響いた。すっとアイラニが立ち上がり、扉を開ける。そして、料理の盛られた盆を受け取ると、再び扉を閉め、ソファの方へ戻ってきた。
「口にあうかどうか判らんが、まぁ食べてみてくれ。少なくともまずくは、ない筈だ。……毒物の心配ならば、無用だぞ。何なら、俺が毒味をしようか？」
そして、ライはボルシチの皿に手を延ばした。
「何故だ…？」
００９がライの目を見、低く言った。
「？？？」
「何故、こんな事をする？ 俺は… Neo Black Ghost の敵だぞ」
ライは苦笑した。
「……まぁ、一言で言うと、おまえが Neo Black Ghost の敵だから、だな」
「？？？」
「要するに、俺は…というか、俺とこの基地の科学者連中の一部は、 Neo Black Ghost の敵なんだ」
「なっ……？」
００９が目を丸くする。
「信じられん、か？ でもな、おまえ達だって、元は Black Ghost の人間だった訳だろう？ 好きでなったのかどうかは別として。ギルモア博士だって、そうだろう？ Black Ghost にそういう勢力があったんだ、Neo Black Ghost にだって、そういう者がいたって、何の不思議も無かろう？」
００９は半信半疑でライを見つめている。
「まぁ、すぐに信じろってのは無理な話だし、 Neo Black Ghost の敵だと言うのなら、何で上級幹部なんかやってるんだ、とも思うだろう。……だが、００９。考えてもみろ。俺達は普通の、ごく普通の人間だ。おまえ達とは違う。…あぁ、別にサイボーグが人間じゃないと言っている訳じゃないぞ。それを言うなら、俺だってテレパシストだ。普通の人間では、ない。しかし。しかし、だ。少なくとも戦闘能力においては、俺達とおまえ達との間には、大きな隔りがある。おまえ達には、Blach Ghost の強大な戦力を相手取って戦っても、勝てるだけの物理的な力があった。だが、俺達は皆、科学者だ。人数も少ない。武器を取って戦ったら、ものの数分で全滅だ。だから、こうやって猫をかぶって、少しづつ仲間を増やしながら、気長にチャンスを窺っている訳だ。何せ、そういう事のためには俺の能力は役立つからな。誰が組織に反感を持っているか、誰が俺を不審に思っているか、全部お見通しなんだからな」
そして、ライはニッと笑った。
食事を済ませ、ライはコーヒーを、００９はロイヤルミルクティーを、飲みながら話をしていた。アイラニは、いない。ライに何事か命じられ、部屋を出て行ったのである。
コーヒーを一口飲んで、ライは言葉を継いだ。
「……問題は、あと一時間弱でおまえをクライムの所へ帰さなけりゃならない、という事なんだ。下手すると、おまえを帰らせた直後に本部から連絡が入って、クライム達がこの研究所を発つ…ってことになりかねん。そうすると当然、おまえも連れて行かれる。そうなってしまえば助けることは不可能だ。かといって、このままおまえを帰さなけりゃ、たちまちクライムの部下がここに乱入して来るだろう。なにせ、クライムの奴は、俺が組織にとって危険な人物なのではないかと、まぁ実際そうな訳だが、思ってるんだ。怪しいとなったら、喜々として武力に訴えるだろう。武力に訴えられたら、勝ち目はない。そもそも研究員である俺達には、武器の所有が認められていないんだから……」
ライが眉根を寄せる。そこへ、アイラニが戻ってきた。
「ライ様……」
「ああ、首尾は？」
アイラニが難しい顔をする。
「どんなに早くとも、二日はかかります。それまでには、まず間違いなく、本部から連絡が入ってますよ」
「そうか……」
はぁ、とため息をつく。
「……かねてから、研究所乗っ取りの準備をしてはいたんだ」
いぶかしげな００９にライ説明する。
「だが、それをやるのはまだ数年先だと思ってたからな。今、いきなりやれ…と言われて出来るものじゃない。外部からの攻撃でも受けて、パニック状態にでもなれば、まだ何とかしようも……」
不意にライは黙った。
「………ライ様…？」
アイラニが心配気に声を掛ける。しかし、ライは答えない。
そして。
不意にライは顔を上げた。
「００９、他の００ナンバーは、今、何処にいる……？」
「え？」
突然のライの言葉に００９は目を丸くした。
「…あ……えっと……」
自分で尋いておいてライは、答えようと口を開いた００９を手を挙げて制した。早口で言う。
「いや、言うな。そういう重要なことを軽々しく喋ちゃいかん。俺が本当に味方かどうかも判らんのに……」
うつむいて一心に考えを巡らす。
数分の後、再びライは口を開いた。
「イエスかノーかでいい。二つだけ答えてくれ。……００１は、今、起きているか？」
「……イエス」
「そうか……。この研究所は、ウラル山中にある。この近く……そうだな、ソビエト領内に００１が居る可能性はあるか？」
（……ここは、ウラル山中なのか……。みんなは確か、ゼムリャフランツァヨシファ島に移る…とか言っていたよな……）
だとしたら、意外と近いところに居ることになる。
「…イエス」
「そうか………」
ライが、キッと唇を噛む。そして、顔を上げた。
「………アイラニ。二分間だけでいい、ここの対ＥＳＰシールドを切らせろ」
「ラ…ライ様……？」
「長時間ではまずいが、二分くらいならば気付かれんで済むだろう。万一バレた時は機械の故障とか何とか適当に言い繕うよう、カティサックに言っておけばいい。やれ。早くっ！」
「は……は、はいっ」
アイラニがあたふたと部屋を出て行く。
「？？？」
００９は目を丸くしたままアイラニを見送った。一体、ライは何をしようと言うのか。
「００１に直接、連絡をとる」
ライが低く言った。
「？？？」
「外部からの攻撃を受ければ、研究所内の戦闘員達はそちらに気を取られるだろう。その隙にコントロールルームを乗っ取る」
「えぇっ！？」
仰天する００９を放っておいて、ライは言葉を続けた。
「問題は、００ナンバーがここに来るのにどれくらいかかるか、だ。それと……果して俺が、二分以内に００１と連絡を取ることが出来るか、だな」
「れ…連絡をとるって……まさか…？」
「そう、テレパシーで、だ。００１が相手だ、これが一番てっとり早かろう。それに、傍受される心配もない」
ＰｉＰｉ…ＰｉＰｉ……
インターフォンの呼び出し音がなる。ライが立ち上がって受話器を取った。
『アイラニです。一分後に……』
「判った」
短いやり取り。そして、ライが受話器を置き、ソファに戻る。
「しばらく静かにしててくれ」
そう言うと、ライは目を閉じた。
☆
ゼムリャフランツァヨシファ島。元ディグの基地。
「ダレカ ガ ボク ヲ ヨンデイル……」
不意に００１が言った。
「えっ？」
その場にいる一同が、一斉に００１に注目する。
ついっと００１の揺篭が空中に浮かび上がった。
「ボク ヲ ヨブ ノハ ダレダ…？」
＜…０…１……０…０１……００１！！＞
「ダレダ？」
＜あ……き、聞こえているのかっ？＞
「キコエテ イルトモ……キミ ハ ダレダ？」
＜……俺は、ライ。Neo Black Ghost幹部の一人だ……００１、時間が無いんだ……あと一分くらいしかない……。俺の心を解放する。悪いが、そっちから読んでくれ。俺には、コンタクトを保つのが精一杯なんだ………＞
「ワカッタ…」
００１が思念の触手を伸ばし、ライと同調する。
僅か数十秒で００１は事情を理解した。
＜もう…時間が無い……いいか？ ００１……＞
「アア、イイトモ……」
＜どのくらい、かかる……？＞
「……ハヤクテモ…二ジカン ハ カカル……」
＜そうか…間に合わないかも……しれないな……………＞
不意にライの思念波がぷつりと途切れた。対ＥＳＰシールドが作動を再開したのだろう。
（ナントカ…シナクッチャ……）
００１が呟く。
そして、事情を説明すべく００１は仲間達全員を集めた。
☆
はぁっと深い息をついて、ライは目を開いた。
「何とか……連絡がついた……」
「イワンは、何と？」
００９が尋ねる。
「早くて、二時間だそうだ……その間に本部から連絡が入らんことを天に祈るばかりだな」
再びため息。
そこへ、アイラニが入ってきた。
「ライ様……あと七分ほどで、約束の二時間になりますが…」
どうしましょうか、という風にライを見る。
ライが、三度ため息をつく。
「……００９…。悪いが、クライムの下へ戻ってもらう。今、おまえを帰さないと……」
「判ってる」
ライの台詞を００９が遮った。
「食事もさせて貰ったし、十分に休んだし、それに…助かる算段もたったんだ。あと二時間や三時間、平気だよ」
ふっと笑ってみせる。
「……だが、００１達がここへやって来る前に、本部から連絡が入ったら……」
「その時はその時さ」
肩をすくめ、アイラニの方を見る。
「…元通りに縛るんだろう？」
「はい…済みませんが、そのように……」
「向こうの部屋、だな」
「はい…」
アイラニが扉を開ける。
そして、００９とアイラニは執務室の方に戻って行った。
その後ろ姿に、ライが呟く。
（……嫌な予感がする…。出来るならば、このまま００９をここに置いておきたいのだが……）
そんなことをすれば日頃から怪しいと思われている一部の科学者（即ちライの数少ない仲間達）が、たちまちクライムに殺されてしまうだろう。そうなってしまっては、今までおとなしくしていた意味が無くなってしまうし、００１達による外部からの攻撃に乗じての研究所乗っ取りも、不可能になってしまうのだ。
（無理矢理ここに連れてこられた連中を、死なせる訳には……いかんのだ）
しかし、とライは思った。
（嫌な予感がする……。くそ…俺には予知能力なんて、無い筈だぞ…！）
どうかとりこし苦労であってくれ、とライは切に願った。
だが、不幸なことに、ライのこの予感は的中することになる。
☆
「ライ様っ！」
アイラニがライの執務室に飛び込んで来た。
「通信が入った…か……」
ライが舌打ちする。００１の言った二時間までは、まだ二十分以上ある。
（通信が入ってから、コンピュータが暗号の解読を終えるまで、約十分。発進準備に、約五分……）
ほんの数分の差ではあるが、間に合わない。しかも、クライム達が乗るのは幹部用の超高速機である。五分もあれば、この研究所のレーダーの限界外、遥か彼方まで行ってしまう。
（どうする……？）
何とかしなくては、００９は本部送りになってしまう。そして、本部には……。
（……クワイト…！ あいつにだけはっ……！）
クライムが００９を捕らえた経緯は不明だが、意図は明らかだ。ようするに、００９から００ナンバーの情報を得、しかる後に殺してしまおうというのだろう。だが、そうそう簡単に言うなりになる００９では無かろう。たとえ誰がやろうとも、てこずるに違いない。となれば、いずれ総裁が幹部会議で、誰か００９の口を割らせられる者はいないのか、と言うに違いない。そうすると。
（……クワイトの性癖から考えて、おそらく、自分に…と言い出すだろうな）
冗談ではない、とライは思った。
しかし、流石のライもまさか事の最初から総てがクワイトによって仕組まれていたとは、思いも付かなかった。
（あの気違いの手にかかったら、今度こそ、間違いなく、屈服させられる……）
クワイトは、総裁ですらひそかに恐れている、狂人なのである。残忍で、気まぐれで、おそろしく頭の切れる男なのだ。クワイトに比べれば、バイスなど可愛いものである。
ライはふと、何故クワイトが『狂人』になったのかを思い、顔をしかめた。だが、今は、そんな感傷に浸っている場合ではない。
（……どうする…？）
とにかく、時間が無いのだ。
「アイラニ……格納庫へ行け」
「え？」
「五人分の武器は手に入ったのだろう？ それを持って、今、いなくても怪しまれない者を五人連れて、離着陸口へ行け。そして、小型艇のエンジンを破壊して、発進不能にするんだ」
「し…しかし……」
そうそう簡単に出来ることではない。戸惑うアイラニに、ライはニッと笑ってみせた。
「俺が、はったりをかける」
「は？」
「どうせ、００１達がここに来るんだ。すこぉしばかり早く、来た、といってもよかろう？」
「？？？」
「いいから、行け。早く」
「は、はいっ」
そして、アイラニはライの執務室を飛び出した。
「さぁて、と」
執務室の扉に、内側からしっかりと鍵をかけ、ライはコンソールの前に座った。懐から小さなキーを取り出し、左上の鍵穴に差し込む。
カチリ……
小さな音とともに、鍵穴の隣にあった蓋が開いた。中には、赤いボタン。万が一、コントロールルームが占拠された場合にその全機能をこのライの執務室に移す、エマージェンシー・ボタンである。もっとも、これを悪用して（ライのような）内部の裏切り者が研究所を乗っ取るのを避けるために、コントロールルーム側には、このエマージェンシー・モードを解除する機能が設けられている。したがって、仮に今ここでライが一時的にこの研究所を乗っ取ってみたところで、二十分後には取り返されてしまうのだ。だから、ライは今までこの手を使おうとはしなかったのである。
だが。今は、状況が違っていた。二十分後になれば、援軍、即ち００１達がやってくる。しかし、十五分以内に手を打たなければ、００９は連れて行かれてしまうのだ。
意を決し、ライはエマージェンシー・ボタンを押した。
けたたましい警報が、研究所内に響きわたった。続いて、全館放送。
『緊急事態発生！ 緊急事態発生！ コントロールルームが何者かに乗っ取られた！ 敵は００ナンバーサイボーグと思われる！ 全研究員は、直ちに退避せよ。くり返す。全研究員は、直ちに退避せよっ！ 我々は、この基地を放棄するっ！ 戦闘員は、各小隊長の指示に従う事！ 以上！』
たちまち、大騒ぎが巻き起こる。
泡をくった白衣の研究員達が、我先にと緊急脱出口へ殺到する。戦闘員達は慌てて銃を取り、各々の小隊長の下へ走る。
困ったのは、小隊長達だった。エマージェンシー・モードの存在を知らない小隊長達は、必死でコントロールルームに連絡を取ろうとする。しかし、当然の事ながら（エマージェンシー・ボタンが押されると、コントロールルームは外部から隔絶されるため、当然、内線がつながらなくなるので）何の返答もない。そこで、小隊長達は考える。これは、本当に乗っ取られてしまったに違いない。そして、思い出す。研究所長のライが『この基地を放棄する』と言ったことを。どうするべきか。答えはすぐにでた。『逃げる』だ。考えるのと同時に行動を起こす。
戦闘員が常駐していようとも、所詮は『研究所』である。戦闘員の質は悪い。その上、彼らに指示を出すべき小隊長が、真っ先に逃げだしたのだ。あとはどうなるか。想像は容易だ。
あちこちでパニックが起こった。
☆
「ライめ。ついに、尻尾を出しやがったなっ…！」
コンピュータが発進準備を進めている小型艇のコクピットで、クライムは呟いた。
「……００９を連れて来い…と俺に命じたのがクワイトでなかったら、本部に行くのを遅らせてでも、俺がこの手で貴様の息の根を止めてやったものをっ！」
だが、自分にこの任務を命じたのは、クワイトなのだ。あの気まぐれで残忍な狂人は、何よりも逆らわれることを嫌う。幹部とて例外ではない。以前、ある幹部がクワイトに文句をつけたことがあった。その男は、その場でクワイトに殺された。その男を撃つことを拒否した兵士もろとも。総裁はその場にいながら、それを黙認した。つまり、ことクワイトに関しては、総裁ですら意見をひかえるのだ。そんな男に逆らったら、命がいくつあっても足りない。
クライムは部下を振り返った。
「ライのねらいは００９だ。おそらく、この、どさくさにまぎれて、ザコどもがやって来るだろう。そいつらを始末しろ。発進を妨害されちゃ、たまらんからな」
「はっ」
低く答え、クライムの部下達はコクピットから出て行った。
☆
騒ぎにまぎれ、アイラニと仲間達は首尾良く離着陸口にたどり着いた。滑走路上に小型艇がある。
「あれだ……。全員、爆弾を持っているな？」
「…ああ……」
「エンジン部分に仕掛ける。できるだけあちこちに仕掛けた方がいい」
研究員一同は、緊張した面持ちで頷いた。仕事がら、爆薬を扱うのには馴れている者ばかりだが、アイラニ以外は皆研究員だ。実戦の経験などない。緊張もしようというものである。
幸い、辺りに人影はない。
「いくぞ…」
そして、一同は通路から飛び出した。
その瞬間。
（…あ……！）
小型艇の陰から、黒服の男達が現れた。クライムの部下だ。手に手に銃を構えている。
「伏せろっ！」
とっさに叫び、床に身を投げる。
銃声。そして、断末魔の悲鳴。
物陰に転がり込んだアイラニの見たものは、滑走路の上に転がる五つの死体だった。
（読まれていた……かっ！）
唇を噛む。
「一人逃げたぞっ！」
クライムの部下達が叫び、こちらへ向かって来る。アイラニは、あわててその場を離れた。
物陰から物陰へと走る。
（どうする……）
何とかして小型艇のエンジンを破壊しなくてはならない。ちらりと時計を見る。
（……あと…二分……）
その瞬間、背後に殺気を感じ、アイラニは振り返った。目の前に、銃口。
（しまったっ！）
だが、もう遅い。
銃声。
とっさに身をかわし、かろうじて急所への直撃を免れる。左肩をおさえ、アイラニはその場にくずおれた。遠ざかる意識を必死でつなぎ止める。
「やったぞっ！」
男の叫びが、遠くのもののように聞こえる。
そして、人の立ち去る気配。
「…くっ……」
奥歯を噛みしめて、アイラニはふらふらと立ち上がった。
（…エ…エンジンを……）
這うようにして、小型艇に向かう。
しかし、アイラニの努力は無駄だった。目の前で、小型艇のエンジンが轟音をあげる。
発進時の爆風に吹き飛ばされ、壁にしたたか頭を打って、アイラニは、今度こそ気を失ってしまった。
☆
００４達をのせたドルフィン号がライの研究所についたのは、クライム達の小型艇が発進して、僅か四分後であった。
ライとカティサックらが対ＥＳＰフィールド発生装置への電源をカットするのに成功したのが、その直後。００１の活躍により、ほぼ無傷の状態で、いともあっさりと、ライの研究所は陥落した。
だが、００９を連れ去った小型艇は、見つからなかった。